20日(日)范曾美術館を退出すると直ぐに西大寺の不動産会社の方から
金岡西町にある1,780万円の中古住宅にお客様を案内したいとの要請が
ありました。そこで急遽予定を変更して、当該住宅の表玄関を解錠し
何時でも案内が出来る旨を伝えました。
色々と廻り道をしましたが、全ての用を片付けて登山道の上り口に
たどり着いた時には既に午後3時を過ぎていました。
上方写真をご覧下さい。まさしくその上がり口のところにやや錆びた
鉄製の籠の中に手作りのような感じの杖が無造作に置かれていました。
写真を見れば一目瞭前非常に簡素なものですが、これが意外とその
威力を遺憾なく発揮して、つええ(強)味方に成りました。
すなわち今までで最も高い標高163mの山なので手強(ごわ)いことは
承知の上ですが、この急峻な坂道は堪えました。杖無しなら多分
休憩を取りながら喘ぎ喘ぎ登ったと思いますが、喘ぎながらも杖のおかげで
休みなしに一気に頂上まで踏破しました。所要時間はアバウトですが
20分位でした。
頂上の城跡を示す標識と三の丸が有ったところを写真に撮っています。
残念ながら他の城跡と違いベンチは設置されていませんでした。それに
お約束の美しい景観は、上る途中もそして頂上からも、生い茂る木々に
邪魔されて殆ど愉しむことが出来ませんでした。
秘かに高取山城跡から俯瞰して砥石城跡を写真に収めることを期待
していたのですが、其の期待は図らずも雲散霧消いたしました。
下りも杖のおかげで一度も躓くことなく下山する事が出来ました。
杖を用意して戴いた地元の方に心から感謝です。
山の上がり口から駐車したところまでの道のりを歩いて向かう
途中に何人もの地元の方と会い挨拶を交わしました。異口同音に
「高取山城跡に登られたんか」と満面の笑顔で尋ねられました。
「砥石城が見えたじゃろう」と言われ、正直に「見えなかったです」と答えました。
そして最初に会った方は「草を刈っとるから歩きやすかったじゃろう」
と言われたので、「はい」と笑顔で頷きました。この一連の会話からも
いかに地元の方たちが高取山城跡に愛情を持っておられるかが
お分かりかと思います。それともう一つ上る途中に道が分岐している時に
「右」「左」「5合目」とかの目印を設置されていました。これがおおいに
役立ちました。東谷地区の方々にこころからお礼申し上げます。
さてこの高取山城は備前守護代の浦上氏の重臣である高取氏が居城したとの
伝承がありますが築城期は定かでありません。高取氏の後は同浦上氏重臣の島村氏が代々居城
したと伝えられています。
1534年に島村氏は隣接の砥石城主の宇喜多能家を討滅しましたが、1559年逆に其の孫である
宇喜多直家に謀殺されました。かくして砥石城も高取山城も宇喜多直家の傘下に加わることに
なりました。宇喜多直家おそるべしですね。以上高取山城跡のレポートでした。