おいでませ! 平島不動産

社長のつぶやきブログ

散歩日和♪

2011-02-28 10:28:05 | 日記

おはようございます。

天気予報では、昨日はと言っていたのに、朝からいい

絶好のお出かけ日和

毎年、西大寺会陽の後に観音院で行われる『あとまつり』に、子供と一緒に

行こうかと思ったら『友達と行くから・・・』と、あっさり振られてしまいました

中学生にもなると、やっぱり友達と遊ぶ方が楽しいのは分かっているけど

なんか寂しい・・・と思ってしましました

でも、私にはもう一人・・いや、もう一匹の可愛いがいる

台所の窓辺で日向ぼっこをしてるを誘って、散歩に行って来ました。

目指すは、芥子山

ただし、今回は頂上は初めから断念しておりました(笑)

なので、ナッツのペースでゆっくり行けるとこまで登ってきました。

携帯の写メで撮ったので、見にくいですが、お決まりの芥子山から見た

西大寺松崎の景色

             手前に見えるのが芥子山小学校

             あちゅいでつ

散歩大好きのナッツも、さすがに暑くてこれ以上は登りませんでした。

今回は半分も登ってないと思う

これからだんだんと暖かくなると、出かけるのも楽しくなります

なっちゃん、これからもいっぱい出かけようね

 

 


歴史探訪 高取山城跡 

2011-02-24 18:33:48 | 日記

  20日(日)范曾美術館を退出すると直ぐに西大寺の不動産会社の方から

 金岡西町にある1,780万円の中古住宅にお客様を案内したいとの要請が

 ありました。そこで急遽予定を変更して、当該住宅の表玄関を解錠し

 何時でも案内が出来る旨を伝えました。

  色々と廻り道をしましたが、全ての用を片付けて登山道の上り口に

 たどり着いた時には既に午後3時を過ぎていました。

  上方写真をご覧下さい。まさしくその上がり口のところにやや錆びた

 鉄製の籠の中に手作りのような感じの杖が無造作に置かれていました。

 写真を見れば一目瞭前非常に簡素なものですが、これが意外とその

 威力を遺憾なく発揮して、つええ(強)味方に成りました。

  すなわち今までで最も高い標高163mの山なので手強(ごわ)いことは

 承知の上ですが、この急峻な坂道は堪えました。杖無しなら多分

 休憩を取りながら喘ぎ喘ぎ登ったと思いますが、喘ぎながらも杖のおかげで

 休みなしに一気に頂上まで踏破しました。所要時間はアバウトですが

 20分位でした。 

  頂上の城跡を示す標識と三の丸が有ったところを写真に撮っています。

 残念ながら他の城跡と違いベンチは設置されていませんでした。それに

 お約束の美しい景観は、上る途中もそして頂上からも、生い茂る木々に

 邪魔されて殆ど愉しむことが出来ませんでした。

  秘かに高取山城跡から俯瞰して砥石城跡を写真に収めることを期待

 していたのですが、其の期待は図らずも雲散霧消いたしました。

  下りも杖のおかげで一度も躓くことなく下山する事が出来ました。

 杖を用意して戴いた地元の方に心から感謝です。

 山の上がり口から駐車したところまでの道のりを歩いて向かう

 途中に何人もの地元の方と会い挨拶を交わしました。異口同音に

 「高取山城跡に登られたんか」と満面の笑顔で尋ねられました。

 「砥石城が見えたじゃろう」と言われ、正直に「見えなかったです」と答えました。

 そして最初に会った方は「草を刈っとるから歩きやすかったじゃろう」

 と言われたので、「はい」と笑顔で頷きました。この一連の会話からも

 いかに地元の方たちが高取山城跡に愛情を持っておられるかが

 お分かりかと思います。それともう一つ上る途中に道が分岐している時に

 「右」「左」「5合目」とかの目印を設置されていました。これがおおいに

 役立ちました。東谷地区の方々にこころからお礼申し上げます。

  さてこの高取山城は備前守護代の浦上氏の重臣である高取氏が居城したとの

 伝承がありますが築城期は定かでありません。高取氏の後は同浦上氏重臣の島村氏が代々居城

 したと伝えられています。

  1534年に島村氏は隣接の砥石城主の宇喜多能家を討滅しましたが、1559年逆に其の孫である

 宇喜多直家に謀殺されました。かくして砥石城も高取山城も宇喜多直家の傘下に加わることに

 なりました。宇喜多直家おそるべしですね。以上高取山城跡のレポートでした。

 

 

 


着きました! 「宇喜多直家・秀家」

2011-02-23 16:16:17 | 日記

  

   先日書店に行って「宇喜多直家・秀家」という題名の新刊本を注文

 していたところ、今日届いた旨の電話があり早速受け取りに行きました。

  その表紙を写真に撮りましたのでご覧下さい。

 数ページ読んだだけでも非常に興味深い記述が有りました。

 今まで知り得た定説や通説、俗説などが覆る可能性を示唆して

 いるので、どういう帰結になるのか興味津津です。

  全て読破した後に感想を述べたいと思います。


名画鑑賞 范曾美術館(岡山市東区西大寺)

2011-02-22 18:06:25 | 日記

  20日(日)午前中に「大地の詩」というとても素晴らしい映画を観た

 其の余韻に浸る間もなく、次は岡山市東区西大寺上の両備プラッツの

 隣にある范曾美術館に行きました。

  この美術館はいつも開いているわけではなくて、たまにしか開かずしかも今日は午後1時から4時までしか

 オープンしておりません。ですから今日美術館に入れたのはある意味幸運だったかも知れません。

  但し小生はさほど美術に造詣が深いわけでもなく妻に誘われて仕方なく来たと

 いうのが本音です。妻も私と大同小異ですが、好奇心が強いというか、大変熱心に

 作品を鑑賞しており、それには感心させられました。

  私たちが絵画を観ている時に陽気な美術愛好家の御夫婦がおられ、一緒に観ながら話をしました。

 近くに住んでいるものの来たのは今日が初めてですとおっしゃいました。

 その話から類推すると所謂隠れ家的美術館と言えるかもしれませんね。

 其のご夫婦と美術館内だけでしたが楽しい交流の時間を過ごすことが出来ました。

  上方に入場券とパンフレットと美術館の入り口を撮っています。

 写真の絵を観ていただくと画風が御判りになるかと思います。

  その范曾(はんそう)ですが中国江蘇省出身の優れた画家で「中国人物画の鬼才」と

 よばれています。ですから館内は岡崎嘉平太、犬養毅等の岡山出身の著名人をはじめ

 中国の歴史上の人物画を数多く展示しております。

  惜しむらくは館内撮影禁止となっていましたのでその秀逸な作品をお見せできませんことを

 深くお詫びする次第でございます。

 

 


映画鑑賞 大地の詩(うた)

2011-02-21 19:02:41 | 日記

  今日20日(日)は妻に請われて2年ぶり位に岡山市丸の内の

 シネマクレールに映画鑑賞に行きました。

  これは岡山県高梁市出身の著名な社会活動家と呼んだら良いのでしょうか、

 明治時代に活躍した留岡 幸助を取り上げた映画でした。

  出演した俳優、これがまた豪華絢爛で留岡幸助役で主演の村上弘明を

 共演陣が綺羅星のごとく円熟の演技で脇を固め、観る者をスクリーンに

 釘付けにして一瞬たりとも目を逸らす事が出来ないほどの見事な出来栄えでした。

  因みに映画の粗筋ですが、未だ明治維新の頃士農工商の身分制度が撤廃された

 ばかりで差別そのものは厳然と残っていました。幼少時商家の養子になった幸助は

 ある日金持ちの武士の子に因縁をつけられ一方的に殴られましたが、相手に噛みつき

 反撃し、相手をやっつけました。そのことが原因で養父は得意先を失い、幸助は折檻をうけて

 学校を退学させられ商人になることを強要されました。そこで幸助は幼くして不公平な

 身分社会に憤りを感じるように成り、社会的弱者を救済するため高邁な理念を掲げて、

 理想実現のために東奔西走したのでした。

  教誨師として監獄に職を得て、囚人との積極的な対話に努めるようになりました。

 監獄(現在の刑務所)の囚人の待遇改善に尽力したのを嚆矢とし、その経験を基に

 悪の道に入りかけた少年たちを教導する為の施設を家庭学校と命名して東京の巣鴨に

 建築したのでした。

  当然世の中に有為な青少年たちを数多輩出してその名を全国的なものにしました。

  「子供を育てるには大自然が一番」という確固たる志操から、ついには人生の集大成と

 して、北海道の大自然を開拓して二番目の家庭学校を誕生させたのです。 

  以上があらましですが本当に感動しました。皆様も一度映画館に足をお運びに

 なられたら如何でしょうか。