なでしこの湯と命名された温泉ホテルで楽しい夜を過ごし充分睡眠を
とる事が出来ました。朝6時半には目が覚めて、早速大浴場の湯船に
浸かってリフレッシュする事が出来ました。
これは余談事ですが、今回の「潮風会」の幹事は神戸市内で「野の花
助産院」という助産院を営む私の妹夫妻でした。来年の幹事役が私に
廻ってきました。
実は2年前にも幹事になり、「湯郷グランドホテル」に予約して準備万端
整えていましたが、主賓の田原昭氏が突然病気で入院ししたため中止を
余儀なくされました。ですから必然的に私に幹事の役が回ってきた訳です。
これも少し話が逸れますが、昨日テレビを何気なく見ていると日本国民を
熱狂と興奮の坩堝(るつぼ)に誘(いざな)ったあの「なでしこジャパン」が、
サッカークラブ湯郷ベルの本拠地の美作市でキャンプをしていて、それを
観に来たファンが2008年の80人から3,600人と大幅に増加したした旨の
ニュースが目に飛び込んで来ました。未だあの時の熱気が続いてるのかと
驚きましたし、少し嬉しい気持ちにもなりました。ただしこの人気が一過性の
ものではなく、永続的なものであるように願っています。その為にはチームが
もっと強くなり、世界の晴舞台で活躍することが条件となるでしょうし、それを
成し遂げる力は十分持っていると思います。
話は元に戻りますが昨夜の宴会の時に、もう一人の甥の均(ひとし)が
徐ろに数枚の絵を取り出してきて我々全員にその絵を披露し始めました。
私は素人なのでさしたる審美眼を持ち合わせておりませんが、それでも
この絵の出来栄えに唸らざるを得ませんでした。素晴らしいの一言(ひとこと)に
尽きると言っても過言ではないでしょう。彼の母親である今は亡き長姉が
水彩画を趣味にしていましたが、それを遙かに凌駕した作品でした。
私の姉達と、姪の一人が早々とその絵を貰い受ける交渉をしてすでに
ゲットしたと大喜びでした。それにしても何時の間にこんなに絵が上手く
なったんだろうと感嘆することしきりでした。
私も叔父の権限で絵を描くよう依頼しており、出来あがったら大事に
保存するつもりです。
さて午前9時に足湯がある施設の前に全員集合して記念写真を撮り
解散をしましたが、急遽(きゅうきょ)私たち夫婦と甥の均と豊の4人で
自宅療養中の田原昭氏を見舞うことになり、田原昭氏の娘夫婦を
先導車にしたてて一路三重県名張市を目指し出立しました。
これにて今回のリポートを終了致します。