2024年7月に遠軽町へ4回目の訪問をしてきました。今回は開成高校天文同好会OBで同級生のzappa さんに同行してもらっています。
訪問の目的は、遠軽町郷土館に保管されている古い口径20cm反射鏡のことを更に調べるためです。
7月10日(水)7時半に札幌を出発し高速道路を使い12時50分に遠軽町教育委員会の駐車場に到着。日差しが強く青空が眩しい遠軽です。
すでに遠軽天文同好会副会長の森田さんが駐車場でお待ちでした。打ち合わせ予定時刻の13時まで少し時間があったので森田さんと駐車場で雑談していると、社会教育課長の中南さんが笑顔で庁舎から出てきてくれました。
中南さんに初対面のご挨拶をし庁舎内に入ると、教育長さんと面会の機会を設けていただいたのには恐縮しました。私以外の皆さんは顔馴染みのようです。
早速、教育長室の隣の会議室で今回の遠軽訪問の目的を中南さんと森田さんにお伝えし、協力を仰ぎました。
その内容は、1936年(昭和11年)に京都の花山(かざん)天文台観測隊が遠軽町まで遠征。そのときに持ち込んだ望遠鏡が遠軽町郷土館に展示してあり、その反射鏡を光学研磨した人物の特定に協力して欲しいというものです。
幸いにも調査に協力してくれることになり、中南さん・森田さん・zappa さん・ひらいの4人で郷土館へ行き、展示ガラスケースから口径20cm反射鏡を出してもらいました。
なお、SNSへの個別画像の掲載は禁止とのことなので、代わりといっては何ですが入場券の画像を掲載しておきます。
真鍮製らしい主鏡セルの底板を慎重に外し、主鏡裏側に次のようなサインが確認できました。
「B,D,S」
“112”
Kibe
1936
F=203.5cm
なお、Kibe というサインの左側に判読しにくい文字があります。もしかしたら、s,Kibe かもしれません。
私が当初推測した中村要さん(1904 - 1932)が研磨された鏡面ではありませんでしたが、中村要さんの弟子とも言うべき木辺成麿さん(1912 - 1990)が研磨した鏡面に間違いないようです。いずれにしても歴史的価値が高いものです。
ちなみに、木辺さんとは生前に札幌市天文台で偶然お会いしたことがあります。そのときの思い出を2012年7月のブログ記事 【 木辺成麿さんの著書 】に書いてあります。
森田さんが調査したところ、この口径20cm反射望遠鏡は、
❶1936年(昭和11年)の皆既日食観測で使用され、観測地を提供した遠軽町郊外の北海道家庭学校へ寄贈
❷1958年(昭和33年)4月に遠軽天文同好会が借り受け
❸1963年(昭和38年)に瞰望岩(がんぼういわ)頂上に建設した天文ドーム内に設置
(鏡面の再メッキを施し木製四角形の鏡筒から金属製円筒形へ交換。架台はメーカー製赤道儀。京都の西村製作所製?)
私の聞き取り調査では
❹今から30年ほど前(1990年代?)まで遠軽天文台ドーム内で使用(遠軽天文同好会員による証言)
❺遠軽天文同好会の初代会長の山岸さん死去後、山岸さんの自宅物置から2代目会長の佐藤さんが発見し郷土館で展示開始
といった経緯でした。
なお、瞰望岩頂上にある遠軽天文台の内部には何も残っておらず、入り口の鍵は遠軽町教育委員会事務局が保管していて年1回点検を行っているそうです。
ところで、前述口径20cm反射鏡は中村要さんが研磨した鏡ではないかと私が推測していたことから、今回の訪問直前に長万部町在住で知人の中兼さんに調査協力を求めていました。
中兼さんは中村要さん研磨の口径15cm反射鏡をお持ちということで、鏡面の裏側に記されているサインを撮影し画像をメールで送っていただき、中村要さんが生涯で磨いた凹面鏡238枚のリストから口径20cmの5枚だけ、口径・焦点距離・製作年を事前に教えてもらっていました。
昭和の初めに花山天文台で光学研磨助手として活躍された中村要さんは、山本一清博士の元で1925年ごろから光学研磨を始め、短い生涯で238面もの光学凹面鏡を製作した日本における光学研磨の先駆者として知られています。また、数々の天体観測や天体撮影の先駆者でもありました。
我が国におけるアマチュア天文家の育成に力を注いだ山本一清先生がいなかったら、日本のアマチュア天文家がこれほど活躍をしていなかったと私は思います。
森田さんによると、山本一清博士、木辺成麿さんの2人は1936年の皆既日食の際に北海道(遠軽?)を訪問しているとのこと。
100年の時を超え山本一清博士の教えは、私にも深く影響を与えていることを感じます。
いずれにしても、私が最も知りたかった鏡面製作者が判明したことで、今回の遠軽訪問目的が達せられました。社会教育課長の中南さん、遠軽天文同好会副会長の森田さん、ご多忙のところ様々なご配慮をいただきありがとうございました。深く感謝申し上げます。
遠軽町郷土館を出た後は、遠軽町郊外の北海道家庭学校へ以前の見学お礼を兼ねて尋ねることにし、中南さんと森田さんも同行していただけることになりました。
北海道家庭学校訪問の様子は次回のブログ記事に書きますが、北海道家庭学校に関わる中南さんと森田さんの凄い経歴が明らかになります。私は凄い人たちと会っていたのです。
【 2024年7月15日15時:記事追加 】
様々な文献で調べてみると、1936年に山本一清博士は遠軽町で、木辺成麿さんは中頓別町で皆既日食観測を行ったようです。
木辺さんが研磨された鏡の裏面サイン「B,D,S」についても調べてみましたが意味はわかりませんでした。別に研磨された鏡面に「N B,D,S」というサインがあるという紹介記事がありましたので、何らかの意味はあると思います。
訪問の目的は、遠軽町郷土館に保管されている古い口径20cm反射鏡のことを更に調べるためです。
7月10日(水)7時半に札幌を出発し高速道路を使い12時50分に遠軽町教育委員会の駐車場に到着。日差しが強く青空が眩しい遠軽です。
すでに遠軽天文同好会副会長の森田さんが駐車場でお待ちでした。打ち合わせ予定時刻の13時まで少し時間があったので森田さんと駐車場で雑談していると、社会教育課長の中南さんが笑顔で庁舎から出てきてくれました。
中南さんに初対面のご挨拶をし庁舎内に入ると、教育長さんと面会の機会を設けていただいたのには恐縮しました。私以外の皆さんは顔馴染みのようです。
早速、教育長室の隣の会議室で今回の遠軽訪問の目的を中南さんと森田さんにお伝えし、協力を仰ぎました。
その内容は、1936年(昭和11年)に京都の花山(かざん)天文台観測隊が遠軽町まで遠征。そのときに持ち込んだ望遠鏡が遠軽町郷土館に展示してあり、その反射鏡を光学研磨した人物の特定に協力して欲しいというものです。
幸いにも調査に協力してくれることになり、中南さん・森田さん・zappa さん・ひらいの4人で郷土館へ行き、展示ガラスケースから口径20cm反射鏡を出してもらいました。
なお、SNSへの個別画像の掲載は禁止とのことなので、代わりといっては何ですが入場券の画像を掲載しておきます。
真鍮製らしい主鏡セルの底板を慎重に外し、主鏡裏側に次のようなサインが確認できました。
「B,D,S」
“112”
Kibe
1936
F=203.5cm
なお、Kibe というサインの左側に判読しにくい文字があります。もしかしたら、s,Kibe かもしれません。
私が当初推測した中村要さん(1904 - 1932)が研磨された鏡面ではありませんでしたが、中村要さんの弟子とも言うべき木辺成麿さん(1912 - 1990)が研磨した鏡面に間違いないようです。いずれにしても歴史的価値が高いものです。
ちなみに、木辺さんとは生前に札幌市天文台で偶然お会いしたことがあります。そのときの思い出を2012年7月のブログ記事 【 木辺成麿さんの著書 】に書いてあります。
森田さんが調査したところ、この口径20cm反射望遠鏡は、
❶1936年(昭和11年)の皆既日食観測で使用され、観測地を提供した遠軽町郊外の北海道家庭学校へ寄贈
❷1958年(昭和33年)4月に遠軽天文同好会が借り受け
❸1963年(昭和38年)に瞰望岩(がんぼういわ)頂上に建設した天文ドーム内に設置
(鏡面の再メッキを施し木製四角形の鏡筒から金属製円筒形へ交換。架台はメーカー製赤道儀。京都の西村製作所製?)
私の聞き取り調査では
❹今から30年ほど前(1990年代?)まで遠軽天文台ドーム内で使用(遠軽天文同好会員による証言)
❺遠軽天文同好会の初代会長の山岸さん死去後、山岸さんの自宅物置から2代目会長の佐藤さんが発見し郷土館で展示開始
といった経緯でした。
なお、瞰望岩頂上にある遠軽天文台の内部には何も残っておらず、入り口の鍵は遠軽町教育委員会事務局が保管していて年1回点検を行っているそうです。
ところで、前述口径20cm反射鏡は中村要さんが研磨した鏡ではないかと私が推測していたことから、今回の訪問直前に長万部町在住で知人の中兼さんに調査協力を求めていました。
中兼さんは中村要さん研磨の口径15cm反射鏡をお持ちということで、鏡面の裏側に記されているサインを撮影し画像をメールで送っていただき、中村要さんが生涯で磨いた凹面鏡238枚のリストから口径20cmの5枚だけ、口径・焦点距離・製作年を事前に教えてもらっていました。
昭和の初めに花山天文台で光学研磨助手として活躍された中村要さんは、山本一清博士の元で1925年ごろから光学研磨を始め、短い生涯で238面もの光学凹面鏡を製作した日本における光学研磨の先駆者として知られています。また、数々の天体観測や天体撮影の先駆者でもありました。
我が国におけるアマチュア天文家の育成に力を注いだ山本一清先生がいなかったら、日本のアマチュア天文家がこれほど活躍をしていなかったと私は思います。
森田さんによると、山本一清博士、木辺成麿さんの2人は1936年の皆既日食の際に北海道(遠軽?)を訪問しているとのこと。
100年の時を超え山本一清博士の教えは、私にも深く影響を与えていることを感じます。
いずれにしても、私が最も知りたかった鏡面製作者が判明したことで、今回の遠軽訪問目的が達せられました。社会教育課長の中南さん、遠軽天文同好会副会長の森田さん、ご多忙のところ様々なご配慮をいただきありがとうございました。深く感謝申し上げます。
遠軽町郷土館を出た後は、遠軽町郊外の北海道家庭学校へ以前の見学お礼を兼ねて尋ねることにし、中南さんと森田さんも同行していただけることになりました。
北海道家庭学校訪問の様子は次回のブログ記事に書きますが、北海道家庭学校に関わる中南さんと森田さんの凄い経歴が明らかになります。私は凄い人たちと会っていたのです。
【 2024年7月15日15時:記事追加 】
様々な文献で調べてみると、1936年に山本一清博士は遠軽町で、木辺成麿さんは中頓別町で皆既日食観測を行ったようです。
木辺さんが研磨された鏡の裏面サイン「B,D,S」についても調べてみましたが意味はわかりませんでした。別に研磨された鏡面に「N B,D,S」というサインがあるという紹介記事がありましたので、何らかの意味はあると思います。
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