姫先生のおめめ

25年間の養護教諭の経験と脳科学、波動理論から引き出すレジリエンス向上について書いています。

力を奪うのは「愛情」 本当の自立を促すのが「愛」 

2012年07月31日 | 波動脳科学/主体的人生のリテラシー


 (2012年の記事/2017年加筆修正)

 

 このブログでも 時々 書いていますが 「愛」と「愛情」はちがうよって話です。


 「愛情たっぷりに・・・」なんて いいますね。



 決して悪いと言っているわけではないです。



 愛情と愛のちがいは? って 質問されたら なんて答えます?



「“情”って文字が あるか ないかでしょ」って?



 大正解!!! パンパカパーン♪



 そんなの漢字みりゃわかりますよね。

 で・・・・・

 「情」って 漢字ですが・・・  これ、「ココロが青い」と書きます。



 だから 未熟な愛ってことです。



 で、一般に言われる「愛」は この愛情のことです。

 

 ここでいう「情」とは何か?というと、感情のこと。

 感情ってプラスのものもマイナスのものもありますよね(ほんとうのところは良いも悪いもないのですが、とりあえず一般的な表現として)

 

  アイシンの波動を学ぶまでは 「愛情」って すばらしいもので 子どもには愛情をたっぷり注いで育てなきゃなんて思っていました。

  別にそれはそれで 悪いことではないのですが、

  愛情の「情」を 感情として読み解くとですね。。。。

  そこには、「喜び 怒り 哀しみ 楽しみ 愛しみ 憎しみ 恨み・・・・・」などなどいろいろあるわけです。

  ※アイシン波動理論では、「愛」にどんな「情(感情)」がつくかによって 愛情の質が変わるととらえます。

  どんな情がつくかは、その親の「感情」に由来するわけですが、

  問題は、自分がほしいと思っていた愛情のカタチやあり方と 親がこれが愛情だと思って注いでいたカタチとあり方が違う場合に

  幼かった自分は、「愛されていない」「認めてくれなかった」と 勝手に思ってしまったことなんですよね~


  アイシンの波動ワークショップでは、参加者が自分の相談事や困っていること、起きている現象をテーマにしてワークをする際に

 必ずと言って出てくるのが、「愛情」 

 

  この「愛情がらみ」で起きている現象というのは、実はものすごく多いことを

  参加者のワークで目の当たりにしたり、実際の自分の課題で気づいたりということが非常に多いのです。

 

 以前、名古屋の波動ワークショップで 先生方がちょっとしたゲーム感覚の実験をしてくださったことがあります。

 

 「愛」「愛情」「恐怖」「怒り」という想いの波動を受け取った時 それぞれどんな感じがするかというゲームです。

 その時に、受け取る側の人は 何が投げられるかわからないのですが

 私は、3つの想いの波動を受け取って


 ①やたらと足にからまってくる感覚。


 ②壁のようなものがバンバン背中にあたっていたい感覚


 ③なんか慣れ親しんだ感覚

がありました。

 これらは人によって まったく感じ方は違うのですが 

 

 私の場合 ①愛情 ②愛 ③恐怖 でした。

 本来気が小さくて怖がりの私は 「恐怖」を投げられたとき 慣れ親しんだ感覚になっちゃったんですね(笑)


 そして この時感じた 「愛情」と「愛」の違い・・・

 この時は先生に 「愛って世間で言われているような甘っちょろいものじゃない。

 厳しいしある意味では冷たいのかもしれない。でも 愛情は場合によっては 人を動けなくする。情というのは厄介なんだ」って 説明を受けました。

 感情を消化し 昇華させると 情が消えて初めて「愛」になる。

 

 だから、愛は、感情を乗せずに厳しいことも言えるんだよ

 さらに、あえて感情を乗せて表現することもできる。

 



 その時は へーと頭だけ理解しておりましたが

 さすがに 長年アイシンの波動を 学び続けますと いろんな体験について このことを思い知らされて来るわけです。



 アイシンの波動ワークショップでは 疑似の状況を作って その時に体がどんな反応をしているのかを見ます。

日常で起きている状況をワークの場で再現することで 「こんなこと思っていたんだ」とか「これが動けなくなる原因か」って気づくわけです。
 

 私は 情に流される人間で それって 「いい人」やっちゃう。それはビジネスとしてはマイナス。

 いい人やるということは 自分をなくして受け容れてほしい(愛情下さい)がある

 それから 愛をもってやることに 恐怖があるから 突き放すことができない。

 特に孫に関わる時は まったくもって「情」なので 孫の情報をいっぱい取り込んでしまうので その状態だと仕事に即 影響が出る(集客やら能率の悪さなど) 

 また 関わる人にたいして 何とかしてあげたい! があると 相手のウラを入れてしまうので 結果 自分の現実に影響が出る。

 これ、ぜんぶ 「愛情」がらみなんです。

 平成20年に初めて 大阪で 波動ワークを受けた時に 足枷はずしをした時に だんなや娘は ほいほい引き離せるのに 孫の想定になった途端力が抜けました。
 
 今は いろんな体験をさせていただいたおかげで 情報をリセットして 瞬時に状態を戻すことも できるようになりました。



 ワークの時のアイシンンの荒島先生と小窪先生はむちゃむちゃ厳しいこともズバズバ言われます。

でもそれって 本当に「愛」なんだってわかる時が来るんですね。あえて失敗させて、そこで自分が気づいたことから本当に大切なことをひとつずつひとつずつ 

体験させて腑に落としていかれます。だれかの力や怪しげなヒーリングで 簡単に手に入った解決なんて 本物じゃないんですね。



 愛情でかかわっているとしたら、もっといろんなこと「してあげる」こともできるのでしょうが、

 先生たちのスタンスは「私たちが余分なことを言ってその人が人生で体験すべき貴重な気づきを奪ってはいけない」という所にあるんですね。


 わたしも叱咤叱咤叱咤+ちょっと励まし(笑)の あのお二人に ずっとついてこれたのは 本当の愛だからですね。



 さて、話を元に戻しましょう。愛情と愛と自立の話でしたね

 「愛情がらみの問題」で動けなくなってしまっている親子パターンというのを よく見かけます。



 特に母親の過度の愛情は 子どもの自立を 妨げます。

 母親自身の 捨てられ恐怖や 無価値観 不安は 愛情という形に変わって 子どもをがんじがらめにします。

 子どもは 本来 ママを助けるために生まれてきます。



 うまれる前から 母親の裏側の想いを無意識に取り入れて まるでそれが自分の意志であるかのように動くことが あります。

 でも 時代のエネルギーは変わりつつあります。



 自分の人生を生きなきゃと 本来は「愛」で自立させるはずの 母親が  「愛情」にすり替えて 子どもの自立を さまたげてしまう。

 子どもが頼ってくれるから 子どもがいつまでたっても世話を焼かせるから 困ったなと言いながら 

 それがあるから 自分は価値があるのだと思ってしまう。

 自立しなさいといいながら いざ自立しようとすると 引き留めるようなことを無意識にしてしまう。



 本当に自立しなければならないのは 親の方です。



 だれかのために生きることで 自分の価値があるのだという生き方から 自分を生きるための人生を歩むという時代にはいったのですね。

 そして 自立したいといいながら 親がうっとおしいと言いながら 共依存をしている人は 本当に 自立する時です。



 また 親のせいでこんな自分になったんだと 親への恨みをすてきれない人も 過去へのとらわれをすて

 自分の人生を自分のものとして 今この瞬間を生きることをする時期です。



 自立って、経済的とか、精神的とか、そういうこともあるけど、深い部分での自分の想いとむきあって、受け容れて、自分の道を自分で決めて自分を生きることです。。

 

 でっかい夢があるとか そういうことでもないのです。

 

 愛ってきれいごとじゃないんです。

 

 


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