彦中三八ブログ 

彦島中学校を昭和38年3月に卒業した同期生のためのブログ。 掲示板「彦中昭和38年卒同期会」にもお立ち寄りください。

吉見町の天狗乃宮

2010年09月25日 04時48分58秒 | 下関市吉見町

吉見の賀茂島を見るために、191号線からそれて、しばらく行くと写真の建物が
目に入りました。


そして次に目に入ったのがこの看板。「修験道(しゅげんどう)と、書いとるぞ! 
おもろそうやないか」と僕は言いました。その時、皆の反応がかんばしくなかったら、
僕は遠慮するつもりでした。僕一人の興味のために、「賀茂島」見物に寄り道させて
いるのに、更にっていうのは、悪いですからね。
ところが、僕以上に修験道に関心を持っている連れがいたのです。
それで、賀茂島を見た帰り道に寄ってみました。


僕はとびっきり不信心な人間です。だからと言って、宗教を否定するものでも
ありません。「ああ、僕は不信心になる環境下で育ったんだろうな」と思うのみです。
アラブのどこかの国で生まれ、敬虔な信仰心を持つ両親のもとに育っていたら、
「聖職者になりたい」と一途に思う青年になっていたかもしれません。


そんな門外漢の僕が、一番関心を持っているのが、修験道なのです。


なんだか、修験道は日本人のフィーリングに一番合っているように思うのです。


ここは神社なんだろうか?


お寺なんだろうか?と思うのは、


明治以降に僕たちに植えつけられた「常識」なんですよね。


これは拝殿で、


これは本殿と呼ぶのでしょうか。見事な神仏習合と思うのです。
日本人の自然な宗教心にマッチしているのではないかと思うのです。
「今」の歴史観では、明治維新が陽、太平洋戦争が陰となっており、戦前・戦中の
宗教弾圧の方に関心が高いのですが、こと、宗教に関しては、維新直後の「神仏分離令」
「大教宣布」、その後の廃仏毀釈運動の方が罪が大きいのではないかと思うのです。

当時の小賢しいインテリは、民衆の自然な宗教心を、残酷なほどに削いだのだと思います。


ここはどうやら、「石槌大権現天狗乃宮石槌本教吉見教会」が正式名称のようです。

by K


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