記憶はあいまい
17日、雨も降らず、祇園祭の山鉾巡行はつつがなく運んだようですね。
実家は一応京都市内ですが、祇園祭には縁がありませんでした。
父が、およそ遊ぶということが許せない人だったので、
地元のお祭りも連れて行ってもらったことがありません。
昔の父親はそんなものだったのかもしれません。
しかしですよ、学生時代、地元っ子だと思われているのに
「祇園祭?知らない」と言うのも具合が悪いんですよ(笑)
それである年恐る恐る、宵山を見に行きたいんですが、と言ってみました。
「ばぁかも~ん!!」でしたよ (^^;)
いわく、
「祇園祭は八坂神社の祭りである。氏子でない我が家にはなんの関係もない。興味を持つ必要もない。
近頃有象無象が宵山だ何だと騒いでおるがまことに情けない。
マスコミに乗せられてそんなものに行く奴はバカだ!!」
さんざんののしられて口には出さねど
「じゃあ私はバカだから、バカがバカなことするんだから釣り合ってるじゃない!!」
と飛び出して一人宵山に行きました。
表通りで人波にもまれていても気分は独りぼっち。
たまりかねて一筋入ると観光客もまばらで、地元の人の下駄の音が響き、
子供たちが歌うようにお札やちまきを売っていました。
ああいい風情・・・。
祇園祭は屏風祭りと言われて、明治の頃、上村松園さんなどはこの時とばかり
普段見られない屏風をスケッチして回ったそうですが、
その頃は屏風を飾っている家は少なく、入れてくださるところは押すな押すなの賑わいでした。
長澤芦雪(・・・だったかな?)の“群盲象をなでるの図”を見せていただきました。
でも最後まで、することなすことの裏に涙が張り付いているような気分でしたね。
京都に住んでて、有名なお祭りがどんなものか一度見ておこうというだけなのに・・・。
それから十何年後、家を出て一人で働いているときに、たまたま四条河原町を通りかかったのが7月17日。
ものすごい人だかりにああ、今日は山鉾巡行か、と気がついて、生まれて初めて祭り本番を見ました。
鉾回しも迫力だったけれど、見るからに体格のいい若い機動隊員さんたちが
「ゆうべから一睡もしてない・・・」
「この暑さは何や・・・。見物守るより俺らの方が倒れそうや・・・。」
とぼやきながら警備についておられたのが印象に残っています。
今でもそんなにハードなんでしょうか。
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