バラエティ番組『ホンマでっか!?TV』でもお馴染みの生物学者、池田清彦氏の新刊『バカにつける薬はない』が角川新書から刊行された。
綺麗ごとばかり並びたてる「愚か者」を軽快にぶった切っていく本書から、教育現場にはびこるブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)に関する一節を紹介する。
嘘八百の美辞麗句
「政府は学習履歴などの個人の教育データについて、2025年頃までにデジタル化して一元化する仕組みを構築することになりました」というニュースを聞いて呆れてしまった。
「こうした教育データを学校や教育機関が共有して、教育の向上につなげたい」「子供たちの個性を伸ばすことができるよう、教育の現場でデジタル化の環境を整備し、具体的な政策として進めていきたい」ということらしいが、よくもまあ、嘘八百の美辞麗句を並べるよね。
そのうち、課外活動や塾や学校外の活動もデジタル化するつもりらしい。デジタル化すると言ってもオリジナルなデータを集めるのは現場の先生なので、今でさえ忙しい教育現場は、さらに忙しくなり、教育そのものにかける時間はさらに少なくなり、教育は悲惨なことになりそうだ。
現在でも、学校の先生の仕事の大半は教育の向上には全く役に立たない無駄仕事で、デジタル化はこれに拍車をかけるだろう。はっきり言って、志のある若者は政府に管理された学校の先生にはならない方がいいと思うよ。
「2030年頃までには、本人が閲覧できるようにして、生涯学習などに役立てたい」と、とてもいいことのように言っているけれども、余計なお世話だ。大体自分の過去の学習履歴などを参照して、将来の学習に役立てようなどという国民はまずいないだろう。こういう無駄なことに、エネルギーと金を使うので、日本はどんどんドツボにはまっていくのである。
私が現役の高校教諭だった頃も、指導要録というのがあって(今もあるけど)、成績や出欠、その他の素行などの「指導に関する記録」を記載して、5年間(「学籍に関する記録」は20年間)保管しておく決まりがあった。私は担任をしていたので、指導要録を書かされたが、成績と出欠だけ記載して、素行や行動の記録はすべて、特記事項なしというハンコを押して済ませていた。
入学、卒業、退学、転入、転学等の、学籍に関する記録は、本人が証書類を紛失した際に、卒業や在籍を証明する証拠となるため、20年間保管することに意味はあるが、指導に関する記録などは、書いて金庫に保管してから5年間、閲覧する人はほぼ皆無なので、事細かに記載しても時間の無駄なのだ。
だからこういうことにエネルギーと時間をかけるのは無駄仕事の最たるもので、児童生徒と遊んでいる方が余程有意義なのである。
個人の過去の学習履歴をデジタル化しても、本人はまず見ない。そもそも見るメリットがない。データが教育産業に流れて、金もうけの道具に使われるのが関の山だ。実はそのためにやっているのかもしれない。
適当な名目を付けて、税金を使って、私企業の利益に奉仕するといういつものパターンになるのは火を見るより明らかだろう。そのうち個人情報が漏れて、○○さんの中学時代はお勉強もできなくて欠席が多く素行も悪かったなどという情報が、いつの間にか第三者に渡るといったことも起こりそうだ。
おそらく政府の狙いは、児童生徒の政治的傾向をデジタル化して、政府の政策に反抗的な国民のリストを作って、国民を政権の管理下に置きたいということなのだろう。とりあえずお友達企業をもうけさせて、あわよくば、独裁政権の礎を築きたいということ以外に、こんなアホなことをする理由が思いつかない。
進士正憲さんという方がツイッター(Twitter)で述べていたように、国会議員の活動実績、国会・委員会の出席状況、発言履歴、歳費、交通費の収支明細を一元管理して、公表して、国民が必要に応じて閲覧できるようなデジタル化なら大いに意義があると思うけどね。
国民を統制することには熱心だが、自分たちはやりたい放題で、税金の使い道や、怠慢の記録は絶対に公表しないというのは、独裁への道だ。だんだん、現政権を支持する人々が嫌う、中国や北朝鮮の政権のやり方に近づいている。これらの人々が中国や北朝鮮が嫌いなのは、近親憎悪なのかもしれない。
スポーツが好きな人は勝手にやればよい
少し前に、スポーツ庁が、中学生の16%がスポーツ嫌いという調査結果を受けて、これを半減させたいという計画を掲げているという話を聞いた時も、アホかいなと思ったけれども、スポーツ庁とかデジタル庁とかは、本当にブルシット・ジョブで成り立っているような官庁で、国民一般はこんな官庁がなくても一向に困らず、税金の無駄遣いだ。
速やかに解体すれば、日本の凋落の速度は、多少は緩和されるだろう。
ブルシット・ジョブとは2018年出版のデヴィッド・グレーバーの著書の題名で、仕事をしている本人でさえ、完璧に無意味で、不必要で、有害でさえあると認識しているが、組織の維持、あるいは自身の雇用を守るために、意味があるかのようにふるまわざるを得ない仕事を指す。
例えば、スポーツが好きな人は勝手にやればよくて、それに政府が介入する必要はない。スポーツ嫌いな中学生が16%から8%に減ったからといって経済が潤うわけでもない。スポーツで国威を発揚させて、国力の向上に役立てたいということかもしれないが、はっきり言ってこれは妄想だな。
冷戦の頃、旧ソ連や東ヨーロッパでは、国を挙げてオリンピックに勝つべくステートアマを養成したが、これらの社会主義国はほとんど崩壊してしまった。国威発揚は、国力の向上という観点からは、何の役にも立たなかったブルシット・ジョブだったのだ。独裁者の自己満足みたいなものだな。
プロのスポーツは金もうけのための手段だから、それを規制する必要も補助する必要もない。アマチュアのスポーツは趣味なのだから、好きにやらせておけばいいので、税金を使って振興するのは、スポーツは素晴らしいというイデオロギーのなせる業だ。
私は、自分ではスポーツはやらないし、ほとんど見ない。スポーツ振興に私の納めた税金を使わないでくれと言いたい。そういう人も多いだろう。
私は、時々釣りをするが、例えば調査の結果、釣り嫌いの中学生が50%いるとして、これを25%に下げるために、文科省と農林水産省が協力して釣り振興のために税金を使うと決めたら、おかしいと思う人が沢山いるだろう。スポーツも釣りも、個人の趣味なのだから、スポーツだけを優遇するのは間違っている。
スポーツも釣りも多少は経済振興に貢献するとは思うけれど、スポーツや釣りが盛んになったので、経済が発展したのではなく、経済が発展したので、スポーツや釣りをする余裕ができたのである。現代社会においては、経済を発展させ、国力を伸ばしたのは紛れもなく科学技術で、国は科学技術力を高めるために何をすべきかを第一義に考えるべきなのだ。
学習履歴をデジタル化するというのは、それ自体がブルシット・ジョブの最たるものだが、児童生徒を管理して、同調圧力に従わない個性的で我が強い人間を排除して、先生や上司の言うことを良く聞いて、ブルシット・ジョブもいとわない国民を作りたいという政権の意図が見え隠れする。
先生の仕事は大半がブルシット・ジョブ
日本は、高度成長期にみんなで一律の仕事をして、安価な製品を大量生産するというやり方で、経済成長を成し遂げた。
日本経済が絶頂だった1989年の株価時価総額の世界1位はNTTである。以下、日本興業銀行、住友銀行、富士銀行、第一勧業銀行が第5位までで、次にやっとIBMが入っている。トヨタ自動車は11位で、50位までに日本企業が32社入っている。それが、2022年のトップ5は、アップル、マイクロソフト、サウジアラムコ、アルファベット(グーグル)、アマゾンで次がテスラ。50位以内の日本企業はトヨタ自動車がかろうじて31位に入っているのみである。いかに日本の経済力が落ちたかがよく分かる。
ちなみに、台湾セミコンダクターは10位、韓国のサムスン電子は15位である。多くの日本人は日本の科学技術力は、台湾や韓国より上だと思っているようだが、これを見ると、少なくとも半導体や電子機器では太刀打ちできなくなっているのは瞭然だ。
台湾セミコンダクターの時価総額はトヨタ自動車の2.1倍、サムスン電子の時価総額は1.6倍である。1990年に一人当たりの名目GDPが世界8位だった日本は、2021年には28位に落ちた。韓国は30位、台湾は32位で、近い将来日本は追い抜かれるだろう。
経済が停滞した原因は、日本がかつての成功体験を忘れられずに、イノベーションを起こす人材を優遇せずに、安売り競争を続けたためだ。その間、世界はITに代表される新しい技術を開発して、価格が高くとも性能が飛躍的に良い製品開発にまい進していたのである。アメリカは1990年代になってから新興のIT産業が伸びて、あっという間に日本を抜き去ってしまった。
日本には、アップルやマイクロソフトの創業者であるスティーヴ・ジョブズやビル・ゲイツのような人材が出なかったのだ。この二人は、同調圧力が強く、変わり者を冷遇する日本の教育システムでは育たなかっただろう。
何度も言うように、日本の学校や官庁や会社は、ブルシット・ジョブが多すぎて、新しいアイデアを考える暇がない。先生の仕事は大半がブルシット・ジョブ。児童生徒も与えられた課題をそつなくこなすことが過大に評価されて、自ら新しいアイデアを考えることは嫌われる。イノベーションを起こす可能性のある人材を潰すことに精を出しているとしか思われない。
そこを反転させて、先生には自主研修の時間を大幅に与え、児童生徒には学習の自由を大幅に認める教育制度に変えなければ、日本の科学技術は発展せず、どんどん後進国へ滑り落ちていくのは自明だ。ああそれなのに、学習履歴のデジタル化などといった時代錯誤な政策を打ち出すとは、日本の崩壊もいよいよ秒読みに入ったのかもしれない。