日々馬道楽

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海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年(下)を読みました。

2011年11月27日 23時27分48秒 | 日記・エッセイ・コラム

海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年(下)を読みました。

トルコの台頭、フランス、スペインの狭間でしたたかに生き抜きつつ
海軍力では常に強国でありつづけ、地中海ではトルコ海軍と対し続けます。
(この話は、以前読んだ、ローマ亡き後の地中海世界の方が詳しいです)
トルコを破った、レパントの海戦時、スペインの無敵艦隊が有名ですが、
実は半数以上はヴェネツィアの艦隊でした。

大航海時代で、香辛料の交易の独占が怪しくなったり、トルコの台頭で交易ができにくくなるなどの時代に流れに沿って、交易中心から、ガラス、絹織物、毛織物などの手工業、イタリア本土に領土を持つようになってからは農業経営にも手を伸ばします。

これらの動きを国全体で、特定の指導者・個人に頼ることなく実現してきた国の仕組みはすごいものだと感じます。
聖地巡礼パック旅行と題された章、聖地巡礼の旅人たちを快適に効率よく安全にエルサレムに連れて行き、ヴェネツィアの利益につなげるかの話は実に面白かった。
貴族階級が政治を担当し、どう選択すれば国の利益になるか国の危機を回避できるか、他国の動き、世の中の動きを分析しつつ、国のかじ取りを進めていく。

そんなヴェネツィアも、ナポレオンに占領される頃には、決断ができない国家になってしまっていました。
1世紀程度は平和な時代が続いたのもありますし、
貴族階級が人材を輩出できにくくなったこともあります。
交易中心の頃には、貴族の師弟は海外で数十年暮らしてから(海外の状況を肌で感じ)本土に戻るのが普通であったし、
資産がないものも、船員をしながら金を借り商売を覚え、資産を築くことができる状況があった。
手工業が中心になってからは、ある程度は資本が必要なため、資産がないものとあるものの格差が広がり、その格差を埋めることは難しくなっていきました。

イタリア本土に農場経営するものも増え、本土さえ占領されず、海にさえ出られれば、問題なかった時代ではなくなってしまっていたのです。

以前読んだローマ人の物語でも、国全体で見た場合、ひとつの面で良いと思ったことも、違う面では悪影響を与えることもあったのを思い出しました。