への次郎が行く

カメラと地図を片手に気ままに出かけます。

寅さん第22作 木曽の橋②

2022年05月08日 | 寅さん

桃山橋(長野県木曽郡上松町大字荻原) 

映画】 

その後、寅さんと颷一郎はタクシーに乗って、大桑村野尻の妙覚寺から、大桑村須原の定勝寺に移動します。その途中で、もう一つの特徴的な橋を渡ります。それがこの橋です。

対岸を左方向から来たタクシーが吊り橋を渡ります。この吊り橋、少し変わった構造をしています。木曽川流域でよく見るコンクリート製の主塔で橋を支えるものではありません。鉄骨で支えています。

この吊り橋、木曽川に架けられた桃山橋で、大桑村から約10㎞北に移動した上松町にありました。

 

 

現在】 

大桑村から国道19号を北上し、上松町に入ってすぐのところに万場信号があります。その信号を木曽川方向に左折すると、

 

すぐに現れるのが桃山橋です。橋は1986年(昭和61年)に架け替えられていて、アーチ橋になっていました。

先代の吊り橋だった桃山橋は、右に見える桜の木のすぐ右側に架かっていました。ここが映画の撮影現場ですが、その根拠は、現在の橋の右側で見つかりました。右側に移動してみると、

 

現在の桃山橋より、2メートル程度落ち込んだ場所がありました。ここを確認すると、

右側にコンクリート製の擁壁があって、その向こうに支柱6本、その右に白い看板があります。左側には支柱5本があって、左手前は左に向かってカーブになっています。

映画で確認しましょう。橋を渡り切ったタクシーがここで、左方向に曲がって行きます。タクシーの右側にコンクリート製の擁壁、その向こうに支柱6本と白いガードレール、ガードレールの右側に白い看板、さらにその右に橋を支えていた3本の太いワイヤーが映っています。左側のガードレールは、橋の構造物があるため、右側より短くなっているようです。

現状は映画とほぼ一致しました。ここにあの吊り橋は架かっていたようです。

 

下におりて詳しく確認しました。

コンクリート製の擁壁の前にあったものは、白いガードレールでした。取り外されたあと、放置されたのでしょうか。

 

擁壁の向こうに支柱が6本。右側には白い看板。左側には支柱が5本。地域住民が植えたのでしょうか、レンギョウとシバザクラが咲いていました。

 

白い看板は、川の増水を警告する関西電力の看板でした。

 

コンクリート製の擁壁を川側(吊り橋側)から見ると、赤丸のところに、吊り橋を支えていたと思われる太いワイヤー1本の切断痕がありました。

 

拡大したものがこれです。

 

以上の痕跡から、撮影が行われた吊り橋は、ここに架かっていたと判断しました。

 

現在の橋を向こう側に渡ってみました。橋の真ん中で、木曽川の上流方向を撮影しました。このあたりの木曽川はかなり上流ですが、映画に映っていたように、大きな石がごろごろしていました。

 

これは、対岸で吊り橋を支えていた構造物です。

吊り橋を渡った道は、白いガードレールが見えるあたりから左側にカーブしながら県道につながっていたようです。

 

橋を渡り切って、対岸を見ました。吊り橋は現在の橋に平行に、このガードレールのところに架けられていて、右に90度カーブして県道に接続していたようです。このあたりは、現在の橋と同じ高さですから、盛土されたのでしょう。

 

橋を引き返し、今回の撮影場所を確認しました。右の道は、橋を渡ってきて万場の信号につながる県道。左の道は、地区の集会所のような建物に続く誘導路です。今回の撮影は、この誘導路でしました。

 

最後に、誘導路の後ろの一段高い畑に上り、全体を見ました。映画の中でタクシーは、吊り橋を渡ったあと、手前のガードレールの下で左に90度曲がりながら、万場の信号に向かったのでしょう。ここは、S字カーブの緩い上り坂になっていたようです。

 

では最後に、地図で位置を確認しましょう。

オレンジ線が旧桃山橋が架かっていたところで、今回の撮影場所は黄点のところです。

 

 

寅さんの第22作噂の寅次郎』が公開されたのは、1978年の冬です。映画が公開されて、すでに43年になります。映画に出てくる特徴ある木曽の2つの橋は、ともに架け替えられていて、新しい橋になっていました。橋について地域住民の証言が欲しかったため、2つの橋の近くで聞きましたが、事情を知る人はいませんでした。ただ山など周囲の景観や残された橋の構造物等の痕跡などから、2つの橋が架かっていた場所は、特定できたと考えました。