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への次郎が行く

カメラと地図を片手に気ままに出かけます。

半世紀近く前の卒業旅行  房総

2025年03月18日 | 古い写真

への次郎 「懐かしいなぁ・・・

 

大学生の頃の一時期、この近くに通っていました。

千代田区九段写っているのは、同級生です。

 

一年間の学習を終え、仕上げは演劇発表。

無事終わり、年齢バラバラの同級生や先生たちとパチリ。

奥さん 「劇団の人みたいだね

 

卒業後、同級生と一泊二日の房総旅行に出発。今でいう卒業旅行です。出てきた写真から、この旅を振り返りましました。

 

 

出発駅に「よう」の文字。

奥さん 「東京駅じゃない?

確かに、当時は「とうきよう」でした。

 

出発しました。

への次郎 「普通電車で行ったんだね

 

当時の時刻表を見ると、房総へは内房線と外房線の2ルート。おそらく乗ったのは外房線。一回乗り換えて、片道3時間超でした。

 

への次郎 「そうそう、この旅館

 途中、どこも寄らなかったみたいですね。

 

大錦荘」の文字が見えます。

検索したら、場所は千葉県鴨川市。当時は国民宿舎でしたが、もうありませんでした。

 

奥さん 「何食べたの?

食事の写真はなく、あったのは、何枚かの宴会の写真。

 

大部屋に皆で雑魚寝をした記憶があります。

への次郎 「この部屋だったのか・・・

 

 

翌日です。菜の花が咲く中、

どこへ向かったかというと・・・

 

ここの小島。仁右衛門島です。

への次郎 「小舟で渡ったようだね

 

上陸してパチリ。

写真撮影のあとは、

 

小さい島内を散策したようです。

奥さん 「岩がゴロゴロだね

 

写真は、ここまでしかありませんでした。

 

 

グーグルマップで位置関係を確認しました。

旅館は右上の赤い印、小島は左下の2駅先。

帰りもおそらく普通電車。この辺りでランチをし、帰途についたのではないでしょうか。

 

学業とアルバイト中心の学生時代、数少ない旅の一つでした。

                                              


懐かしい葛飾堀切のラッキー通り

2025年02月18日 | 古い写真

大学生のころ、最初、葛飾区堀切ラッキー通りに住んでいました。

 

当時の写真が出てきました。

1970年代半ばのもの。

 

奥さん 「ここは、どこ?

への次郎 「ラッキー通りの西入口

奥さん  「時代を感じるね

 

この辺りが通りの真ん中です。住んでいたのはこの近くで、

左路地奥の定食屋ときわによく通いました。

 

通りの東側の入口から、西を見ています。

への次郎 「この近くだよ、銭湯

 

東西300mのこの通り、夏になると商店街主催の祭りがありました。

奥さん  「自分の部屋から?

への次郎 「いや。友達のとこ

 

そう云えばこのころ、通りにコンビニができて。珍しくて見に行きました。でも、高くて何も買えませんでした。

奥さん 「そうそう、高かった

 

ラッキー通りの最寄り駅は、京成電鉄の堀切菖蒲園駅

上野行に乗り、町屋から地下鉄千代田線に乗り換えて大学に通っていました。

 

への次郎 「懐かしいなぁ・・・

葛飾堀切のラッキー通り、急に気になってきました。

                                          


懐かしい同級生の顔顔

2025年01月16日 | 古い写真

奥さん  「買えたの?

への次郎 「買えたよ

 

駅に行って、レンタカー付の切符を買ってきました。

 

新幹線による帰省、久しぶりです。

への次郎 「こんなに高かった?

切符のお値段が気になりました。

 

 

この日のランチは、駅弁です。

駅からの帰りにスーパーに寄ったら売っていて、つい、手が出ました。

への次郎 「瀬戸内の味覚だ

 

ランチあと、卒業アルバムを出しました。最近、頻繁に開いているのは、

中学校の同窓会出席に向け、顔と名前を覚えるためです。

 

1ページ目は木造校舎の本館棟(管理棟)。

奥さん  「昔の校舎、趣があったよね

への次郎 「そう、そう

 

教職員の写真の次の3ページ目、クラス写真です。50年前の顔、懐かしい顔顔・・・。

奥さん  「どこ?

への次郎 「ここ

奥さん  「えっ!

 

「えっ!」って、どういう意味なんでしょう? 聞き返せませんでした。

 

顔と名前を覚えるこの予習、最近、頻繁にやっていますが・・・、役立つんでしょうか?

                                             


半世紀前の葛飾堀切菖蒲園

2024年08月29日 | 古い写真

もう半世紀も前、大学進学のために上京し、葛飾区堀切に住みました。最寄りの駅は、京成電鉄堀切菖蒲園駅

 

当時、駅の名前から、近くに菖蒲園があるんだろうとは思っていました。しかし、行ったことがあったのかどうか、記憶がはっきりしませんでした。

 

この夏、古い写真を整理していたら、その菖蒲園の写真が出てきました。

 

 

そうそう、こんな感じだった

この光景は、覚えています。「菖蒲まつり」の時期には、駅から誘導するように、道に提灯が吊り下げられていました。

 

正面突き当りに「堀切菖蒲園」と書かれた看板が写っています。

入口の近くです。菖蒲の時期には、道路の両側にお店が出ていたんですね。

 

当時は、入口に大きな太い門柱が立っていました。

これは、おそらく冬に行った時の写真でしょう。奥に雪つりが見えます。

 

「菖蒲まつり」の時期の園内の光景です。

 

半世紀前の堀切菖蒲園の写真、これを見ると何度か行っているようですね。でも、これを見ても、行った記憶がどうしてもよみがえりませんでした。

 

おそらく菖蒲園の近くに住んでいるということで、そんなに気もないのに、行ってみたんだと思います。

今はどうなっているのかなぁ・・・

                                          


懐かしい神田駿河台と中央大学

2024年08月13日 | 古い写真

奥さん  「えっ!? 御茶ノ水?

への次郎 「そう。駅を出たところ

 

古い写真を整理していたら、セピア色になった懐かしい写真が出てきました。

 

国鉄御茶ノ水駅聖橋口を出て、交差点を渡ったところです。

左端に地下鉄千代田線新御茶ノ水駅の入口があります。季節は

 

このあたりは神田駿河台といって、高台になっています。

道なりに下っていくと、向かい側にニコライ堂が見えてきました。

 

日本最大の正教会の大聖堂です。

ニコライ堂の真下の道、数えきれないほど歩きました。

 

この先の道は、緩いカーブになって下っていきます。

日曜日の朝なのでしょうか、駅の近くなのに人がほとんど写っていません。

 

緩いカーブを曲がりきったところです。右前方の建物は、日大理工学部校舎です。

道路をよく見ると、一部が凍っています。薄っすらと、雪でも降ったのか。

 

手前が日大理工学部の校舎ですが、同じ高さの向こうの建物、

日大ではありません。母校です。母校の5号館です。

 

手前が5号館、その向こうは中央図書館

5号館の右並びには、4号館大講堂・3号館。さらに進むと、明治大学があります。

 

中央図書館です。右隅に、ちらっと見えるのは、

4号館でしょうか。

 

中央図書館の左奥に見えるのが1号館

 

1号館の奥には、中庭を囲むようにコの字型をした2号館がありました。

目の前の道路を向こうに渡ると、

 

そこが母校の正門。母校とは、中央大学です。

この日、正門は閉じられていたんですね。

 

写真は、ここで終わっていました。

 

正門が閉じられた最後の写真、じっと見ていたら、なんとなく思い出してきました。母校の校舎の解体が始まるという新聞記事を見て、最後の姿を見に行ったことがあります。その時の写真でしょう。時期は、1979年の3月末か。

 

 

人生で一番自由な時でした。その時期を過ごした母校、今ここにはありません。学内の反対を押し切り、八王子に移転しました。しかし移転から半世紀もしない2023年、一部の学部を都心に戻しました。思うにこの八王子移転、失敗でした。

母校の発展のためには、残りの学部も早く都心に戻さなければいけません。しかし、どこに広大な土地があるのでしょうか。移転を決定した当時の経営陣、眼力がありませんでした。

 

奥さん  「懐かしい姿だね

への次郎 「どうなったかなぁ、跡地