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への次郎が行く

カメラと地図を片手に気ままに出かけます。

道の駅・もっくる新城 

2024年03月31日 | 道の駅

春休みになって、孫が来ています。ただ菜種梅雨が続き、どこにも出かけることができませんでした。

 

この日、久しぶりの晴天。高速道に乗って、遠出をしました。やって来たのは愛知県新城市(しんしろし)。

 

新東名新城インターでおりると、

道の駅・もっくる新城がありました。

 

ちょうど昼時、駐車場はほぼ満車。シニアと小学生で賑わっていました。

 

ドームの形をした駅舎に向かって行くと、入口頭上に看板。

への次郎ここは、鶏の町だって

 

駅舎に入ると、

地元の野菜や物産が多数並んでいましたが、その左には、

 

たくさんの卵!

奥さん養鶏が盛んなんだね

 

奥に進むと、レストランがありました。

 

券売機の足元には、立て看メニュー。

への次郎地元の鶏だね

奥さん 「食べ比べてみようか

 

三石鶏セット(900円)はこれ。

手前にチキンカツ、右は大きなお椀に具材たっぷりの鶏汁、卵は温泉卵。

 

こっちは鶏プルセット(900円)。

真ん中に唐揚げ。左は鶏トロを使った鶏飯で、右は鶏うどん。

 

孫はちょっと口に合わなくて、

大きなウィンナーが入ったホットドッグ(650円)にしました。

 

鶏づくしに満足、満腹。お腹が満たされ、孫を連れ用を足しに、

 

トイレに行ってビックリ! 思わずパチリ。

便器と便器のこの間隔!

 

各便器には武将の簡単な紹介文もついていました。

                                    つづく

                                              


1970年代後半の浅草

2024年03月27日 | 古い写真

古い写真を整理していたら、50年近く前の浅草の写真が出てきました。

 

当時、若者が好んだ街は新宿渋谷池袋。若者が浅草に遊びに行くことは、ほとんどありませんでした。ただ東京に出て最初住んだのが葛飾区で、浅草から比較的近かったため、ごくたまに行くことはありました。

 

この日、おそらく東武電車に乗って、友人とやって来たんだと思います。

 

これは浅草のシンボル、雷門につるされた大提灯です。

左に立て看があって、「浅草春の観光祭」と書いてあります。調べたら、この祭は現在でもあって、3月中旬~5月上旬に開催されています。写っている人たちの身なりから、4月でしょうか。

 

雷門をくぐると、仲見世通りがまっすぐ伸びています。

 

通りの両サイドには、当時も土産物屋がずらっと軒を連ねていました。

多くの人が写っています。この日は、日曜日でしょうか。

 

今では平日でも、外国人観光客がたくさん来ていますが、

当時は、彼らを見ることはほとんどありませんでした。

 

仲見世通りを通り抜けると、また大きな提灯がぶら下がっていました。宝蔵門です。

この門をくぐると、浅草寺(せんそうじ)の境内。

 

境内に入ると、前方に本堂

左に咲いているのは、? じゃ、4月上旬ですね。

 

本堂の方に進むと、常香炉があって、みなさん煙を浴びていました。

への次郎も煙を浴びて、本堂へ。

 

お参りを済ませ、本堂から境内に下りてきました。前方に見えるのが宝蔵門です。

このあと、どこへ行ったんでしょうか。まったく記憶にありません。

 

1970年代後半の浅草でした。

                                              


"春の妖精"カタクリに会えました

2024年03月24日 | 

豊田市足助参州楼でランチをしたあと、カタクリの群生地にやって来ました。

 

駐車場向かいの山は紅葉の名所ですが、春はカタクリの花が咲きます。

 

カタクリ山への入口はここです。

斜面を登って行ったら、

 

奥さん 「あそこ!

への次郎ほとんど咲いていないね

 

上の方に、カメラを構えている人がいました。

行ってみると、

 

開いてはいましたが、うつむき加減。

さらに上の方に行ってみると、

 

光を浴びて、きれいに咲いていました!

 

こっちにも。

その近くには、

 

全開も!

でも、たくさんは咲いていませんでした。

 

下っていく方を見ましたが、

奥さん 「ん・・・

 

下りて行くと、

咲いているのはあるんだけど、一面に咲いているところはありませんでした。

 

そんななか、今年も見つけました白色カタクリ

 

出口に近いところに下りてきました。

立て看板の近くには、咲いているカタクリはありませんでした。山全体で、二、三分咲きですかね。

 

カタクリ山から下りてきて、遊歩道を少し奥に行ってみました。

 

奥さん 「あの花、何?

への次郎ミツマタだね

 

春を告げる花、もう一種類ありました。

                                       


参州楼  豊田市足助

2024年03月21日 | ランチ

晴天になったこの日、豊田市足助に向かって車を走らせました。

 

お目当ては"春の妖精"カタクリの花です。そろそろ見ごろじゃないかと思って。

 

走っていたら、途中、のようなものがあったので、停車。

見たら、西中金駅と書いてありました。右に回ってみると、

 

廃線のようですが、整備されていて、

線路は豊田市の中心部に向かって伸びていました。

 

ホームに上がって、反対方向の足助の方向を見ると、

線路は、前方の愛車の横のあたりで途切れていました。

 

家に帰って調べたら、名鉄三河線でした。豊田寄りの猿投(さなげ)から、西中金駅まで8.6㌔は、2004年に廃線になっていました。線路が足助に伸びることはなかったんですね。

 

 

足助の古い町並みに着きました。ちょうど昼時。まずは腹ごしらえです。

 

やって来たのは、こちら参州楼(さんしゅうろう)。

入口にメニューがありましたが、読んでもよく分かりませんでした。

 

中に入って、テーブル席に着いて、店内を観察。

向かいに厨房があって、右手はビュッフェコーナーでした。

 

店員さんの説明を聞き、メイン料理を

24豚(にしとん)柔らかトンカツと、ミックスフライにしました。

 

続いてビュッフェコーナーに行って、

右回りに、十数種類の野菜総菜をとって、

 

テーブルに置いたら、

タイミングよく、メイン料理が出てきました。

 

こっちが24豚柔らかトンカツで、

こっちはミックスフライ

 

こちらの売りは、「足助の野菜ソムリエ」が選んだこだわりの野菜と豚です。豚は「あすけ24豚(にしとん)」といって、厳選した三元豚のロース部位を24時間低温調理し、箸で切れるほど柔らかく仕上げたものでした。

 

柔らかい豚と、新鮮な野菜をたっぷりいただいて、外に出てきました。

時計を見たら12時半。カタクリの花が開く、いい時刻になっていました。

                                  つづく

                                             


懐かしい福塩線(1970年代後半)

2024年03月15日 | 古い写真

物置から出てきた古い写真を見ていました。

 

奥さん 「どこの駅?

への次郎福山駅。福塩線のホーム

 

写真からは読み取ませんが、電車の前面に付いている行先板に「福山⇔府中」と書いてあります。

 

1970年代前半、福塩線の電車に乗って高校に通っていました。でもこの電車、乗った記憶がありません。調べたら、この電車が走っていたのは、1977年からのわずか3年間でした。

 

奥さん 通学時に乗った電車は?

への次郎こっち

 

3年間乗ったので、雑誌の表紙を見ただけで、撮影場所も分かりました。横尾駅のすぐ南にある踏切を通過する福山行です。

 

この電車、戦前に製造されたもの。車内はふんだんに木が使われていて、床、壁、座席の枠などが木製でした。ときどき床に、ワックスが塗り直されていましたが、その時の臭い、いまでも思い出せます。

 

への次郎時々、気動車にも乗ったよ

奥さん 「電化されてるでしょ、福塩線

 

当時、一日2本、午前中と夕方に福山発の気動車があったんです(オレンジ線と黄線)。

帰宅時によく乗ったのは、17:53発の気動車(黄線)。実はこの気動車、遠く三次駅から福山駅に走って来て、福山駅から三次駅に引き返し、そこから広島駅まで行っていました。

 

への次郎この気動車の行先板、あるよ

奥さん 「うちに?

への次郎ほら、これ

 

この気動車、中学校の同級生が何人か乗っていました。みなさん、どうしているのかなぁ。