への次郎が行く

カメラと地図を片手に気ままに出かけます。

はなのこ蕎麦 衣月(いつき) 

2023年09月29日 | ランチ

椛の湖でソバの花を見たあと、近くの蕎麦屋さんにやって来ました。

 

奧さん  「ここ、道の駅だよ

への次郎 「そう。中にあるんだよ蕎麦屋は

 

道の駅きりら坂下に入るとありました、衣月(いつき)さん。

地元の蕎麦粉100%使用のお店とか。入口でメニューを確認し、店内へ。

 

窓際に近い席に座って注文。

入ったときは、店内すきすき。でもこのあと、どんどん席は埋まっていきました。

 

しばらく待って出てきました。奥さんが注文したざるそば880円)。

上にのっている緑の葉っぱ、分かりますか? ソバの葉です。角がきれいに切られた、ちょっと色が濃い二八蕎麦でした。

 

続いてへの次郎の天丼1100円)。

天ぷらは、えび、キス、カボチャ、シソの葉、春菊、ナス、エリンギと天かす。

これで1100円、お値打ちですよね。

 

食べ終わってお茶を飲んでいたら、テーブルの上のこれに気づきました。

奧さん  「心遣いがうれしいわ

への次郎 「ほんとだね。蕎麦と蕎麦湯を一緒に持ってくる店が多いからね

 

蕎麦湯もじっくり味わいました。ごちそうさまでした。

 

 

お店から出てきて、道の駅で情報を収集していたら…

への次郎 「何だろう? このチラシ

奧さん  「えっ?! ここって、もしかして、あの伝説のフォークの聖地?

                                       


ソバの花、満開でした 中津川

2023年09月27日 | 

あちこちからソバの花だよりが届くようになりました。

岐阜県中津川市椛の湖でも、ソバの花が満開になっていると聞き、やって来ました。

 

奧さん  「その先に旗が出ているよ

への次郎 「左に曲がるみたいだね

 

左折して50メートルほど走ると、看板が出ていて、

看板の手前で駐車場にイン。

 

ヒガンバナが咲いている土手。そこを駆け上がると、

 

一面の雪原!

 左手を見ると、

 

まっすぐな道。右奥には、

ちょっとした高台に建物。そこを目指しました。

 

このおじさん、何をしているのかな…。

じつは、ドローンを飛ばしていました。そっと背後を左に回ると

 

急ぎ足で向かう人たち。後をついて行ったら、

 

着きました、建物がある高台。駐車場が向こうに見えます。

 

ここで、花に近づいてパシャ、パシャ、パシャ。

 

奥さん  「ソバの花を見ていたら、ランチはお蕎麦にしたくなったわ

への次郎 「じゃ、引き返そうか、たくさん撮ったし

 

 

引き返していたら、途中に、こんなものが…。

箱の中にはバッテリー。夜、野生動物の侵入を防ぐために、電流を流すようですね。

 

その先には、ヒガンバナと、ネコジャラシと、白っぽい小さな花。

 

花の名前が分からないので、スマホで写真を撮って、

検索機能で調べると…

 

への次郎 「えっ?! ワルナスビだって!

奧さん  「花の形はナスに似ているけど、もうちょっと言い方が…

 

このワルナスビ、家に帰って調べたら、確かに悪い生態をもっていましたよ。こう名付けられたのも、仕方ありません!

                                     


広重 木曽海道六拾九次之内

2023年09月24日 | 鑑賞

奧さん  「今年もやってたんだ

への次郎 「101日までだよ。急がなきゃ

 

ということで、やって来ました岐阜県恵那市中山道広重美術館

 

今回は、「木曽海道六拾九次之内」を揃いで鑑賞できる、年に一度の大展覧会です。

 

しかもこの日はフリーフライデー。地元企業の協力によって、無料で名作を鑑賞できます。

 

ここから入って行って、

 

受付で、フリーフライデー券をもらって進むと、

奧さん  「広重神社だって

への次郎 「へぇ~、こんなのつくったんだ

 

神社に手を合わせ、

 

その先の入口に行くと、

への次郎 「おじさん探しクイズだって

奧さん  「絵を鑑賞しながら、このおじさんたちを探すんだね

 

バインダーに用紙を挟み、鉛筆を持って展示会場に入って行きました。

( この先は撮影できませんでした )

 

 

このおじさん"6人衆"、なかなかの曲者でした。

すんなりとは見つからなくて。展示会場1階と2階を行ったり戻ったり。

 

やっとすべて発見、会場から出てきました。

 

受付に提出したら、

名刺サイズの別のおじさんをもらえました。

 

 

おじさんたちを探していて気づいたんですが、江戸時代の町人のおじさん、着物の裾を腰までまくってますよね。

でも、尻がもろに真後ろから描かれているのって、ないだろうなぁと思っていたら、ありましたよ、1枚。

 

それがこれ、「板橋之驛」です。ほら、右端のおじさん。

リアルというか、自然な描写というか…。

 

この「木曽海道六拾九次之内」、ここ数年、毎年見に来ていますが、何度来ても見ごたえがあります。それに何といってもいいのは、鼻先まで近づいて名作を鑑賞できる点ですね。

 

フリーフライデー、ありがとうございました。

 

                                      


大正村で洋食を食べました 庵道

2023年09月21日 | ランチ

奧さん  「せっかく明智に来たんだから、ここでランチしたら

への次郎 「そうだね。検索してみようか

 

ガラケイからスマホに代えて便利になりました。出先で調べられますから。

 

で、検索の結果、行くことになったのは、こちら。

ランチもやっている喫茶庵道(あんどう)。おそらく店主は、安藤さんなんですよね。

 

11時過ぎに着いたら、店内に多数の客。観光客じゃなく、地元のシニアの皆さん。

 

への次郎 「ランチ、お願いできますか

女店主  「今、モーニングしていて…。ランチは11時40分ごろからなんです

 

この「ごろ」というのが、ちょっと引っ掛かりましたが、出直すことにしました。

 

11時40分に来てみると、客はいませんでした。で、

 

ど真ん中のテーブル席に座り、メニュー拝見。

奧さん  「この絵の描いてあるのが、ここの推しメニューじゃない

への次郎 「なるほど。『洋食の三大メニュー』だね

 

決まりました。

 

への次郎 「オムレツコロッケとハヤシライスでお願いします

女店主  「コロッケ、手作りだから出来ていなくて…

 

「手作りだから出来ていない」。今度はこれに引っ掛かりましたが、スパッとメニューをチェンジ。

 

出てくるまで店内を観察していたら、

 

店主は一人で切り盛りしていました。

右のテーブル席。昔懐かしいインベーダーゲームができるテーブルでした。

 

やっと出てきました。奥さんのオムライス

奧さん  「わぁ! 久しぶりだわ、外でいただくの

への次郎 「すごい量だね

 

卵は恵那市上矢作(かみやはぎ)のこだわり「らんらん卵」を使っていて、この店で一番の人気メニューだそうです。

 

しばらく間があって、への次郎のハヤシライスが出てきました。

奧さん  「味、どう?

への次郎 「野菜がシャキシャキしている。独特だね

おそらく、牛肉と野菜をフライパンでサッと炒めたあと、ご飯にルーをかけ、その上に炒めたものをのせたんでしょう。

 

ごちそうさまでした。

 

本格的な西洋料理が日本に入ってきたのは明治維新以降のこと。その西洋料理を日本風にアレンジしたものが「洋食」。洋食が一気に普及したのは、大正時代だそうです。

 

明智の大正村、洋食が似合う町でした。

 

 

洋食を堪能したあと、外に出て近くを散策していたら、

 

奧さん  「えっ?! ヘボ??

への次郎 「蜂の子だよ。昔はヘボが貴重なたんぱく源だったんだよ、ここは

 

店の軒脇を通り過ぎようとしたら、

 

奧さん  「ほら、ヒロシだって

への次郎 「ぼっちキャンプの食材、ここで買ったのかな

 

ヒロシもキャンプに来た?町、明智でした。

                                    


日本大正村に行きました 明智

2023年09月18日 | 散策

への次郎 「着きました

奧さん  「明治村というのはあるけどね…

 

ここは岐阜県恵那市明智町です。古い町並みや建物が残っていて、日本大正村を名乗っています。

 

無料駐車場の近くにあった観光案内所で、観光マップをもらって、

散策ルートを確認。

 

さぁ、出発! 

まず直進し、突き当りを右にのぼって行き、そこから下りて来て、右に迂回しながら戻って来ることにしました。このコースが古い街並みを効率よく見学できるようです。

 

観光案内所のちょっと先、明智川に架かった橋です。

橋を渡ると、

 

路地があって、大正路地といいます。

黒い防火壁の石畳

ここをまっすぐ進み、南北街道を横切ってさらに行くと、

 

突き当りの手前に古い建物。日本大正村役場です。

この建物、明治39年に建てられた旧町役場の庁舎です。

建物の中はとても狭くて、初代村長高峰三枝子さん、二代目村長司洋子さん、現村長竹下景子さんなどの写真が飾ってありました。

 

その先の突き当りにあったのは、絵画館

明治10年に完成した元小学校。その後、警察署、商工会議所として使われました。

ここも狭く、当時の小学生、少なかったんでしょうね。絵画や書物等の展示がありました。

 

絵画館から道を右にのぼって行くと、

奧さん  「えっ?! あれ?

への次郎 「ヒガンバナだよ。オレンジ色の、早いね

 

さらに進むと、ありましたモダンな洋風建築の大正ロマン館

平成6年オープンの建物で、明智や大正村に関する企画展を年数回催しています(有料)。

 

への次郎が期待していたのは、その右奥にあるこちら、旧三宅家です。

ここ、古いですよ。江戸元禄元年に普請された建物で、近くから移築されたもの。ケヤキをふんだんに使ったカヤ葺き平屋住宅でした。

この日午後、三田寛子さんの息子が主演する映画のロケがあるとのことで、一通り説明を聞き、退散しました。

 

来た道を引き返し、南北街道におりて来ました。

この通りを向こうに歩いて行くと、

 

郵便局の手前に、通信資料館がありました。

明治8年に開局した旧郵便局。左手前に窓口、奥が事務所です。

展示されていた資料によると、明治32年の職員は局長、局員2、配達人3でした。

 

旧郵便局のはす向かいにあったのは、大正村資料館

右が銀行蔵、左が大正の館。館内には大正時代の資料が多数展示されています(有料)。

 

大正の館の隣りに、

奧さん  「ほら、あれ! 明智光秀の家紋じゃない?!

への次郎 「ここは光秀の生誕地とされているからね

 

その先で右に外れ、狭い路地を入って行きました。

 

すると前方に、うかれ横町の看板!

奧さん  「何だろう? あれ

への次郎 「左右の家を結ぶ渡り廊下のようだね

 

明治から昭和初期にかけて、ここ明智は養蚕・製糸産業で栄えたそうです。その当時、この路地は、多数の飲食店が立ち並んだ繁華街だったそうですよ。

 

うかれ横町を通り過ぎて、右に迂回して明智川沿いに出てきました。

川沿いを進むと左前方に、神主さんの袴の色をした屋根が見えてきました。

 

観光駐車場の隣りにあった大正浪漫亭です。

レストランや喫茶店、土産物屋さんが入っていて、

への次郎愛用の茶づけみそも売っていました。一袋購入。

 

この日の気温は35度前後!

あまりの暑さに、昔懐かしい棒アイスを買ってベンチでなめていたら、

 

奧さん  「何? これ

への次郎 「ん??

日陰をつくってくれていた木を見上げたら、2センチ大の真っ赤な実。ヤマボウシでした。

 

日本大正村。大正村といっているけど、明治時代の建物が多数残っていました。