横尾寛と平和の鳩

横尾寛と清水友陽の「平和の鳩」は札幌で演劇を検証し実践。
清水はいろいろと忙しそうだなあ。

intro「蒸発」

2011-11-09 | 観劇した
琴似のパトスで観た。


ああいう、志の高い舞台を俺もやりたいもんだと思う。
ワカナはえらいなあと思った。


すごく、難しいと思いましたけどね。
やろうとしていることが。

俳優の意識と身体のことを創作体として追及しないときっと成立しない、そういうことをやろうとしていた。

もちろん、観ながら岡田さんのチェルフィッチュとの比較は、した。
比較するのはイヤだから、初めはしないようにしてみていたんだが、途中から、した。


俳優が言葉を話す。
言葉を話す人間を、話す行為をデフォルメして表現として置くことと、
全編を通じて行われる、体を掻くような行為(つまりこれは、その場の環境に反応した、無意識の行為として提示されているんだが)、それが繋がって劇的なものとして効果的に現れているようには残念ながら見えなかったんだが、


イトウワカナには、試行錯誤しながら言葉を紡いで「劇」にしていく力がある。
本がイイよね。
うーん、がんばったなー。ワカナ。って、帰りに南参と話した。

ああいう、志の高い舞台を作ろうとする人がいるから、俺も札幌でもちっとがんばろうかなって思いました。