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懐かしのディスコティック・ポイントハッスル HEALING MUSIC

2012年07月20日 10時35分04秒 | 日記
1970年代後半、一世を風靡したディスコティっクは風のように通り過ぎて行った。
あの熱狂ぶりは何だったのか、音楽史的にも心理学的にも興味深い。男女が団子状
態の中で踊り狂うさまは、何かに取りつかれたモノノケのようでもあり、狂乱のさ
なかにある集団ヒステリズムのような風景にも見えた。が、これは偏見であろう。

ディスコは私にも興味深いリズムで、汗だくで踊った後の、爽快感はたまらないも
のであったろう。ディスコティックはアメリカで生まれ、様々なリズムが創られた。
バンプ、ウオーターゲート、オールドマン、ハッスルなどなどである。新しいリズ
ムを習得するためにディスコティックに通い、習得すればそれを披露しにまたディ
スコティックにやってくる。それがディスコティッカーたちの日常であった

数あるディスコティックの中で特にマニアに熱狂的に支持をされたのが「ポイント」
である。アメリカでは一時ポイント一色であるといわれるほどであった。このポイン
ト一色の中でもてはやされていた曲が「ポイントハッスル」である。1975年ビルボー
ド、ディスコティック部門で第9位にランクされていたという。ジミー・ジェームズ
とヴァーガヴォンズのコラボで歌われているこの歌は、リズミカルで力強い。ジミー
の「I am somebody」という曲が有名である。日本に限らず、その当時の世界は、精
神的に働きづくめの時代であり、日常性を離れることで自分の存在感を確かなものに
することができる一つの手段として、ディスコがあった。ディスコティックの中に、
いつもの自分とは違う自分を見つけていたのではないか。まさに、「I am somebody」
がディスコティックのなのだったと思う。なぜ、ディスコティックが衰退していった
か。価値観が変わり、ディスコティックの集団的な一体感が希薄になっていった。つ
まり、集団性が重荷になり、反動が社会的に人間関係を途絶させる方向に動いていく。
人間の心理的な解放感であるべきものが、むしろ、孤独感を助長していく時代へはい
って行ったのだと思う。経済的な変化が大きかったのではないかと思う。だが、音楽
的に見れば、ディスコティックのリズムは、人間の心を揺さぶり続ける力がある。
「I am somebody」をきいていると、時代のさなかにあった生きるための何らかの実
感をつかむ時代であったとしみじみ思う。今は、ただの懐かしさばかりかもしれないが。

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