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ファッションセンスについて

2012-04-15 10:23:07 | 日記
最初の授業中に生徒が質問するよう教授が「ナーンセーンス」に対して「ある扇子」といって扇子を出す恒例行事をしたことがあるが、あのときに任意で必要が少なく、評判の悪かったクラブ活動と言うものに入っておかなければならなかった。
思えば、質問が無いのと友人が出来ないのは同じ原理である。
クラブ活動というのは任意であって、評判を上げるものであって、評判が悪かったら用を成さないので入らないわけだが、なぜ悪い情報がやってきていたのかは分からない。
ファッションは周囲に見えるものなので、何らかの自分の考えと言うものがわかるようになっていたほうが用をなすし、目立ったほうが覚えるし、悪いことをしているといわれても、隠れないで目立つので実際のところ自分に暗いところがないと反骨精神を表明しているような感じがする。
ただ、周囲から浮き立つのも癪に障るのは確かだと思う。
入り組んだ構造になっているが、私は更にそれに反発し、要点のような、「清潔感・ステータス・周囲との協調」といったものからことごとく外しまくっている。
無意識だったのだが、昔、女の子に押入れにしまってある和服を着せようとして拒否された傷によるもののような気がする。
最近、「グリザイアの果実」の入巣蒔菜のファッションが気に入っていた。

ただ、自分に近づいたりはしないだろうことがわかる。
自分を拒否した人間のシグネチャにもファッションはなるので、知ってないと悪い予期になってしまうように思う。


作成している人間と中に居る人間とプレイしている人間の現実世界での干渉の仕方に非常にに憂慮していて、中に書いてある事を状況が許せば実現しようと動き出すのだとおもっていたし、中に居る人間があまりクラブに居ない気がしていた。
また、「不気味の谷」によるものか購入できる年代の大学生の現状を直接描写したようなのが見当たらないのが気に入らなかった。
中に居る人物や周囲と自分の頭の中の言葉の乖離が激しく、関わった人の経緯から、栃木弁と大阪弁と宮城弁の混ざったものになっていてどれにも感情移入できていないことに気づくのが遅かった。

人間の脳では、ほぼ絶対に「2つ以上の関係のことを同時に同じ部位では処理できない」という物理的に正しい現象が発生していてほぼ間違いなく人と違うことに集中していると知的障害を疑われるほどに人と同じものを物を覚えず、思い出さなくなり、考えなくなる。
聖徳太子の話は虚構である。
大抵が同じ事を考えさせて嫌悪感や不安をなくすようにする義務を感じない相手となった私であるが、世の中の大半は自分のそばに居ないし、放送エリアや検索エンジン、見るページが違うことに思い至って欲しい。

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