ゲーム(特にギャルゲー)の中にいる女性が自分より20才くらい年上のおばさんに見える事に気がついた。
最近の女性は少女漫画でさえヤバイと思っているのに、25年位前には本当に少女マンガを読み、ファミコンを趣味にしている女性の様な人でもリアルに内容物の様な事をやって居たことが記録として残っている。
作品内の人の意識がバブル崩壊前で、暴対法前で、ネットが普及する前であると言った感じが20年前からそのままであり、髪がロングの女のひとがそこらへんにごっちゃり居たという印象がそのままであるので消費者はおのずとおじさんである可能性も思い浮かぶ。
髪を結っていなければ女性の髪は当然長かったわけでもしかすると長い女性というのは髪を結う習慣が微妙に引き続いた結果かもわからない。
髪が長い方が作品の商業価値が高いということは現実世界でも同じ可能性があるのだがやはり大変なのでやってもらえたりしないと思う。
性差を特徴づける部分を強調した方が価値が高く感じるのではないかと思っているが、男の髭はなぜかダメだったり本能ではないらしいというのが明白ではある。
それと、アクティブすぎる。
確かに親戚の男女交際をしている20年前の女子高生は壊れたテレビを直す方法として空手チョップを教えてくれたが本当にその当時は人間はそんな感じだったと思うが、今ではタブーである。
やっていたことが後で法規制の対象になって無くなっていたり、情報環境が著しく変わっていたりするとまったく違う感じになるのだが、実際に起こってしまった時に、作用が想像もできないくらいに早く大きいので、統計というデータからは想像が出来ないものになる。
たとえば、道頓堀に落ちて死ぬ人が時々日本にもいるわけだが、それは確率統計的な問題というよりもそこに行ってそこから落ちると水から上がれなければ高い頻度で死ぬ事を意味していて、人が阪神タイガースが優勝したりで、道頓堀に集団で飛び降りる事を企てる可能性もあるわけで、実際にそれをやって柵が出来て落ちる人が居なくなったわけだから当然統計は当てにならない。
実際には人間はランダムな動きをしてそこにたどり着いたわけでなく、人間の意志によってある程度変えられるもの物に正規分布を当てはめる事自体が誤りであるので、正規分布になったテストを見るときにそのテストは本来的に人間には不可能なのではないかと疑った方が良いと思う。
正規分布にならないテストよりも正規分布になったテストの方が信頼が低いというのはありえない話だが人間の動きからはそう言える。
知識問題は特にそうなのだが、覚えていなければ確実にどんなに身心的能力が優れていても出来ないということは知っておいた方が良い。
人間の行動というのは環境によって大きく変わるのだが、それが毎日実証されて、それが出来ないと怒られているのに未だにありえないことになっているのはどうしてだろうかと思う。
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