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ライトノベルでは学業や就職での作文・小論文において書いてはいけないことを書く

2014-06-10 21:37:35 | 日記

 就職活動をしていて、其の辺に置いてあったライトノベルを眺めて気が付いたことがある。それは、学校や就職活動において課される作文・小論文において題材として多くの解説書において不適切な幼少期から高校生についてのことや恋愛、宗教や信仰、主義、軍事などの話題にについて扱っているということである。
 それらの題材がなぜ、学業や職業において必要とされるスキルを測る作文・小論文において避けなければならないのかといえば、仕事や法的な業務のようなパブリックな行為と家庭や個人のプライベートな行為は分けて考えるべきであり、切り離して考えたり、個人的にも不都合な考え・経験を有していない人には仕事や教育をすることが出来ないし行わないと考えるのが一般的であろうと考えられているからである。
 ライトノベルというのは大抵高校生ぐらいの男女のバトルやら恋愛やら、感情的な話やらが中心で実生活どころかその分野でも使えるものを意図的に省いたとしか考えられない内容を中心とし、デフォルメが過ぎる絵が挿絵として付いている物が多い主に角川・講談社・集英社系列のようなコミックスを出版している出版社がアニメ化や漫画化などのメディアミックスを頻繁に行いながら出版している小説である。その小説はもっぱら余暇に読むものとされており(個人的な意見としてはあまり長い時間その小説を読んでいるのは余暇にすらならない気がするが・・・)、仕事や学業とは関係ないとされているわけで、その発想から意図的に公式なものとされるものでは顧みられたり、扱われないような先に述べた児童・学童期の経験や恋愛、宗教、使えない発想などの内容を扱っているのだと私は考えている。
 私にとって昔からの関心事なのは、パブリックの中心が動いたことである。もともとのパブリックの中心は多くの国で70~80年ぐらい前まで宗教や信仰、主義、軍事、恋愛・結婚にあった。日本でも戦中に私たちの先祖の大半は天皇を崇拝し、明らかに実在のものとして神仏を扱っていて、それを主義とし、その下で軍事を指揮して、職業的なつながりやその地位、他人との付き合いによって結婚していたのである。現在の仕事というのはその社会においては地位が高いとみられてはいなかった技術的問題というのが大半であり、現状として論理的でない要素や個人的な動きは利益を得るのにしばしば不都合なので高頻度で排除される。
 私見だが、日本人も多くのヨーロッパの国もかつて職業から個人の生活まで一つのキリスト教のような共通の考えによって一貫して行為していることが普通であり、個人の生活上の規則や善し悪しと職業上の規則や善し悪しが分離しておらず、そこから引き続いて、現在においても仕事や商売は自己の生存や生活を同じ社会にいる自分を含む人に対して有益な活動を行った見返りによる利益により強く保証する仕組みとして大体は機能しているわけで、仕事や商売の対象者に自分や関係者が含まれる以上、仕事の性質やその見返り、有益性を個人から分離して考え、その考え方や規則を変えること自体が多少不自然なことだと私は先ほど考えついた。もともとの歴史的に連続性のある状態が論理的であることの意味が変化して、どう論理的に考えても正しくなかったために多く場合にそうなったのではないかと思うのだが、人によりけりであってどこでどうなっているかはわからない。
 私はライトノベルではそのように歴史的な論理性と生活空間や学校における論理性が矛盾を持っていると感じられない人間にとって自然に感じていた状態を描写しているように感じて読んでいる。それがライトノベルでは学業や就職での作文・小論文において書いてはいけないことを書いて評価される原因ではないだろうか。しかし、私としては現実的に触れられない物や目に付かないものに関して言葉を使って書くのは信頼性や没入感を減らす働きがある気がしている。
 電撃文庫のライトノベルの後ろには以下のような文章が載っている。

 文庫は、我が国にとどまらず、世界の書籍の流れ中で"小さな巨人"としての地位を築いてきた。古今東西の名著を、廉価で手に入りやすい形で提供してきたからこそ、人は文庫を自分の師として、また青春の思い出として、語りついできたのである。
 その源を、文化的にはドイツのレクラム文庫に求めるにせよ、規模の上でイギリスのペンギンブックに求めるにせよ、いま文庫は知識人の多様化に従って、ますますその意義を大きくしていると言ってよい。
 文庫出版の意味するものは、激動の現代のみならず将来にわたって、大きくなることはあっても、小さくなることはないであろう。
 「電撃文庫」は、そのように多様化した対象に応え、歴史に耐えうる作品を収録するのはもちろん、新しい世紀を迎えるにあたって
既成の枠を超える新鮮で強烈なアイ・オープナーにたりたい。
 その特異さ故に、この存在は、かつて文庫がはじめて出版業界に登場した時と、同じ戸惑いを読書人に与えるかも知れない。
 しかし、時代は変わって、出版も変わる。時を重ねるなかで、精神の糧として、心の一隅を占めるものとして、次なる文化の担い手の若者たちに確かな評価を得られると信じて、ここに「電撃文庫」を出版する。

 この考えに合致したものを良い作品であると認めて出版しようとする出版社の人は少ないと思うが、書いて、広く宣伝しているとそのうち、実際の適切な行動が作品のイメージに合致するように人間が行動し始めることもこともありえなくもないので、現実との連続性を意図的に絶ったような不快感のないライトノベルを上記の文言に従って長生きするために書いて欲しい気がする。



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