chargeのブログ

人のブログを見て真似して書いていきます。似たブログを見つけたら教えてください。

1月28日(木)のつぶやき

2016-01-29 05:49:50 | 日記

先輩の遺産を継承できる人間になるには先人を敬う必要性を感じ、自らもそうされたいと望む人が多いが、先輩の遺産が借金や失敗であることは多い。 本当にやりたいのかと問いたい


負債も継承する態度は生きるのに重要


負債をどうにかする動きが生きるということ



友達の有無

2016-01-29 01:33:35 | 日記
  学校や会社にいる時間というのは長い。朝8時半ぐらいから午後6時まで同じ人の横に座って仕事や何やらを繰り返しているわけだが、そこで気になるのは友達の有無である。友人というのは、気心の知れた間柄を言うのであって、非言語の体感的なものを共有するには同じ時に同じ場所で同じもの感じ取らなければならない。目の前に長時間座っている人がいるということはそれができているのは自分なのであって、その人の友人となる有力候補で間違いないと言え、SNSでしか対話していない友人よりははるかに物理的に近しく、相手にとって具体的に頼りとなる存在であることは絶対的である。
そこから、友人というものが故郷に居たり、半年に一度ほど休みの日にあったりしていると話すというのは本当に友人関係を形成する能力が高いといえるのかという疑問が時々生じている。しなければならないことが意外にある休みの日まで人を追っかけて友達がいないか探るのは面倒すぎるわけだが、その面倒くささを味方につけて、友人などと人間関係を形成する重荷を放棄し、部屋で一人で内職をする喜びを味わっている可能性があるのだと思うと微妙に見てみたくなる。
自分はSNSでの友人の数というのは、目の前に具体的な友人が少ないことの反映のように時々感じることがある。なので、シングルサインオンでログインするために用いているSNSのアカウントな内容を元々下手であるのにより下手にしている。人に教えているのに言及する者はおらず、具体的な友人もおらず、良かったことは一度もないが、それほど悪い感じではないと自分では感じる。
 近く、同窓会が開かれるといううわさが私が参加するSNSで囁かれているが、昔は頻繁に行われていた同窓会が、今も同様に行われ、親の世代と同様に後輩も社会的発達を遂げているという幻想を見せる罠ではないかと睨んでいる。精神医学と同様の仕組みで多数の同級生を犠牲にして何らかのアドバンテージを得ようとしているように思えてならない。私は罠にとらわれやすいので事態が余計に悪くなるので出席しないが、そうでない人は出て罠にかかってみるのも良いことかもしれない。

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