最近、目の前に発売日未定のゲームの広告がやってきた。以前に記事を書いた「千の刃濤、桃花染の皇姫」というゲームである。その時も青年向けなのかと思ったのだが、やはり成人向けらしい。自分は生まれてこの方、数本のゲームしかせず、生まれて初めて人からもらった、「GO!GO!ACKMAN」というゲーム以外、どれも完全クリアしなかった人なので、ゲームは買わないことにしている。私は買わないが誰か休みのときにやってほしいと思う。
そのゲームも完全なるフィクションであるわけだが、やはり人間の性として完全にオリジナルな概念で構成するにまではフィクション性は深くなっておらず、人は人の形に見えるし、男女の容姿は異なって見え、時々、何も着ていないこともあるが大体の場合は服を着ている。皇帝という概念を持ちいて、二千年以上続く国家の支配者を標榜し、日本刀のような片刃の刀を構え、服がドレスと和服の中間の様なものであったりするらしく、それらは日本と大きく異なるにも関わらず、似た国は日本しかない。先頃、国家が敵に乗っ取られて落ちのびたとかいう風になったのは愛新覚羅ではないかとか言っていたが、ヴィルヘルム2世もそんなことになっていたので何とも言えない。
特に気になったのがトッページに載っているキャッチフレーズ「歴史の果てまで、貫く忠義。」であり、最近、適当なことを言っていた四書五経の礼記と重なって見える。なぜなら、古代の中国文化圏において忠義を尽くすとはすなわち四書五経を学び、実践することをほぼ指したらしいからである。この作品のいたるところに四書五経の言葉がちりばめられている状態を想像してしまう。こころなしか絵柄も礼記の記述に従っているように見えるがそれはなかったことにしようと思う。
通常の概念をまったく用いない、完全オリジナルなものというのが私は時々見たくなる。私は期待から大きく外れた感じで、人の形しておらず時間や認識の仕方も人間と異なっていたほうが作品としてよりよいように感じる。人間の定義した概念以外は自然法則が成立しているとなおよいが、そうでなくても別に構わない。実際にそういう物に出会うと少し嬉しく感じる。しかし、そのような作品はあまり多くない。そんな話が人に好まれるようには思えず、読むほうも書く方も少ないからだと思う。それがかける人間というのは何にせよ相当に悩んだ経験があるというのが一目でわかるので、作品は売れず、ストーリーがエロに偏っていたにしろ、自分には読む価値があると思う。
そのゲームも完全なるフィクションであるわけだが、やはり人間の性として完全にオリジナルな概念で構成するにまではフィクション性は深くなっておらず、人は人の形に見えるし、男女の容姿は異なって見え、時々、何も着ていないこともあるが大体の場合は服を着ている。皇帝という概念を持ちいて、二千年以上続く国家の支配者を標榜し、日本刀のような片刃の刀を構え、服がドレスと和服の中間の様なものであったりするらしく、それらは日本と大きく異なるにも関わらず、似た国は日本しかない。先頃、国家が敵に乗っ取られて落ちのびたとかいう風になったのは愛新覚羅ではないかとか言っていたが、ヴィルヘルム2世もそんなことになっていたので何とも言えない。
特に気になったのがトッページに載っているキャッチフレーズ「歴史の果てまで、貫く忠義。」であり、最近、適当なことを言っていた四書五経の礼記と重なって見える。なぜなら、古代の中国文化圏において忠義を尽くすとはすなわち四書五経を学び、実践することをほぼ指したらしいからである。この作品のいたるところに四書五経の言葉がちりばめられている状態を想像してしまう。こころなしか絵柄も礼記の記述に従っているように見えるがそれはなかったことにしようと思う。
通常の概念をまったく用いない、完全オリジナルなものというのが私は時々見たくなる。私は期待から大きく外れた感じで、人の形しておらず時間や認識の仕方も人間と異なっていたほうが作品としてよりよいように感じる。人間の定義した概念以外は自然法則が成立しているとなおよいが、そうでなくても別に構わない。実際にそういう物に出会うと少し嬉しく感じる。しかし、そのような作品はあまり多くない。そんな話が人に好まれるようには思えず、読むほうも書く方も少ないからだと思う。それがかける人間というのは何にせよ相当に悩んだ経験があるというのが一目でわかるので、作品は売れず、ストーリーがエロに偏っていたにしろ、自分には読む価値があると思う。