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chargeのブログ

人のブログを見て真似して書いていきます。似たブログを見つけたら教えてください。

食べられる菌複合体+真言立川流の本の気になったところ

2013-07-12 12:51:27 | 雑記
  この前、マナという聖書に載ってくる謎の食べ物がイワクラゲなどの陸生ラン藻の仲間であった記憶があり確かめをしたらヨコバイの廃蜜であるとWikipediaに載っていた。
 イワクラゲや地衣類もマナの候補に挙がって良いと思うのだが、そちらの方が有力だとの事で自分は良く知らないし必要物ないので反論しないのだが、砂漠の中での条件からみるとパンを作れるようなものに近いのはそれしかないように思っていた。

  中国では髪菜という髪の毛に似たイワクラゲの仲間が食べられているのだが、成長速度は遅いが空気中の窒素を固定して無機質が過少でも岩から染み出したものや空気中のちりを絡め 取って吸収して増殖するという場所によっては使える特性を持った植物で、モンゴルの新しい産業になるかもしれない可能性を感じる。
 野外で栽培しなくても、栽培技術を確立して特殊なプラントを作れば日本でもどこでも量産は出来そうなのでそうはならないかもしれないが、新しい食材として鈍いヒットをするかもしれない。

 テングノムギメシも連想で思い出して検索したが、想像するほどきれいな物体ではなかった。
 テングノムギメシは長野などの一部に産するケフィアと菌の種類や場所が全く違うが似たような菌複合体である集合物体なのだが未だに詳しく研究されず正体不明であるという。
  飯縄権現の「飯縄」の語源らしいという話があるが定かでない。
 見た感じが土と同じで自分はテングノムギメシを食べたいと今のところ思わないという感じがしている。
 
 地衣類と地上や地中、水中に出来る藻類の塊との判別が多少曖昧なのだが、全体的にいえば地衣類は緑藻や藍藻に菌が共生した物で藻類だけの塊とは少し違うようである。

 地衣類でも食べられるものがいくつかあるが、イワタケが一番有名で売れるのはそれだけで、どうしてだか未だに人間が培養・増殖出来ないものが多く、研究も進んでいない。
 産業の見えざる意志によるものなのかもしれないが、菌と藻類の複合体であり、どちらも単体では様々な場所に遍在しているので条件が良くなればかってに生えるとも考えられていて保護活動の必要も感じない事も要因の一つかもしれない。


  昨日、「真言立川流 謎の邪教と鬼人ダキニ崇拝(著:藤巻一保)」を借りて来たのだが気になるのがいくつかあって、挙げてみると、
①P167にある奥日光の高房神社にある立川流敷曼荼羅を台座とする男女和合の神器
②P170の下野薬師寺の慈猛と真言立川流のつながり。
③P176の真言宗の話を調べると時々ぶつかる仏教説話集「沙石集」
④P274にある春日局が日光東照宮に奉納した「東照大権現祝詞」と天海と玄旨帰命檀の関係、玄旨帰命檀と立川流の相似点
以上の四つが目について気になった。
 多摩や立川にも近いところに居るので、なんとなく探してみたくなるが時間の無駄であると思う。
 真言立川流は一時期真言宗の多数派だったので古くから真言宗であったという事はそちら側である可能性を示すのだが、今となっては相手が気にしていなければ意味は無いし、人によっては不快かもしれない。

 沙石集や北澤楽天という福沢諭吉の関係のある漫画の巨匠の作品を青空文庫においてもらいたかったりしているのだが要望はどうやったらかなえられるのだろうか。
 というか、どうしてタダで仕事がなされるのかも不思議だと思う。


 

虚空蔵菩薩が気になる

2013-06-29 07:21:39 | 雑記
 先ほど「四畳半王国見聞録」という森美登見彦の小説を読んだ。
 高知県の室戸岬に足を運び、「虚空蔵求聞持法」というものを習得し空海の生まれ変わりだと信じるようになった説法師から空海を良く学ぶように言われたマンドリン説法を行う学生が「虚空蔵求聞持法」が記憶力を増大させる知識を身に付けたところを読んだが、空海や「阿呆の光で遍を照らす」といった表現が出てくるとなぜか真言宗が気になる。
 自分も村松山虚空蔵菩薩に十三参りに行って来たのだが、自分が約束を守って騒動を起こした相手も行ってきたと言っており稀な気がするのだが共通点はそこでなぜかあったし、案外多くの人が東電の原発と真言宗のぼやけたつながりに気が付いているかもしれず、時々、明らかにされない大人のネタとして某機動隊(それ以前の戦術超攻殻オリオンでは真言宗と天台宗が戦っていた)やオカルト教授のような漫画やアニメのバックグラウンドに登場している気がするのだが、どうなのだろうか。
 虚空蔵菩薩と瓢箪と原子炉と某機動隊のアニメには自分的に共通点を感じるのだが微妙にヤバイと思っている。
 自分の家には寅年生まれの自分の守り神として何気なしに買ってこられて虚空蔵菩薩の見える数珠や瓢箪のキーホルダーが置いてあったのだが、そんな裏設定は最近になってようやく気が付いている。
 ウナギが虚空蔵菩薩の化身らしく、虚空蔵菩薩をあがめる人は食べないという記述を見つけたが、下野市の星宮神社の周りではウナギを食べないらしいということが「本当は怖い、日本の習慣やしきたり」という本に載っていた。
 玉切稲荷の近くに「うな八」というウナギ屋さんがあるのだが、ウナギ屋さんは大丈夫だったのだろうか。
 あの家族が移動したのは、鬼怒川の向こう側で真言宗寺院が多い事やかんぴょうとかウナギのタブーで何か波長が合っていたからかもしれない。

 真言宗の一部は教義的に秘密を容認し、暴力を肯定することさえ成せるようになっている上に大半の人物は自主的な意思で動いているわけでなく見分けがつかないという性格を持った、忍者と共通する特徴を有するような、集会結社や言論の自由が無い時代の権威が本当に依頼していた古い政治・暴力組織に近いと考えている。
 キリスト教でもイスラム教でも確かにありうるのだが、教義が明示されて敵・味方ともに明らかであるところが異なり、仲間になろうとすれば、手続きを踏めばよそ者でもなれそうであって、上意下達で家庭内で口承だけで伝承される秘密を場合によって有する大抵外部の人の加入が出来ない宗教というのは文字が広まる以前のかなり古い習慣を少し持っているように思えている。
 また、協力を依頼する暴力団は住吉会や弘道会などの寺社の名前と同じ組織が多いような感じがしているのだが、いくらでも変えられるので正しいところは良くわからない。
再登場だが「四畳半神話大系」のEDを昨日のフィボナッチ数列のパラドックからも連想したので最後につける。
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 下鴨神社には「やたがらす」と呼ばれる戸籍に入らないという脱法行為までも秘密結社があるという噂が時々見えるのだが、ほぼ現在では完全に虚構であり、下手すると全学連や中核派の謀略かもしれないとさえ思える。
 実際に組織があって力がある方は噂にもならないのだが、秘密結社なのに実際にあると言われたら攻撃を受けている可能性大だと思われる。
</object>

大政奉還の後の関西における天皇崇拝はどうなったのか

2013-05-23 22:51:58 | 雑記
 1867年11月9日に大政奉還が行われたが、その後、京都から江戸への天皇の住居である皇居の移転が行われた。
 少なくとも千数百年間、天皇は関西に住んでいて、天皇の居る方向が上であるという方向感覚があったのだと思われるが、皇居移転ののちに方向感覚が変化しなかったであろうか。
 もともと中心として正体があるところとしていたところに本当の正体が存在しないという事は場合によっては苦痛だったかもしれず、上と下がわからなくなって道に迷った人もいるかもしれないし、皇居を戻すために東日本を攻撃する国をあおる人物もいないとは限らなかったかもしれない。
 関西のいじめなどの統計や犯罪、政治の動きをみると正体がぼやけた巨大集団がありうる事を微妙に感じるのだが、古くからの共通認識として通用するのは神道と天皇であろうと思うので、なにか関連はあるのかもわからない。
 

価値についての私見

2013-05-21 17:14:01 | 雑記
 分野外だが商売をする事になるわけで今回はそれについて自分として密接に関連した事を適当に書いた。
 感じでやっぱり書いてしまっているので情報的に価値が低いが、読んでもらえるならばうれしい。 

 現在、人間が扱う数量には単位がある。
 長さをm、重さをkg、時間をsecondとするのがMSK単位系であり、今一般に用いられている単位系である。
 これを用いると速度はm/sとしてあらわされ、密度はkg/m^3のように表される。
 では価値というものをこの単位系で表現できるのであろうか?
 答えはあらかじめ断っておくと否である。
 経済学においては需要は価値によって決定していて、供給とはネジとナットの関係と同じ様なものではないかという事で、価値は案外にかっちりした概念が存在するもので普遍性があるとみなされていたのだが、今までの歴史的経緯や実際観測されている現象においては人間の価値認識は非常に浮動して不安定であり、ボルトとナットが結びつける作業自体が行われなくなったり、ボルトは用いるがナットを用いる事が必要ないように設計されていたりする事は頻繁に起きていて、しかも、エネルギーや重さと色合いや味などの異なった性質のものでも物々交換や通貨を用いて交換してしまうので良くわからなくなっている。
 確かに、異なるものであっても価値は時間や距離、重さのどれかまたは全部に依存して変化しているわけだが、同じ単位組み立てのものを交換している事は稀であって、どうして交換できているのかは人間の思い込みに依存するところは非常に大きい。
 どうして、今のところ日本では問題がそれほど大きいように感じないのであろうか。
 人が行っている思考という生命活動の一端が違うものでも同じぐらいに交換したという思い込みを多く伴っているからであろうと私は考える。
 もし、同じものしか交換しなかったら必要なものは手に入らない事になるが、自分には余剰していて、相手には不足しているものがあるときにその交換は双方に利益がある。
 自分がお金でモノを買っている時には、人の代理(何代目かは不明)で物々交換していると考えた方が良いのかもしれない。
  日本には「わらしべ長者」という昔話があるが、それは藁一本から次々に物を交換していて最後には屋敷まで手に入れるストーリーで荒唐無稽のように見えるが、場所によってないものとあるものがある以上、実際にそのような事が生じうる可能性が存在するうえに、昔はそのことが顕著であった事を考慮するとありうると考えた方が正しいわけで、この物語は大げさだが似たような事があったのであろうと思われる。
 実際世界でも松下電器が最初に売っていたのは懐中電灯であったり、ゼネラルエレクトリックが最初に売っていたのが竹炭フィラメントの電球だったりしたわけで時たまあることである事は知られている。
 もし、常に等価なものを交換していたら、わらしべ長者や松下幸之助、エジソンの様な人物は現れないわけだが、現実には確かに労力や手間が必要ないとか多めのものと労力や手間が必要であったり、少なめのものをお金を媒介したりして交換できる場所や状況が存在するので彼らは実際に現れている。
 しかし、そのように貨幣や物同士の交換は実際に利益があって多くの人の成功に結びつくだろうと思われてもやはり、交換時の価値というのはやはり不明なままである。
 本当に常に利益があればよいのだが同じ貨幣の中に逆向きの不利益の成分が混入している可能性は非常に大きく、損をする人も多くいて必ずしも良いとは言えない。
 物同士の交換を多くした方が自分としては余計な成分が無くて都合が良い場合もあるように思うのだが流通や利便性、そのほか法律に起因する問題もあってほとんど行われない。
 人間が物や金を交換する以上、価値がなんであるかという事は永久について回る問題であるように思うのだが、問題を緩和するには場所の制約や数の問題、曖昧さ、害意の問題をかなり解決できる電子技術は有効だと私は考えている。
 やっぱり、価値とは何かについては解決していないのだが必要な物同士の物々交換に近いところまでやりようによっては出来る可能性が高く、物理量として表す事が出来ていないため自然科学で扱えていない価値の問題の規模が少し小さくなるかもしれないからだ。
 ただ、大抵の人間自体の必要性というものは場所の制約や数の問題、情報の不自由さがあるほどに高まっているような状態で、元々手に入れようとした人間自体の価値は、その手段を進歩させる事によってかなり減ったような感じなのだが、こちらはどのように問題の解決・緩和をするのかは良くわからず、現実でもネット上でもコミュニティーを形成出来ている人も必要がある場合というのが稀で自己開示も警戒のために出来ず、多くが長続きはしないようだ。
 私には人間自体の必要性の方が重大だと思われた時期があったが、私の目の前や思いつきには自分自身が行っても実際に有効な、ある個人に対して有効な許可された共通の方法が殆ど無く失敗し、より多くの状況において低めた後はすでに遠い日の難しめの話である。

仏教と右翼が被ると支持が広がる可能性があるのか

2013-05-09 09:41:39 | 雑記
真言密教と右翼がかぶっている人の話を少ししているが、なぜか違和感がかなりある。
 右翼といったら大陸にあったかもしれない元祖がなくなり、半分くらいは日本のオリジナルである神道を持ちあげる感じがあるが、仏教はと言うと由緒正しく中国やインドなどから輸入された事の記録が残っており、使う言語も漢文と表音文字でアルファベットに近いサンスクリットである。
 そんな経緯から仏教僧というとどちらかというとチベットやタイ、ミャンマー、ラオスなどとの対外親善活動に積極的であると思われ、雰囲気としてはあまり右ではないのではないかという感じがして右翼活動をすると浮くのではないかと思われる。
 昔、右翼団体が政治家宅に向けて街宣車でお経のテープをあげているのを目撃した事があるが、経典が分かればつながりがわかるかも知れないが、なんとなく雰囲気でやっているので意味はないかもしれない。
 創価学会がどうしてだかネットでは右翼と接続してそういう事をしていたことで有名だが、正直にいえばカルト宗教で虚構であっても、第三文明という雑誌の宣伝をしている電車の中づり広告に載っている事をしている人が積極支持する事とは思えないのだ。
 もし、やったとしたら仏教支持者のイメージから外れて、それこそがかなり痛い事であるからだ。
 神道系も新興のものは戦時中に政治弾圧を受けているために利益供与があっても接続が緩かったりしていて、乗っ取られない限りは傾向として教団が右翼と接続している可能性があるのは戦前からある神道の派閥の一部だと思うのだが、仏教でも神仏合宗をやっていたところは多いので、どこでもありえなくはないが真言宗という真言というサンスクリットで書かれた外国語を頻繁に唱えるにもかかわらず、大日如来(遍照金剛)と天照大神を雰囲気で同一視するという事をやっている宗派で少し特異的に頻発したように感じるが実体はもう消えかかっているし証拠もないので良くわからない。
 都合が良くて使えれば基本的に人間は手段を選ばないのが正解なのかもしれないが、起源にこだわって選ぶように言っているのが宗教であって、その人は手段を選ぶ事をするはずなのに、選ばないとかなり違和感が自分にはある。
 実際に北朝鮮やよど号ハイジャック犯のような表面的な立場上の敵対相手とも対話をしているようだが、どちらかというと実際の味方と話している感じがあって、アメリカが真の敵なのだったらそちらと話すとより上手いのかもしれない。
 
 昨日、産経新聞にODAでマレーシア(だったか?)に海上保安船を供与する話が載っていて、海上警察と軍を分離してくれないと武器輸出禁止の原則に引っかかるという話が載っていたが、それは内政干渉というものかもしれない。
 軍と警察が分離している国もあるし、軍警察があって分離していない国もあるが、携行型の武器でも戦車に穴があいて、飛行機が落ちて、場所によっては何千人も毒ガス被害者を出せる程度のものが実際にあるのでそれを保有している集団を相手にすると境目が微妙に曖昧になってくるが、その時は軍警察があった方が法的に便利だと思っている。
 実際にSWATなどを設立しているが、携行型の対戦車ロケット弾であるRPG29が暴力団関連施設で発見されているので化学防護車や装輪装甲車(実際にある)以上のHEAT弾に対抗できるような装備をいずれ配備すると自分は考えていて、日本の警察も軍警察に似てくるとは思っている。
 

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