ハルナツアキフユ 

転移性悪性黒色腫(メラノーマ)と診断された夫のことや
巡る季節の中で思うことを綴っていきます。

5月の風 ー旅立ちー 

2017年05月24日 | 悪性黒色腫(メラノーマ)


5月22日午前1時25分、夫は静かに旅立ちました。
4年間という長いメラノーマとの闘いを終え
ホッとしたような柔らかな表情で深い眠りにつきました。

生きることへの強い意志でとことん闘ってきた夫でしたが
この数週間は強い痛みと苦しみから希望を見出せず
時に「もういい、希望がないのにこのまま続けるのは耐えられない。」と・・・。
それでも1日1日できることを頑張り、家族との時間を過ごしてきました。

第3週に入って
痛みのコントロールがなかなかうまくいかず
内服からパッチと座薬に変えました。
それでも安定せずモルヒネの持続皮下注入に切り替えました。
ずいぶん楽になったなあ、よかったなあと思ったら
今度は激しい嘔吐が続き
繰り返し吃逆が出るたびに痛みが起こりました。

19日の夜間には痙攣が何度も起きました。
20日に痙攣止めの座薬を入れた後から意識が朦朧となり
起きていても会話がかみ合わず、歩くのもままならず・・・。

20日夜には痰が酷くなったため痰の吸引器を入れていただき
娘が定期的に吸引しました。
21日には話しかけると目は開くけれど会話は出来なくなりました。
ところが、21日の朝S先生が来てくれ
「S先生が来てくれたよ。」と夫に告げると・・・

目をぱっと見開き、ニコニコしながら
「あー、びっくりしました。」と言ったのには驚きました。

21日午後には痰がさらに酷くなり
呼吸するたびにゴロゴロ、ゴロゴロ。
鼻から吸引するのが一番効果的なのですが
誰でもは鼻からチューブを入れられたら痛くないはずがありません。
私が両手を抑え、娘が一気に鼻からチューブを入れたところ・・・

ものすごい力で私の手を掴んで
「I wil break your arms!」と私の目を見て大きな声で怒鳴ったのには
娘も息子も私も思わず笑ってしまいました。

また、何か言おうとするのでみんなで一生懸命聴くのですが
何を言っているかわからないで困っていると
「Forget it・・・」と。
家族が聴いた最後の言葉がこの言葉になってしまいました。

午後には夫の親友が来てくれました。
意識はほとんどないものの
ベッドサイドで夫といい時間を過ごしてくれました。
夕方には姉夫婦も到着しあれこれ手伝ってくれました。

夜はずっと娘と息子と私でついていましたが
血圧も下がってきて
あれだけ酷かった痰も出なくなり
呼吸もだいぶ楽になっていきました。
あんなに酷かった足のむくみもなくなり
パンパンだったお腹も小さくなり
まるで逝くために自分の元の体を取り返してもらったようでした。

そして日が変わった22日の1時過ぎ
ゆっくりと静かに旅立って行きました。
最後は痛みもなく
何とも柔和な顔でした。

この4年間は手術や放射線治療、新薬治療、治験をしながらも仕事を続け
旅行やハイキング、患者会、家族や友人との時間を楽しみ元気で過ごしてきました。
娘も息子も学業を終えて仕事に就き
夫ももう思い残すことはなかったのでしょう。

夫を支えてくれた娘と息子
私や夫の家族、友人たち
患者会の仲間たち
私の職場の同僚たち
大学の方々
近所の方々
国際医療センターの石田先生、西川先生、小山先生
国立がんセンターの高橋先生、北野先生
丸木記念福祉メディカルセンターの齋木先生
ひだかK&F訪問看護ステーションの看護師の方々
ケアマネジャーの小池さん
みなさんのおかげでここまで来ることができました。
本当にありがとうございました。

そしてパパ・・・
4年間の闘いで、たくさんの幸せをもらえたことに感謝しています。
本当にありがとう!