廃校をたずねて ⑨
~ 青梅市立第九小学校跡 と 第十小学校跡 ~
今回は東京都下、青梅市の廃校を2校紹介する。
「第九小学校」が同市・成木地区、「第十小学校」が同市・小曽木地区に建つものだが、両地区とも埼玉県・名栗村(平成17年4月飯能市に吸収合併)に隣接する山村地帯で、秩父地方と同様の少子高齢化・過疎の集落でもある。
高度経済成長期、子供たちの将来を嘱望して建てられた鉄筋3階建ての近代的な学校も、時代の変遷と共に、廃校も止む無しといったところだったのであろう。

① 閉校記念碑。
校章は青梅の梅をデザインしたものらしい。
第九小学校跡。
なお、ここ「青梅市」の殆どの小・中学校は数字系列化された素っ気無い校名が付けられている。
東京都では昭和40年代のはじめに美濃部亮吉氏による革新都政が誕生して以来、都内の各所でも革新市制が続出した時期があった。
その革新行政のスローガンの代表的なものは「差別の撤廃・公平・合理化」というもので、各地で従来からあった地域的な校名を、学校の新設・統合の際に数字系列の学校名に変えてしまったのである。
私は政治評論家ではないので、このことの是非について語る気は毛頭ない。
しかし、「差別の撤廃・公平・合理化」と「学校名の数字系列化」という脈絡はあまりにも無機的な行政措置ではなかったのか・・・と考えている。

② 校舎の全景。
敷地が細長く、正面からは写真が撮れない。
九小跡。

③ 近寄ると朽ちたバスケットボールのャXトが。
九小跡。

④ ラガーマンの像らしい。 卒業製作か?
九小跡。

⑤ 二宮尊徳の像だが、どうも鉄筋校舎に尊徳像は釣り合わないような気がする。
九小跡。

⑥ 尊徳像のまわりには無雑作に木材が立て鰍ッられている。
学校跡は現在、「青梅森林組合」の事務所になっている。
九小跡。

⑦ こちらは第十小学校跡。
学校は現在、小曽木地区の「ふれあいセンター」として使用されているようだが、まったく人気はなく、管理人も不在のようだった。

⑧ どなたか偉い先生の胸像なのだろうが、よくわからない。
しかし、どんな功績があったのかは存じ上げないが、公立の小学校に一個人の胸像を残すということは如何なものか。
十小跡。

⑨ 周辺には石灰岩の採石場があり、校舎裏の道路をひっきりなしにダンプカーが疾走しているので環境はあまりよろしくない。
砂塵で建物も汚れている。
十小跡。

⑩ ブランコの上部がたぐられて使用不能の状態になっていた。
万が一の事故に備えての措置かもしれないが、これまたぬくもりの感じられる行為ではない。
十小跡。

⑪ 交通安全教育のための「止まれ」の目印。
もう子供達が渡ることもないだろう。
十小跡。
なお、鉄筋校舎の廃校というのは、木造校舎の廃校とは違って温もりやなつかしさがなく、妙な寒々しさが残るだけだった。
今回の写真でそれを感じ取って頂けたらば、と思う。
成木8丁目です。