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HARIKYU'S CAMERA CLUB 「BLOG 」

「HARIKYU'S CAMERA CLUB」の別室写真館です。
お気軽にお楽しみ下さい。

遅刻するおむすび少女

2022年01月27日 | ノンジャンル
遅刻するおむすび少女




 米どころ新潟県で、若者の米離れを防ぐための一策としてこんなプロジェクトが立ち上げられたそうです。

https://news.yahoo.co.jp/articles/4227a7e0c4f50201aa61a49a7cc5070e7d5c09fb





 この動画では食パンが目の敵にされております。
しかしながら、やはり遅刻しそうな少女、というと食パンというイメージがありますね。
はたしてすでに定着したイメージを上手く変えられるのかしら (・・?

でも 「おむすび」 というのも アニメ上のシチュエーションでは皆無ではなくて、『 大正野球娘 』で遅刻しそうになった主人公の「 小梅 」がおむすびをくわえながら学校へ急ぐ場面がありました。
でもこれはパン食が普及していなかった大正時代のことだし、疾走するとおむすびがボロボロとこぼれそう・・・・・。


 そういえば、このブログでもかつて「 トーストをくわえながら学校へ急ぐ少女 」を特集したことがありましたっけ。

https://sakuhindb.com/pj/HARIKYU/20180417.html




 その後調査はしてませんが、確実にこちらの方は増えているような気がしますね。

兄弟奇蹟?の再会

2019年08月29日 | ノンジャンル

 兄弟奇蹟?の再会





筆者の手許には目下5台の「キャノンFX」があるが、どれもヤフオクで1円とか100円とかで落札したものである。
これは「FT」とか「FTb」にも言えることだが、キャノン得意の大量生産・大量販売による残存台数の多さのせいか、同時期のニコンやトプコンに比べるといささかの人気のなさに驚く。




さて、その「FX」だが 、抜き出したこの2台、全然別の日に全然別のところから落札したものだが、よくよく見るとボディーナンバーが片や「365202」、片や「365264」で異常に接近していてその差は僅か「62」。






「FT」ほどではないにしても、ャsュラーなカメラだから 月間数千台以上は生産されていた筈で、おそらくは同じ日に製造されたものであろう。
同じラインで同じ日に生産された兄弟カメラが、その後の数奇な使用歴を経て 数十年後の「令和」の時代に同じオークションで同じ人間に落札されて再会する。
運命的というか、これも一種の奇蹟と言って良いだろう。

この2台、せいぜい可愛がってやるつもりである。

ペトリV6の内面反射防止

2019年08月04日 | ノンジャンル

ペトリV6の内面反射防止





 「驚異的低価格」で知られるペトリV6は、コストダウンのしわ寄せか、ボディー内壁が平滑で非常に内面反射が多い。
特に底面に至っては光るビスの頭が2つも露出しているので、天空を含む風景撮影などでは無視できない程のカブリを生じる。







 モルトプレンを貼るなど対策は色々あるが、私はジャンクのキャノン一眼からはがした亀甲模様の遮光紙を貼ってみた。
これはキャノン得意の内面反射防止策だ。






 まだ実写はしていないが、細かな凹凸が光を有効に吸収してなかなか塩梅が良さそうである。
今度左右の壁もやっておこう。

ユニレックスふたたび

2018年11月04日 | ノンジャンル

ユニレックスふたたび





ここ数か月ほど 、大好きなユニレックス病に再び侵されまして 、ヤフオクなどでも1万円近くの結構強気な値付けのものありますが 、自分的には 1,000~2,000円 間のジャンク扱いの品にターゲットを絞り 、何台か落札しちゃいました 。

ジャンクといっても若干の修理メンテナンスと磨き入れで6台中5台までは完動品に復元できました 。

ところで 私の愛機は40年来黒ボディーだったので気付かなかったのですが 、こうして磨き直した白鏡筒・白ボディーの 、プラチナの如き輝きの何と美しいこと 。

改めて惚れ直しました 。

花見」の後は・・・・・

2011年04月20日 | ノンジャンル

<pink>「花見」の後は・・・・・</pink>


 「サクラ」が終われば、5月の「ツツジ」、6月の「アジサイ」と続くのが妥当なのでしょうが、いち早く「ツツジ」が咲き出した所を見つけましたので、ご案内しましょう。






撮影場所は東松山市の「物見山公園」という所。
以前札所巡りで紹介した板東札所10番岩殿観音の目と鼻の先にある公園で、近くには大東文化大学とか埼玉県平和資料館などもある。






この薄紫色の品種は早咲きなのか、普通の赤のツツジに比べるとずいぶん開花が早いようだ。
すでに散っている花もあった。




花をめでる老夫婦。
枯れてるなぁ・・・・・。




昨年晩秋の「岩殿観音」をもう一度。
5ヶ月前はイチョウの黄葉が真っ盛りだった。
何だか最近、四季の移ろいがやけに早く感じられる。

「八千穂高原は秋の風」

2010年08月27日 | ノンジャンル
<pink>☆ 「八千穂高原は秋の風」  ☆ </pink>

夏の繁忙期も終わり、逆に半失業状態となったので、今日は八ヶ岳山麓にある、長野県佐久穂町の「八千穂高原」に行ってみた。
此処は拙宅より「高速を使わないで」片道4時間半、日帰りとしはギリギリの圏内だが、気軽に「信州の高原」を楽しめる所として、度々出鰍ッている愛用ルートだ。






・ 高原内にある「八千穂レイク」。
標高1500メートルの湖に吹く風はもう涼しく、秋の気配がした。




・ 秋の草花「ワレモコウ」がもう咲いていた。




・ 「アキアカネ」。  俗に言う「赤とんぼ」。
夏の間はこうしてトンボも避暑をしている。




・ 高原一帯は日本一のシラカバ原生林なのだそうだ。




・ もう少し秋も深まったら、また来てみようと思う。
正丸峠、志賀坂峠、十石峠と3つの峠を越える本日の走行距離は300㎞とちょっと。
ヘトヘトになる一歩手前の日帰りドライブとしては丁度良いところだろう。



「石神井ふるさと文化館」

2010年07月08日 | ノンジャンル
<pink>「石神井ふるさと文化館」</pink>

西武池袋線の駅名にもなっている、都立<yellow>石神井公園</yellow>池の西端に隣接して、<yellow>「石神井ふるさと文化館」</yellow>という施設が建っている。
今年の春に竣工したばかりの、いわゆる「郷土資料館」。



歴史や文化の展示は月並みなものだが、この施設、その一角に昭和30年代の石神井公園駅前を再現したスペースがあり、ここがなかなか面白い。





駅前広場にミゼットがあったり、家庭の庭先に脱水ローラー付きの電気洗濯機が置いてあったりと、ちょっと懐かしい気分に浸れる。



画角を少し工夫して撮影した画像をモノクロ処理したもの。
多少はレトロ感を味わってもらえるかな。

練馬区の産業ということで、アニメ産業の紹介スペースもある。
これはセル画をフィルムに撮影する装置で、近景・中景・遠景と3ヶ所同時撮影できる。
つまり近景にピントを合わせて、遠景をボカすといったテクニックも駆使できるわけだ。





郷土資料館の方にしてはばかにアニメ製作にくわしいので、正体をうかがってみたらやはり東映動画のOBの方だった。
村松錦三郎さんとおっしゃり、「ひみつのアッコちゃん」や「太陽の王子ホルスの冒険」という劇場用アニメなどを製作した経歴をお持ちの方でした。


房州みやげ「海女せんべい」





いすみ鉄道・上総中野

2010年06月15日 | ノンジャンル
いすみ鉄道・上総中野

いすみ鉄道いすみ線(いすみせん)とは、千葉県いすみ市の大原駅から、千葉県夷隅郡大多喜町の上総中野駅までの営業キロ26.8km を結ぶいすみ鉄道の鉄道路線で、旧国鉄の特定地方交通線・木原線を引き継いだ路線である。
外房線大原駅から分岐して房総半島内陸部に入り、上総中野駅で接続する小湊鉄道線とあわせて横断線を形成する。



① 大原駅にて記念撮影中の家族。

お爺ちゃんと孫を母親が撮影中のところだろうか。
いすみ鉄道は観光客誘致にも熱心だが、沿線に観光地は少ない。




② 上総中川~大多喜間  

ここの運転士氏は大変親切で、「写真を撮るからゆっくりと加速してくれ。」と頼むと快く応じてくれた。
私自身、こんな事を運転士に頼んだのは初めてだった。(笑)




③ いすみ鉄道はこんな鬱蒼とした森の中や人口希薄地帯を縫って走る。
「房総」のイメージとはほど遠い感じだ。

久我原~東総元間




④ 大多喜町の観光看板。

かなり古いもののよう。




⑤ 上総中川~大多喜間 

この写真は左側の樹木が目立ちすぎ、鉄道写真としては失敗だ。




⑥ 鉄道車両を大約7:3の角度から撮る。 これを鉄道写真用語で「形式写真」という。
 
上総中野駅




⑦ 上総中野駅にあった、土地の人による手作り看板。

鉄道存続への願いが感じられる。










⑧ また乗ることはないかもしれない「いすみ鉄道」を見送る。
さようなら・・・。

上総中野~西畑間






⑨ 小湊鉄道養老渓谷駅付近にて

小湊鉄道の写真を2枚ほど。



秩父の山村・番外編

2005年03月15日 | ノンジャンル

奇祭・ジャランャ桃ユり


★「ジャランャ桃ユり」とは秩父市下久那地区の村社「諏訪神社」の春の宵宮の一環として行なわれ、「イケニエ」を神に奉納して悪疫退散を祈る、別名「お葬式祭り」とも呼ばれる奇祭である。





★素朴な手書きのャXターの中に「ジャランャ桃ユ」という文字が見て取れる。






★お日待ちの宴会が曹ッた宵闇時になると、灯明が焚かれて道具箱を流用した棺桶が置かれ、祭りの準備が始まる。




★棺桶には注連縄が張られ、「悪疫退散居士」と墨書きされた位牌が置かれている。




★僧侶役の人も、唐草の風呂敷を袈裟に見立てて見つくろいする。




★死人役の人も経帷子を着て登場。
このあと死人役の人は「イケニエ」として部落の人たちの手によって、棺桶の中に押し込まれてしまう。








★冥途の土産に死人には一升酒がふるまわれる。
イケニエは「皆のためになれれば本望だ。」と一気に飲み干す。




★僧侶役の人が読経して葬式が進行していくが、まったくデタラメのお経であり、思わす参列者の笑いを誘う。




★この後棺は近所の諏訪神社に運ばれるが、死人も歩いていくところが面白い。




★もう一度、イケニエを入れた棺が神社に奉納され、「悪疫が部落に流行らぬように」祈念し、祭りが終了する。




 
まったくの珍妙なる奇祭で実に興味深かった。

 今回の撮影に際して、他郷人にもかかわらず、快く撮影に応じてくださった下久那地区のみなさんに厚くお礼申し上げます。




秩父の山村・予告編

2005年03月12日 | ノンジャンル
 
 秩父の山村・プロローグ


秩父はすべて山の中である

なんだか藤村の小説「夜明け前」をもじったような出だしになってしまったが、「秩父」とはまさにそんな所である。

これから私の「秩父路」をみなさんにご紹介しよう。

「秩父」とはいっても、ここでいうのは狭義の「秩父市」ではなく、一市九町村、埼玉県の全面積のおよそ四分の一にあたる広大な山岳地帯の総称だ。
昨年から撮影を続けているが、今回は最近撮影したものを何枚かご紹介してプロローグに代えることにする。



★山には雪が残るが、村落には陽光がふりそそぐ。
秩父郡・大滝村、巣場地区の全景。
日当たりが良く、鳥も好んで巣を作るという所から、巣場という地名が付いたのだという。





★日差しを求めて斜面にへばりつくように集落が存在する。
雪でも降ると大変だろう。
秩父郡・大滝村、強石地区。





★村営のバスがあえぎあえぎ登ってきた。
近年乗客が減り、存続が危ぶまれていると聞く。
秩父郡・皆野町、門平地区。





★斜面の集落のメイン・ストリート。
文字通り、狭い場所に肩を寄せ合うように家が建つ。
日差しはとても暖かいが、昼間はほとんど人が見当たらない。
秩父郡・両神村、煤川地区。





★秩父のオバチャンはみな良く喋る。
向こうからは決して話しかけてこないが、こちらから一言聞くと、二言も三言も楽しげに話してくれる。
ところが大変な照れ屋で、カメラを向けると「こんな婆さん、撮っちゃヤダよー!!」といって大抵はソッモ?ゥれてしまう。
秩父郡・両神村、煤川地区。





★ 日当りの良い場所に、この地域には珍しい「双体道祖神」もあった。
秩父郡・大滝村、巣場地区。





★山村には達者なご年配が多い。
この方は皆野町・重木部落の区長さんだが、ご先祖は何と秩父事件の発端を担う著名な思想家だった。
後日ご紹介します。
秩父郡・皆野町、重木地区。





★地名と同じ苗字の門平さんのおばあちゃん。
足腰もしっかりしていて今でも畑をやるという。
後ろは門平高札場跡。
秩父郡・皆野町、門平地区。





★残念ながら少子高齢・過疎化の波はここ秩父地域も例外ではなく、住民が山を降りるとか死亡したりして空き家や廃屋になった家が多い。
秩父の暗い一面だ。
秩父郡・皆野町、重木地区。





★同じく秩父郡・皆野町、重木地区の廃屋。
かまどのススで壁が黒い。




★啄木鳥が穴を開けた家。
秩父郡・皆野町、重木地区。





★花の時期までもうあとちょっと。
ここがもう一度鳥がさえずり、子供が遊ぶ村になることはあるのだろうか。
秩父郡・皆野町、重木地区。





※次回より個々の村落・部落についてご案内します。
また、村々に残る民俗についてもご紹介したいと思っています。
お楽しみに。




廃旅館にて

2004年12月19日 | ノンジャンル

拙宅より車で5分のところにある廃観光旅館。

「乙女の湖」というキャッチ・フレーズのある県営人造湖を眼下に望み、なかなか繁盛している様子だったが、治水工事のために2年間ほど水がなくなった。

観光地としての意義が中断して客足は途絶え、再び水が満ちた時には旅館は力尽きていた。





① 再び客の来ることはない駐車場。




② 玄関は暴走族によって一部が破壊されている。




③ 荒れた玄関内部。




④ 別館。




⑤ 塗装が剥がれ始めていた。




⑥ 湖は再び碧水をたたえているが、空白の2年間はこの観光旅館にとっては致命傷だった。





都営池袋住宅(跡)

2004年08月22日 | ノンジャンル
都営池袋住宅(跡)


大東京の中心地、池袋の駅の近くに、こんな何ともレトロ(というか少し怪異)な鉄筋建築を見つけたのは10年近く前の事。
北口からわずか1分の至近距離にあるその建物に近づいてみると昭和25年・東京都の銘板が目に入り、東京都の都営住宅であることが判明。

人も住んでいる様子で、その時写真も何カットか写したが、どこにしまい込んだかわからなくなってしまっていました。
昭和25年というとこの辺りはヤミ市同然の雑踏だったはずで、そんな中に鉄筋3階建てという当時としては最先端の建築は、ひときわモダンな存在だったと思われます。





















先日、「ニッパチ系」オフ会に出鰍ッがてら寄ってみると、すでに居住者の姿はなく、建物も崩落防止のネットが張られ、都営住宅としての使命を終えていました。
残念といえば残念ですが、時の流れで致し方ないところなのでしょう。

しかしこの古い建物の持つ不思議な魅力は何なのでしょうね。