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HARIKYU'S CAMERA CLUB 「BLOG 」

「HARIKYU'S CAMERA CLUB」の別室写真館です。
お気軽にお楽しみ下さい。

「秩父札所を往く 結願完結」 ~ 34番札所 水潜寺 ~

2011年02月12日 | 秩父札所を往く
「秩父札所を往く 結願完結」 ~ 34番札所 水潜寺 ~




① 34番札所「日澤山」水潜寺は秩父郡皆野町下日野沢地区にある。
長かった秩父札所の旅もいよいよ最後の結願霊場だ。
参道も一歩一歩踏みしめて参詣しよう。



② 参道には「百観音」がズラリと並んでいる。
「百観音」とは板東33霊場、西国33霊場、秩父34霊場すべての観音像のことをいうのである。




③ 手前が納経堂で、奥の建物が観音像のある本堂である。
山間の狭い場所に立つ霊場なので、正面から写真を撮るのは難しい。




④ こちらが本堂。
霊屋造りのしっかりしたものである。
境内は綺麗に曹ォ清められていた。




⑤ 本尊は二体の仏を従えた「千手観音」である。
本尊は本堂内にあるのだが、残念ながら暗すぎて写真には撮れなかった。






⑥ これで秩父三十四霊場すべてを巡ったことになる。
しばらくは満願の余韻に浸ろう。




⑦ 「曼珠沙華 どれも腹出し 秩父の子」 地元の俳人「金子兜太」の句碑。








 さて、信仰心などまるでない私が、無謀にもご紹介してまいりました「秩父札所シリーズ」も今回をもって最終回と相成りました。
今まで閲覧くださり、また拍手やコメントを頂いた皆様、最後までお付き合い下さり有り難うございました。
皆様にはきっと観音様のご加護があること、間違いない事でしょう。(笑)

 途中からご覧になった方も、一番札所から魔チてご覧頂ければ、多分、同様のご功徳があるのではないかと。


・・・・・時期シリーズにつきましては、目下構想中ですが、「昭和色のトーキョー」の続きや、地方の中小都市をご紹介する「気になる街角」シリーズに着手していこうかと思っています。

「秩父札所を往く 33」 ~ 33番札所 菊水寺  ~

2011年02月12日 | 秩父札所を往く
「秩父札所を往く 33」 ~ 33番札所 菊水寺  ~





① 33番札所「延命山」菊水寺は秩父市下吉田にある霊場だが、「延命」とは縁起の良い山名だ。
旧行政区の「吉田町」では唯一の札所である。
農民ロケットの「龍勢祭り」で知られている此の「吉田町」も、平成の大合併によって秩父市に吸収され、今は存在しない。
「地方」が消えて元気をなくしていくのはとても残念なことだと思う。




② 山門や仁王門などはなく、旧町道から短い参道を経て直接本堂前になる。
飾り気などはまるでない地味な本堂だが、長い歴史を持つ味わい深い建物だ。




③ 本尊は従仏が両脇にいる立ち姿の「聖観音」である。
本堂は撮影できないので実物は紹介できない。
また、 堂内には「子返しの図」とか「孝行和讃の図」とか、かなり見応えのある奉納額があるのだが、これまた撮影禁止なのでご紹介できないのが残念だ。




④ この札所の境内は狭く、本堂以外にはこれといった見どころがないのだが、雰囲気を伝える写真としてこちらを一枚。




⑤ 「芭蕉の句碑」が残っている。
此処、旧吉田町は「おくのほそ道」のルートにはなってないから、別の紀行の際に訪れたのだろう。


★ 次回(時期未定)は34番札所「水潜寺」をご紹介します。
秩父札所も最後の1ヶ所です。

「秩父札所を往く 32」 ~ 32番札所 法性寺 ~

2011年02月08日 | 秩父札所を往く
「秩父札所を往く 32」 ~ 32番札所 法性寺 ~




① 32番札所「石船山」法性寺は秩父郡小鹿野町の般若地区にある。
小鹿野町としては2つ目の秩父霊場だ。
秩父山系の山懐、環境の良い場所に法性寺は建っている。




② 山門は重厚で厳かな感じがする。
折悪しく、仁王像は修繕中だったのが残念。




③ 石段を登り、納経所を過ぎると見えてくる観音堂。
山門からはかなりの数の石段を登らなくてはならない。






④ 岩壁にへばりつくようにして建っている本堂。
建築には相当な年数がかかったろう。




⑤ 本尊は立ち姿の「聖観音」である。
「石船山」の由来らしい、「豊島権の守の娘    或る時、犀が渕に飛び入りし一人の美女を、船に乗せ助けしは、天冠の上に笠をかぶりし御本尊なり」という奉納額もあった。




⑥ 木彫の立体像の奉納額もあった。
たしかに観音様が船を漕いでいる。




⑦ 本堂より納経所方面を見下ろしたところ。
なかなか高度感がある。




⑧ 納経所のお堂にはこんな般若の面が鰍ッられてあった。
この札所の存在する小鹿野町般若という地名と何らかの関係があるのであろう。
それにしても恐ろしい形相だ。


★ 次回(時期未定)は33番札所「菊水寺」をご紹介します。
秩父札所も残りあと2ヶ所になりました。

「秩父札所を往く 31」 ~ 31番札所 観音院 ~

2011年02月08日 | 秩父札所を往く
「秩父札所を往く 31」 ~ 31番札所 観音院 ~




① 31番札所「鷲窟山」観音院は、秩父群小鹿野町の飯田地区にある。
小鹿野町では2ヶ所ある霊場のうちの一つだ。

山門では仁王像がお出迎え。
秩父札所もだいぶ深山部に入ってきた。




② 本堂へはこんな句碑だらけの階段を、何分も登らないと辿り着けない。
高齢者や身体の弱い人には辛い札所である。
秩父札所では最も体力のいる霊場だろう。




③ 本殿はオーバーハングした岩場の庇の下に建っている。
この札所は落石が多く、参拝には注意が必要だ。




④ 本殿のすぐ上まで岩場が迫っている。




⑤ 本尊は座り姿の「聖観音」である。
実物は小さな木像だ。




⑥ この札所の周辺は岩場が多く、崩落も進んでいる。
本堂以外に「西奥の院」とか「東奥の院」とかがあるのだが、残念ながら現在は通行禁止。




⑦ 立入禁止の西奥の院を下から望んだところ。
場の庇の下に西奥の院があるのだが、よく見えない。




⑧ 境内には石仏が多い。
本堂脇に滝壺の池があり、そこにも何体か祀られていた。




⑨ 鐘突き堂から本堂を望む。




⑩ 観音院への道すがらにある「地蔵寺」のおびただしい数の水子地蔵群。
ざっとこの10倍くらいの数はある。
ここは秩父札所には入らないが、小鹿野町のスャbトのひとつに数えられている。

 
★ 次回(時期未定)は31番札所「法性寺」をご紹介します。

「秩父札所を往く 30」 ~ 30番札所 法雲寺 ~

2011年02月03日 | 秩父札所を往く
「秩父札所を往く 30」 ~ 30番札所 法雲寺 ~




① 30番札所「瑞龍山」法雲寺は秩父市の荒川白久地区、「熊倉山」の山麓にある。
29番札所「長泉院」同様、かつては荒川村と呼ばれていた地区である。
参道の丁目石が風情ある好ましい霊場だ。 




② 境内は日本庭園風に整理されていて、野趣とはまた違った美しさがある。




③ 本殿は「唐様」といわれる秩父札所では良く見かける建築様式。
朱色が目に映える。




④ 本尊は「如意輪」とよばれる観音様だが、残念ながら堂内が暗くて良く写っていない。
秩父札所で如意輪観音を祀るのは此処と9番札所の「明智寺」だけである。




⑤ この札所の本堂には何とも奇妙な宝物が陳列してある。
これは「龍の頭骨」だというのだが。 




⑥ 同じく「天狗の爪」なる宝物。




⑦ 「楊貴妃の鏡」。
「霊鏡の因縁によってこの寺に楊貴妃観音が祀られた」、とあるが詳しい由緒はわからない。




⑧ 境内にはこんな苔生した石仏群も。




⑨ 境内の池に本堂を写し込もうとした1枚だが、薄すぎて目を凝らさないとよくわからない。
もうすこし光線状態が良ければよかった。


★ 次回(時期未定)は31番札所「観音院」をご紹介します。

「秩父札所を往く 29」 ~ 29番札所 長泉院 ~

2011年02月03日 | 秩父札所を往く
「秩父札所を往く 29」 ~ 29番札所 長泉院 ~




① 29番札所「笹戸山」長泉院は 秩父市荒川上田野地区にある。

 此処は旧行政区でいうと秩父郡「荒川村」になるが、この村は2005年4月1日に秩父市に吸収合併されて消滅した。
同日に秩父郡吉田町・秩父郡大滝村も秩父市と合併し、地図上からは名前が消えている。

 この「平成の大合併」について此処で是非を論じても仕様がないと思うのだが、ひとつだけ言えることは、明らかに吸収された側の町村の方の活気が消えてなくなっている、ということだ。
自分の住んでいた町の名前が消えた・・・・・ということは旧町村民の覇気や志気にも影響を及ぼすのだろう。
これは思わぬ弊害と言って良い。
赤字財政解決云々・・・・・とか言う前にこんな副作用が出ることを予見できなかったのは、やはり失敗政策といって良いのではないだろうか。



 さて、話題を長泉院に戻すと、本堂は特に何造りというのかは知らないが、ごく当たり前の平凡な造りである。
天保の建築だといわれるが、屋根は立派。
個人的には霊柩車を連想させる霊屋造りという建造よりは気持ちが悪くなくて良い。


 

② 本尊は立ち姿の聖観音。
「笹戸山」の名の通り、笹に囲まれた本尊だ。




③ 本札所のいわれとして、
「渕より龍女現れ龍燈を捧げ、十余人の巡礼を案内し、岩屋の中より聖観音像を見出し、御堂を建てて安置せられた。」
とある。




④ 本堂の縁側にはいわゆる「おびんずる様」が祀られているが、われわれが普通にイメージする「おびんずる様」とはだいぶ違う。
顔がケロイドのようになっているのも不気味だが、目の表情も生きているようだ。




⑤ 読経しながら歩く巡礼者。


★ 次回(時期未定)は30番札所「法雲寺」をご紹介します。

「秩父札所を往く 28」 ~ 28番札所 橋立寺 ~

2011年02月03日 | 秩父札所を往く
「秩父札所を往く 28」 ~ 28番札所 橋立寺 ~




① 秩父市上影森地区にある28番札所の「石龍山」橋立堂。
突然の巨岩の写真に何事かと思われるかもしれないが、「橋立堂」は実はこの岩壁の基部にある。
また、この岩壁には「橋立鍾乳洞」もあり、秩父の一観光スャbトにもなっている。




② こちらが橋立堂の本堂で、岩壁の基部にへばりつくようにして建っている。
また写真ではわかり難いのだが、当然落石がおおいため、危険防止の金網がいたる所に張ってある。




③ 本尊の「馬頭観音」は秩父札所内では唯一ものである。
お姿札と実際の本尊。




④ 境内には旧「秩父自然科学博物館」の古い解説板が残っている。
この 旧「秩父自然科学博物館」は秩父鉄道の運営する古い木造の博物館だったが、昭和56年に敷地ごと県に買収され、新しく「埼玉県自然の博物館」として生まれ変わった。

 旧博物館には<gold>「三つ目のブタ」</gold>のホルマリン漬けが展示してあったのが強烈な印象として残っているが、現在ではただ収蔵庫に眠るのみであり、再び日の目を見ることはないと思われる。




⑤ 岩壁の基部にはこんな石像があり、参拝の人からこれは「糸山英太郎だ。」と教えられたのだが、本当のところは「秩父宮殿下」の像なのだそうである。
完全に一杯食わされてしまった。






⑥ 霊場解説をお読みいただければわかると思うが、馬に縁のある札所のためか、こんな白馬を祀ったお堂もある。






⑦ 紅葉の美しい時期だったので、2枚ほど続けてご紹介。




⑧ 附近の案内図だが、非常に昭和レトロ感のある、味わいのある看板だ。




⑨ もう一度札所全体を振り返る。
風光明媚という点では秩父札所でも屈指の霊場だろう。


★ 次回(時期未定)は29番札所「長泉院」をご紹介します。




「秩父札所を往く 27」 ~ 27番札所 大淵寺 ~

2011年02月03日 | 秩父札所を往く
「秩父札所を往く 27」 ~ 27番札所 大淵寺 ~




① 秩父市上影森地区にある27番札所「龍河山」大淵寺。
参道といい門前といい、秩父の札所らしい非常に雰囲気の良い霊場だ。




② 「二十七番目」と彫られた大きな丁目石と山門。
この札所の山門には仁王はいなかった。




③ 境内にある「延命水」。
他に鐘突き堂などもあり、この札所の境内はなかなか見どころが多い。




④ 本堂の「月影堂」。
明治・大正の大火の後、比較的新しく建て替えられたものである。
堂前の引きがないので正面からは写真が撮れない。


  

⑤ 本尊は「聖観音」であるが、左右に従者がいるのが珍しい。
何という仏様なのかは不明だ。


  

⑥ こちら実物の観音像では従者はいない。
本尊は本来は撮影禁止なのだが、欄間からちょっと失礼して撮らせて頂いた。
「猿に注意」の張り紙がいかにも秩父札所らしい。




⑦ 本堂から望むと裏手の山に大きな観音像が見えるが、これを「護国観音」という。
境内から望遠レンズにて撮影したもの。




⑧ 裏手の山を登ること10分程でこの観音像に辿り着けるが、なかなか見事な像である。
高さは10メートル以上あり、秩父の街を見下ろしている。

私的な事で恐縮だが、私が現在非常勤で奉職している職場のオーナーさんは、この近くの中学校の野球部の出身で、現役当時は学校からこの護国観音への往復マラソンを毎日させられて、大変厳しい思いをしたそうである。




⑨ 護国観音より、秩父の眺望。




⑩ 参道の地蔵菩薩。
色鮮やかな飾り奉納に、この札所が土地の人々から愛されていることがよくわかる。


★ 次回(時期未定)は28番札所「橋立寺」をご紹介します。

「秩父札所を往く 26」 ~ 26番札所 円融寺 ~

2011年02月03日 | 秩父札所を往く
「秩父札所を往く 26」 ~ 26番札所 円融寺 ~




① 秩父市下影森にある26番札所「岩井堂」円融寺。
これといって特色のない札所である。
山門や仁王像、それに六地蔵などの姿もなく、写真にするにはちょっと苦労する。




② 本堂も寺社建築としては地味なものである。
本来の観音堂は此処から1時間以上歩いた山中にあるが、山登りの装備がないと冬は特に危ない。
今回の札所訪問では残念ながら割愛した。


  

③ 本尊は立ち姿の聖観音である。
秩父札所では34観音中、21ヶ所がこの聖観音を本尊としている。




④ 欄間から本尊「聖観音」を撮ってみた。
金箔張りの美しい像に見える。




⑤ 地味ではあるが、味わい深い本堂建築でもある。
この札所では他に写真になるようなものがなかった。


★ 次回(時期未定)は27番札所「大淵寺」をご紹介します。

「秩父札所を往く 25」 ~ 25番札所 御手判寺 ~

2011年02月03日 | 秩父札所を往く
「秩父札所を往く 25」 ~  25番札所  御手判寺 ~




① 秩父市久那地区にある25番札所「岩谷堂」 御手判寺。
「久昌寺」とも呼ばれている。
この札所の由来は「播州書写山の性空上人が秩父巡拝の折、閻魔大王から贈られた石の手判を当寺に納めた」という縁起から「御手判寺」ともいうのだと言う。

本堂は室町時代の建築と言われ、私が訪ねた秩父札所の中では最も古そうな霊場であった。

本堂の左手、清め処の奥に「鬼女堂」という小舎がある。




② 「鬼女堂」の格子の間から中を覗いてみると、こんな像が祀られておりビックリするが、これが「鬼女」である。




③ その「鬼女」の由来、「その昔上ノ山奥野の女、心荒く父母親類縁者にも疎み果てられ、自ら懐胎の身ながらも追いたてられ久那の岩洞に住み、鬼女如く振る舞い里人に恐れられていた。女の子生まれて母に似ず神仏を尊び里人の助けにより、旅僧の持ちし観音像を祀り、母没後の供養のためにこの地を霊地にしたという、これが寺の草創である。」とある。


   

④ 本尊は立ち姿の聖観音である。




⑤ 熱心そうな年輩のご夫婦が参拝されていた。
左脇に見えるのが「鬼女堂」。




⑥ 拝殿も歴史を感じさせる造りである。
数百年経た、独特の味わいがある。




⑦ 納札所と久那池。
現在はこちらが本堂になっているようだ。

 なお、この久那地区は「ジャランャ桃ユり」という奇祭のある地区としても知られている。
詳細はこちらで。
http://white.ap.teacup.com/harikyu/12.html


★ 次回(時期未定)は26番札所「圓融寺」をご紹介します。

「秩父札所を往く 24」 ~ 24番札所 法泉寺 ~

2011年02月03日 | 秩父札所を往く
「秩父札所を往く 24」 ~ 24番札所 法泉寺 ~




① 24番札所「光智山」法泉寺は秩父市の別所という地区にある。
本堂に行くには急な石段を登らねばならず、年輩者にはかなり辛い巡礼になっているようだ。




② 本堂は重厚とか荘厳とかいった感じではなく、何となくさっぱりした造りの建築である。
拝礼場の左右に仁王門と兼ねて仁王像を祀ってあるのは非常に珍しい。


  

③ 本尊は座り姿の聖観音である。
聖観音にどうして立ち姿と座り姿があるのか興味のあるところだ。
右の案内板によると、本堂は江戸中期の建築になるという。




④ 拝礼場の周囲は賑やかな感じだ。




⑤ 奉納額によると、「恋ヶ窪の遊女が口中の病にかかりし時、秩父の修行来たりて白山の観音を信じこの楊枝を用ふれば口中の病忽ち癒えたり。」との伝承がある。




⑥ 何となくおだやかな気分になる平和観音と六地蔵。




⑦ 個人の奉納によるのか、可愛い石像もあった。
小坊主の肩に乗っているのはネズミかな。


★ 次回(時期未定)は25番札所「御手判寺」をご紹介します。

「秩父札所を往く 23」 ~ 23番札所 音楽寺 ~

2011年02月03日 | 秩父札所を往く
「秩父札所を往く 23」 ~ 23番札所 音楽寺 ~




① 23番札所の「松風山」音楽寺は秩父市内の荒川左岸、通称「長尾根」といわれる丘陵の一角にある。
地区としては秩父市寺尾にあたるが、この寺尾地区は全部で4ヶ所の札所がある。

この「長尾根丘陵」は近年、埼玉県・秩父市・それに西武鉄道によって共同開発が行われ、「秩父ミューズパーク」と呼ばれる広大な公園に生まれ変わった。



② 江戸中期の建築という本堂は黒ずんでいて独特の威厳がある。
卍(まんじ)の印が印象的だ。


 

③ 本尊はお馴染み立ち姿の「聖観音」である。
案内板に「小鹿坂」の地名の由来が書いてあるが、以前、この近くでインチキ考古学者による「小鹿坂遺跡」とか、「秩父原人」ねつ造事件があって世間を賑わせたことがある。
自然環境の厳しい秩父に先住民族なんか住んでいたわけがない。




④ この札所は「音楽寺」という名称からか、音楽関係者の参拝が非常に多い。
そのためか、ヒット祈願のための納札場所が別に設けられている。







⑤ 「畏れ多くもお天道様に敵対するから加勢しろ。」
明治17年、「田代栄助」を総統とする「秩父事件」の群衆もこの鐘を鳴らして秩父市内に雪崩れ込んだのだという。

「秩父事件」は近代自由民権運動のさきがけとして忘れてはならない事件である。
長い間、歴史上から黙殺され、地元でも口にすることを禁忌とされてきた事件だが、その民主性と正義性から近年再びクローズアップされ、郷土の誇りとして語り継がれ始めている。




⑥ 「音楽寺」から2~3分ほど登ったところにある十三仏の石仏群。
何となく昔話の「かさ地蔵」を思い起こさせる。
懐かしい風景だ。




⑦ 音楽寺附近から望む秩父市の夕景。
もう少し時間がたてば、夜景がきれいに見える。


★ 次回(時期未定)は24番札所「法泉寺」をご紹介します。

「秩父札所を往く 22」 ~ 22番札所 童子堂 ~

2011年02月03日 | 秩父札所を往く
「秩父札所を往く 22」 ~ 22番札所 童子堂 ~





① 秩父市寺尾にある22番札所「西陽山」永福寺。
普通「童子堂」と呼ばれている。
畑の中にあるヒョコンとある霊場という感じで、素朴な雰囲気が好ましい。




② わらぶき屋根の山門というのもひなびた風情だ。
昔の農家の屋根のようでもある。




③ これが「童子堂」の由来となっている、子供のような仁王像。
高さは2メートルくらいある。
ユニークな顔と姿で人気があるが、要は予算もなく、加えて地方仏師の腕が江戸の職人仏師の技に遠く及ばなかったのであろう。




たしかに「仁王」というよりは「童子」である。




④ 本堂はのどかな感じ。
冬の日差しが暖かい。


 

⑤ 本尊は立ち姿の「聖観音」である。
手がいっぱいあったり、顔がいくつも付いていたりしない、普通の観音様を「聖観音」という。
いろいろと云われのある札所のようだが、詳細は読んでみてほしい。




⑥ ちょこっと納札所の中を撮らせてもらった。
いかにも秩父霊場らしい雰囲気だ。




⑦ 熱心に誦経する巡礼者達。




⑧ 六地蔵が行儀良くお見送りという感じである。




⑨「童子堂」近くの野仏に「秩父大橋」と「武甲山」を組み合わせみた。
「秩父大橋」は「秩父ハープ橋」とも呼ばれ、秩父の新しいシンボルとなっている。
夜にはライトアップもされる。


★ 次回(時期未定)は23番札所「音楽寺」をご紹介します。

「秩父札所を往く 21」 ~  21番札所 観音寺 ~

2011年02月03日 | 秩父札所を往く
「秩父札所を往く 21」 ~  21番札所 観音寺 ~




① 秩父市寺尾にある21番札所要光山「矢ノ堂」観音寺。
こう言っては申し訳ないが、味わい深い秩父札所の中にあっては県道の端にある散文的な霊場だ。




② 本堂もとりたてて立派とか素朴とか、そういうこともない普通の建築である。
山門や仁王像などもない。




③ 本尊は立ち姿の「聖観音」である。




④ 「昔この地は元八幡宮の社地で神託により観世音の霊場になった。」というのは18番札所の神門寺にいわれが似ている。
たしかにどちらも「神」が付く霊場だ。




⑤ 六地蔵が行儀良く並んでいる。
この六地蔵は好被写体として評判が良いらしい。


★ 次回(時期未定)は22番札所「童子堂」をご紹介します。

「秩父札所を往く 番外編」 ~ 神門寺の十三仏 ~

2011年02月03日 | 秩父札所を往く
「秩父札所を往く 番外編」 ~ 神門寺の十三仏 ~


18番札所 神門寺の記事で、「此の霊場には本堂を取り巻く、十三仏を祀った回廊がある。
回廊の仏像は彩色が施されており、小さいながらもよく整った像が多い。」と書いたが、じっくり撮影する機会があったので、一体一体接写してみた。
ご覧になってみて下さい。
近寄ってみると意外に稚拙な像であるいは量産品なのかもしれないが、信仰心もなく仏像のことも何もわからない私にも「良い表情をしているな。」と思われるものもある。

この神門寺の十三仏は実際には八仏しかなく、大きさも30~50㎝くらいの小型のものである。

なお、関心のある方のために。「wikipedia」の記事をリンクさせておいた。
興味のある方は私と一緒にお勉強しましょう。(笑)




① 千手観音菩薩。 金箔木造。




② 大日如来。 金箔木造。




③ 勢至菩薩。 彩色木造。






④ 釈迦如来。 上が金箔木造、下が石膏製のように見える。指が欠けていた。




⑤ 聖観音菩薩。 金箔木造。




⑥ 虚空蔵菩薩。 金箔木造。




⑦ 普賢菩薩。彩色木造。




⑧ 文殊菩薩。 彩色木造。