廃校をたずねて ⑪
~ 両神村の廃校3(2)校と煤川集落 ~
「両神村」は ~秩父の山村①~ で紹介した、秩父市西方の村である。
今年4月の町村合併によって、(秩父郡)大滝村・荒川村・吉田町の1町2村は秩父市に吸収合併されたが、唯一両神村は合併を拒んだ。
地方自治・分権を守り抜く同村の姿勢は立派なものと云えよう。
当村は、村全体が 南の「小森川」と北の「薄川」という2本の川によって「コ」の字形に区切られており、かつては小森川沿いに2校、薄川沿いに1校の分校が存在していた。
しかし、林業の凋落とそれに伴う過疎化により、昭和40年代にどの分校も閉鎖になっている。
① 両神村立両神小学校「滝前」分校跡
① 小森川の上流、「丸神の滝」近くの鬱蒼たる森の中に「滝前分校」の跡が現れた。
小規模だが、石垣に囲まれて歴史を感じさせる学校だ。
② 大正十三年に建てられた最初の開校記念碑。
不鮮明な文字の解読に非常な苦労を要したので、みなさんも是非読んでみて頂きたいと思う。
***「両神村ハ山間ノ部落ナレバ地勢上小学校教育ノ如キモ本校外四箇所ニ分教場ヲ設ケ児童ヲ教育セリ
特ニ煤川分教場ノ如キハ村ノ西端ニ位シ通学区域約二里ニ亘リ羊腸ノ小径ヲ辿ルナレバ児童ノ××一方ナラズ従テ雨ノ日雪ノ時ハ出席僅少ナルノ状態ニアリ
偶関東木材ノ当地ニ××ヲ開始スルヤ従業員ノ子弟入学スルモノ多ク同分教場ハ狭溢ニシテ到底此レヲ収容スルニ余地ナシニ至レリ
従テ大正十年十月時ノ本村要路者並ニ同分教場区域内ノ父兄及同会社両神出材部ト相計リ児童通学ノ便ヲモ考慮シ其ノ通学部落ノ負担ヲ以テ別ニ字滝前ニ教室ヲ建設スルコトヲ決シ大正十年十一月滝前区域内ノ父兄ハ同会社両神出材部ト合同シ委員五名ヲ選挙シ之ガ事業に着手ス
或ハ設計或ハ寄付ノ募集ニ将タ校地ノ地並シ及校舎建設ニ昼夜営々トシテ奮励努力シ僅々八箇月経費五千五百七十一円人夫一千六十七人ニシテ校地三百坪校舎三十一坪二合五勺ヲ竣成××
十一年五月郡長警察署長ヲ始メトシ村要路ノ方々来列シ会スルモノ無慮五百名盛大ナル開校式ヲ挙行セリ
前ハ小森川ノ清流ニ臨ミ後ハ蒼然タル森林ヲ負ヒ通気採光ニ注意シクレバ山間稀ニ××校舎ナリ
此ノ挙ヲ永ク記念センガ為メ有志相図リテ之ヲ石ニ録ス
大正十三年三月十一月五日
両神尋常小学校長」***
(注 ××は解読不能箇所 )
この記念碑にいう「新築校舎」とは写真の校舎とは別のものと思われるが、今も昔も、子供たちに良い教育を、と願う親心は変わらないものである。
③ 学校跡は現在、「村営のふるさとキャンプ場」として再利用されている。
夏の一時期だけは、昔日と同じような子供達の歓声がこだまする。
しかし撮影時は冬で、谷間を吹きぬける風は冷たく、身にしみわたる感じであった。
④ 校舎の向こうに見えるのはキャンプの炊事場。
⑤ 今はひっそりと・・・・・、
⑥ ・・・・・夏の訪れを待っているようだ。
② 両神村立両神小学校「煤川」分校跡と煤川集落
① 煤川は「すすかわ」と読む。
「滝前分校」よりやや下流に拓けた、小森川流域では比較的大きな集落で「川煤川」と「山煤川」の上下2集落に分かれている。
「滝前分校」の記念碑にも記述のある「煤川分校」跡だが、この記念碑以外に学校であったという面影は見当たらない。
碑の前には部落の集会場が建ち、周囲は共有のモータープールになっていた。
道路建築の際に造成し直されてしまったようである。
代わりに「山煤川」の集落を紹介してみることにする。
② 部落のメイン・ストリート。
集落の入口にはモータープールがあり、そこから各個人の家には、このような荷車道を通ってゆく。
消火栓が見えるが、消防自動車も入れない地域なので、火事には細心の注意が払われているようだ。
③ 急な斜面にへばりつくように人家が建つ。
瀬戸内沿岸の景色に似ているような感がしないでもない。
④ 集落にはもう子供はいないという。
その、すでに成人した子供達がかつて使っていたであろう自転車が、軒下に積み重ねられていた。
⑤ 巨岩を積み重ねた、立派な石垣。
この作業がすべて人の手によって為されたという先人の偉業に、ふと畏敬の念がよぎる。
⑥ 日だまりの道。
昼下がりで人影はない。
かつて、こうした山村ではよく、お年寄りどうしが「日向ぼっこ」をしながら語り合う光景を目にしたものだが、最近は見かけなくなった。
③ 両神村立両神小学校「出原」分校跡
「出原」は「山村をたずねて①」で紹介した集落で「いでがはら」と読む。
「薄川」上流部に拓けた比較的戸数の多い集落である。
① この学校は何かの情報を頼りに行ったものではなく、偶然に探し当てたものである。
出原部落を撮影中、石垣と建物を見てピンときた。
最近はこうした「廃校」にとても敏感になってしまったようである。(笑)
② 高台の日当りの良い場所に学校はある。
森の中の滝前分校とは対照的だ。
③ 窓からは一年中「両神山」が望める。
こんな風光明媚な学校も珍しい。
「両神山」は日本百名山のうちのひとつだ。
④ 軒板の丸い模様は啄木鳥のあけた穴である。
「餌はない筈なんだがな、何だかつつくんだよなぁ~」とは土地の人の弁。
⑤ 午後の日差しを浴びて。
⑥ どこの学校にも同じような記念碑があった。
時がたっても、村の人々の記憶から忘れ去られてはいない、というのは幸いなことである。