あまの鍼灸院ブログ

鍼灸院での毎日の様子をアップしています。
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鍼灸治療の伝来

2022-08-21 20:01:00 | ブログ
こんにちは。長い夏期休暇をありがとうございました😊
明日より、通常開院いたします😊
皆さまのお越しをお待ちしています☆

毎週日曜日は、院長の自伝です😊

中国医学とその思想は,はじめ朝鮮を通じて日本に伝えられたと考えられています。
金元時代に体系づけられた当時の新しい中国医学が、平安時代から室町時代にかけて、仏教とともに主として僧侶により伝えられました。
戦国時代の国情は金元医学の成立した中国の状態と共通点が多く、伝来した医学は日本によく適応し、
同化されて日本独自の発達を遂げました。

司馬遷の『扁鵲倉公列伝』には次のように書かれています。
 《春秋・戦国時代に秦越人・扁鵲と呼ばれる名医がいた。
『扁鵲』が旅館の館長をしている時にそこに宿泊していた『長桑君』と言われる方がいた。
あるとき、『長桑君』が『扁鵲』を客室に招き、次のように伝えた。
「わたしは秘伝の医術を会得している。だがもう年をとってしまったので、それを貴殿に伝授したいと思う。
貴殿はそれを人に漏らしてはなりませぬぞ」と言って、懐中から薬をとり出して『扁鵲』に与えた。
「この薬を上池の水で三十日飲み続ければ、きっと物象を透視できろようになるだろう」と言い、
持っていた秘方を記した医書を一つ残らず取り出して、すべて『扁鵲』に与えると、忽然と姿を消してしまった。
『扁鵲』は言われたとおりに、薬を飲み続けること、三十日、土塀の向こう側にいる人の姿を透視できるようになりました。……
 有る時、『扁鵲』が地方を歩いているとき、宮殿の太子がご病気で危篤状態とのことで、
国中で、病気平癒の祈祷が行われていた。
黄帝は「扁鵲』を宮殿に招き太子の治療にあたらせた。
『扁鵲』は、弟子に鍼を磨かせて、その鍼で、太子の陰と陽の二気を調えることにより、
太子はすっかり元気を快復したのであります。
陽の部分の病状がわかれば、陰の部分の病状も推して知ることができ、
反対に陰の部分の病状がわかれば、陽の部分の病状も推して知ることができるのです。と言われ、
太子のご病気を治したと言われています。
 そこで、皇帝は、『扁鵲』に尋ねました。
「そなたが診察治療した病気は、病名が多くは同じでありながら診断が異なっていたり、
助からないものもあれば助かったものもあったのは、どうしてか」と。『扁鵲』は次のように応えました。
「病名には似たものが多く、病名だけでは病気を区別することはできません。
そこでむかしの聖人たちは脈で病気を診断する方法をあみ出し、さまざまな基準を設けて
体内の陰陽二気の盛衰を観察して、人の脈を区別し、それぞれの脉状を命名したのです。
脈診法の設定にあたっては、天地における陰陽二気の運行の理法に準拠し、
それを人体の状況にあてはめたのです。ですから、さまざまな病気を区別して、異なった診断を下すことができるのです。》
(以上、史記・扁鵲倉公列伝より抜粋)

 上記『扁鵲・倉公列伝』に述べられているように、
東洋医学は病名診断では無く随証療法と言って患者さんが現す症状を陰陽二気に分類して診断し、
五行(木・火・土・金・水)、五臓(肝・心・脾・肺・腎)に当てはめて治療目標を定めます。
更に脈診により、病症と脉証の整合性をはかる事により最終確認を行い治療しているのです。
このことを先人は「診断は陰陽で、治療は五行で行う」と言われました。

次週に続く

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