さてさて、伊勢神宮の参拝を終えたワタクシが、次に向かったのは同じ伊勢市の河崎という地区でした。
河崎は江戸時代に全国からの参宮者で賑わう宇治山田に、勢田川の水運を利用して大量物資を供給する
大問屋街として発展し、明治時代まで、伊勢の商業の中心を担っていました。
戦後になると、水上輸送から陸上輸送中心になり、問屋街としての 河崎は衰退してしまいましたが
川沿いの石積みの蔵、本通り沿いの商家や町屋など、当時の面影を感じることができるまちなみは今でも残っています。
江戸時代に作られた酒問屋が修復され、見学できるようになっています。
格子戸好きのワタクシにはたまらない光景です。
江戸時代の豪商は、実際には武士をはるかに上回る財力を持っていたのですねぇ。
蔵も立派なものです。資料を見ると関西や尾張と取引が多かったようですね。
まるで時代劇のロケ地のような佇まいです。商人の威勢のいい声が聞こえてきそうですよ。
ではでは、河崎の町をゆっくりと歩いてみましょうか。
水上輸送が衰退とともに衰えていった河崎の町。
今、町並み保存運動とともに、新しい町づくりが始まろうとしています。
歴史を生かしつつ、今の時代のニーズに応じた町としての発展を願わずにはいられません。
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河崎は江戸時代に全国からの参宮者で賑わう宇治山田に、勢田川の水運を利用して大量物資を供給する
大問屋街として発展し、明治時代まで、伊勢の商業の中心を担っていました。
戦後になると、水上輸送から陸上輸送中心になり、問屋街としての 河崎は衰退してしまいましたが
川沿いの石積みの蔵、本通り沿いの商家や町屋など、当時の面影を感じることができるまちなみは今でも残っています。
江戸時代に作られた酒問屋が修復され、見学できるようになっています。
格子戸好きのワタクシにはたまらない光景です。
江戸時代の豪商は、実際には武士をはるかに上回る財力を持っていたのですねぇ。
蔵も立派なものです。資料を見ると関西や尾張と取引が多かったようですね。
まるで時代劇のロケ地のような佇まいです。商人の威勢のいい声が聞こえてきそうですよ。
ではでは、河崎の町をゆっくりと歩いてみましょうか。
水上輸送が衰退とともに衰えていった河崎の町。
今、町並み保存運動とともに、新しい町づくりが始まろうとしています。
歴史を生かしつつ、今の時代のニーズに応じた町としての発展を願わずにはいられません。
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名古屋在住のまだ結婚前の長男の車で家族旅行したことがあります。
画像の所には行ってませんが・・と言うか知りませんでしたが大八車や当時の様子が良く判りますね。
江戸時代は士農工商と階級付けされていましたが実際は財源の有る商家の方が力を持っていたんですよね特に幕末は。
江戸時代の豪商の勢いが良く分かりますね。
町並みの保存運動や新しい町づくりがが始まっているとのこと、
何とかこういう風情のある昔の家屋や町並みは残して欲しいものですね。
そして丁寧なブログ構成。。
写真!!ぜったい実物より~
めっちゃきれいやと思いますぅ~♪
元禄の頃まででしょうね。
商人に武士が借金するようになったら
こんな身分制度は有名無実ですね(*^_^*)
その気持ちは後世に伝えていきたい
いや
伝えていかねばならないですね。
褒めすぎですよ…
ちょっと恥ずかしいです(*^_^*)
伊勢神宮とその界隈しか接点無かった・・・
車だと15分くらいかなぁ。
機会があったら行ってみてくださいね。
死語となりましたが
この街並みにはこの言葉が似合いますね。
商人達の活気あふれるにぎわいが
聞こえてくるようです。
商人の言葉は日常の中から消えていきました。
お店も大型店が主流です…寂しいなぁ。