美代子は、大助を母屋の中央にある2階の十二畳の広い座敷に案内すると、広いテーブルの上に大きい地図を広げて、お菓子を食べながら、現在地と大助の住む東京の地図に赤ペンで印しを書き込み、互いに近隣の模様を楽しそうにお喋りしてていた。
大助は、煌びやかな大きい仏壇と、床の間に飾ってある鎧兜や日本刀、西郷隆盛の銘のある掛け軸、それに、部屋の真ん中に敷かれた豪華な緑色の絨毯や唐草模様が漆塗りされた立派なテーブルに気を奪われて、田舎の旧家の素晴らしさに美代子の話も半ばうわの空で相手していた。
美代子は、そんな大助の気持ちにお構いなく、彼の隣に寄り添う様に足を崩して座り直すと、7月の県下中学校の水泳大会で3位に入賞したことを話し始めたので、彼は彼女の差し出した腕を見て
「道理で、良く陽に焼けているわ」
と、彼女の腕をソット擦って言うと、彼女は
「大助君の顔や腕も、こんがりと陽に焼けて逞しいヮ」「野球の練習で先輩からしごかれているの?」
と、彼の腕を平気な顔をして掴んで
「やっぱり、オトコノコは筋肉が引き締まってて堅いのネ」
と何度も彼の腕をさすていた。
それが、文通をはじめ深い交際もなく1年振りに逢った、若い二人の男女とは思えない自然の仕草で・・。
老医師は、大助のことが気になりながらも、何時もより多い患者の診察に少しイラツキ気味で診察室を出ると、受付の朋子さんに疲れた表情でカルテの束を投げ出して
「何時もの薬なので、キャサリンと節子さんに頼んで処方して貰いなさい」
「ワシは疲れたので部屋で休むから」
と言ったあと、朋子さんから美代子と大助のことを聞くとニヤット笑い
「アッ そうだったなぁ。予定より早かったなぁ」
と呟きながら途端に表情を崩して
「どの部屋にいるんだい」
と聞き、彼女が
「美代子さんが、二階に案内しましたゎ」
と教えると
「キャサリンに離れの2階に来るようにと言ってくれ」
と指示して、白衣を脱いで大急ぎで階段を上がって行った。
この部屋は、美代子達のいる部屋と中庭の池と老松の大木を挟んで向かい合った離れにあり、眼下に小川が流れていて、木陰から瀬音が静かに聞こえてくる、老医師が好んで使用する和室である。
キャサリンが部屋に顔を出すと、大助が訪ねてきた理由を一通り聞いたあと、望遠鏡を持ってくるように言いつけ、やがてキャサリンが止めるのも聞かずに、窓の硝子戸と障子戸を少しあけて、美代子達の開け放された部屋から賑やかに聞こえてくる声に誘われる様に覗きはじめた。
最初のうちは黙って覗きこんでいたが、そのうちに、自分も童心に返ったのか、隣で心配しているキャサリンに、滅多に見られない可愛い孫娘の遊び興じる姿を、まるで実況放送をする様に彼女に逐一聞かせるかのようにブツブツと喋り始め
「キャサリン、あんたが男の子を生んでいれば、毎日、こんな愉快な孫達を見ていれらるだよなぁ」
「ワシは男の孫も欲しかったが、まぁ、無い物ねだりか」「君と正雄も罪だよなぁ」
「あの大助君は、素直で、去年見たより随分成長し、ワシの孫みたいに可愛いわ」
「美代子も、彼とは相性が合い、二人でいるとまるで人間が変わった様に朗らかになり、今晩からは、また、美代子のヤツ威張りよって五月蝿くなるなぁ」
「普段、なんやかんやと友達にいじめられているので、その鬱憤をはらす気持ちもよぅ判るゎ」
と、キャサリンに愚痴っているのか、心の中を思うままに独り言を喋っているのかブツブツ言っていたが、そのうちに素っ頓狂な声で
「オヤオヤッ! わしの宝物である尺八を、二人で交互に吹いているが、音が出ないためか諦めて畳に放り出して、今度は、テーブルを囲んで盆踊りをはじめよったわ」
「アッ! 美代子がワンピースをたくし上げて、大助君にステップを教えているらしいが、二人が手を合わせて楽しそうにはしゃいでいるわ」
「アララッ 美代子が太腿にくっきりとわかる、海水着との境の陽に焼けた部分を見せて自慢そうに笑っているわ」
「ホンマニ あのこは無邪気で恥ずかしくないのかなぁ~」
「イヤイヤッ わし等のころと違い、男女の間の厚い壁がとり払われて、これでイインジャナ。 わし等とは時代が違うんだ」
「キャサリンは、どう思うかネ」
「あんた達も若いころ、あの二人達の様に、無邪気にはしゃいでいたのかネ」
「でも、腿まで見せなかったろうネ」
等と盛んに呟いていたが、老松が視界を邪魔するのか自慢の老松にまでケチをつけて、時々、文句を言いつつも、満足しているらしく何時になく御機嫌であった。
そんな話を聞いていてキャサリンは、時折、顔を赤らめていたが、老医師が覗き見しながら
「大助君にお土産を用意してあるのか?」
と聞いたので、彼女は済まなそうに咄嗟のことで用意していない旨答えると、老医師は急に機嫌を壊して
「君は、まだ、田舎の風習を理解していないんだなぁ。普段、節子さんからよく聞いておくんがなぁ」
「お客様を招待したときは、例え少しのもでも地元の名物を用意して差し上げるのが礼儀だよ」
「せがれも、君もわかっていないんだなぁ~」「正雄に電話して帰りに用意して来いと言いなさい」
と、小言を言ってキャサリンを困らせていた。
美代子達二人は、離れの座敷から覗かれていることなど知るはずもなく、遊び疲れて再びテーブルに並んで座ると、美代子は大助を見つめて、青い瞳を潤ませて助けを請うように
「ネェ~ 大助君、わたし、学校では、時々、男子生徒から面白半分に、青い目のオンナノコは下の毛も金色か?。なんて、つまらぬことを言われて、からかわれたことが度々あったが、そんなこと先生にも両親にも相談できず、帰宅後、自分の部屋で悔しくて何度も泣いたゎ」
「大助君は、そんなことに興味がある?」
と、しんみりと悲しげな表情をして聞くので、大助は
「僕、そんなこと、今、初めて聞いたよ」
「世界中には色々な人達が住んでおり、皆、それぞれの先祖の血を受け継いでいるので、そんなことは遺伝で当たり前のことで、何も気にすることはないと思うがなぁ~」
「第一、現在では国際結婚も珍しくなく、都会では若い人達の中にも、わざわざ金髪に染めている人も沢山いるよ」
「僕のクラスにもアメリカ人がいるが、そんなこと話題にもならないなぁ~」
と答えてやると、彼女は元気を取り戻し
「やっぱり、都会に住んでいる人達は心が広いのネ」
「わたし、去年の夏、川で水泳中に足を滑らせて転びそうになったとき、君に抱きかかえられ助けられたとき、君は何も不思議がらずに平気な顔をしていたのが、今でも強く印象に残っているヮ」
「あのときは、物心ついてから初めて肌色で差別されなく自然な姿で接してくれた君に凄く感激し、とっても嬉しかったゎ」
「それ以来、いじめられて悔しいとき、時々、あの時のことを想い出すことがあり、君が近くにいたらなぁ~」
と言いつつ、俯きながら彼の右手の指を一本一本数える様に順にいじっていた。
老医師は、キャサリンに対し
「オヤオヤ? 二人ともなんだか急にしんみりとして、顔を近寄せて話し合っている様だが、なにか難問でもおきたのかな?」
「一寸、心配だなぁ~」
「あんた、大助君が機嫌を壊して健太郎君の家に帰ってしまうと、ワシも寂しいので部屋に行って見て来なさい」
と、慌てた様に言うと、キャサリンは
「大丈夫ですよ」「若い人達は色々な思いがあるので、好きな様に遊ばせておきなさいよ」
と答えていたが、老医師までもが深刻な顔つきになって肩を落とし望遠鏡を放り出して、障子戸をそっと閉めてしまった。