母はふるさとの風

今は忘れられた美しい日本の言葉の響き、リズミカルな抒情詩は味わえば結構楽しい。 
ここはささやかな、ポエムの部屋です。

海はいつも

2012年07月31日 | 
青くまろく広がり 
見えぬ海図を持ち
たおやかにも源に数え切れぬ命を抱いて

山なりのする部屋の
夜更けの白い窓辺にまで押し寄せる潮の匂いで
幾夜となく眠れぬ夜をすごし揺れた心
大いなる海の哀しみに戸惑いながら


陽を昇らせては沈める海の向こう
水平線
極まらず光る海
衣ずれてざわめく海

海は語るか
過去から未来への
数えきれぬ命の連ね
海の深さいのちの永遠

短い命を与えられた我らに
いつの日かは
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夕の雨

2012年07月15日 | ふるさと
夕雨が降ります
私は庭を眺めています
父の横に座っています
猫は真ん中に座っています

盆栽の鉢たちに夕雨が降り
サルビアの赤さが洗われ目にしみる
この霧雨の中を蛇の目を差しゆくあの人は
紬の帯をむすんでる
 
夕雨が降ります
みどりに濡れる木々の青
庭を見つめて縁側にいた 
父と 娘と 黒い猫

絵のようなその思い出を 
誰に話すこともない
私だけの思い出の夕の雨 
三つそろって縁側に 
静かに落ちる雨だれの音を聴いていた―。


今日の夕雨 霧の雨
心にそっとしまわれてた
ひとときを濡らして去った雨の想い出 在りし日の夕雨よ
今はない父と猫の
背中の愛しさ
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流水蜻蛉の着物

2012年07月04日 | 
はるか昔 若い母の体を包んでいた
流水蜻蛉の絵柄の夏の着物は
洗っても消えない母の汗の跡 時の経過の痕跡が残っている

私のまだ生まれていない日
戦争の気配のどこかにある夏
坪庭で撮った家族・一族の写真に
流水蜻蛉の絵柄の着物姿の母と白い薩摩絣を着た父の姿がある
二人は 
大家族の中で他人のように左右に離れて立っているが
この時母は上の姉を身ごもっていた
結いあげた豊かな黒髪 頬は細く繊細に 若妻の恥じらい見えるおもざしは美しい
その日も深い緑の庭木の葉はそよぎ
夏の庭に盛装した一族は紋付を着てまじめな顔でレンズの方角をじっと見ている
若くして戦争で亡くなった叔父もいる
記憶のない祖母、まだ若い祖父も幼い兄たちもいる
セピア色に遠い70年前も 今日の日と同じく
時は静かに流れていたのである

父の育てた白い百合にクロアゲハが舞い降り
ダリアの花は空を突いて開いていただろう
蝉は鳴き 青い空の下百日草や松葉ボタンなども咲いていたろうか

手元にある流水蜻蛉はもはや褪せて薄く
私がこれを着ることはもうできないが
70年前の夏の息吹きは形をとどめ
確かに 絶えることなく
平成24年の夏の始まりを見つめているのである
流水は蜻蛉を憩わせて 流れ続けているのである
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