虹色オリハルコン

命にエネルギーを与えるパワーの力

命からエネルギーを奪うフォースの力

どちらを選ぶかは自分次第

車依存社会からの脱却を

2007年01月23日 | 車社会を考える
朝、子どもたちが学校へ行く前に、親はなんて言いますか。
遊びに行くとき、なんて声をかけますか。
「いってらっしゃい、車に気をつけて」
私も、必ず言いました。高校生になっても、今だ、そう声をかけています。

ここ数年の間に、近所で、中学生が塾へ行く途中、車に自転車ごとはねられて亡くなり、また、真新しいランドセルを背負った小学1年生の男の子が、下校途中にひき逃げされて亡くなりました。大事に至らなくても接触事故のようなことは、日常茶飯事におこっています。全国に目を向ければ、おして知るべしです。
毎年事故後24時間以内に何千人もの人々が車によって命を落としている現状。公共交通ならとっくに営業停止でしょう。交通事故の恐怖は、テロよりも切実な今そこにある危機なんです。

昨年は、飲酒運転の末、ぶつかった車が海に転落し、乗っていた幼い兄弟3人の命が失われるという、ショッキングな出来事がありました。それをきっかけに、飲酒運転の取締りが強化され、社会全体が飲酒運転に対して厳しい目で見るようになりました。
私は、この3人の子達は本当にかわいそうで、ご両親の気持ちを考えると胸がつぶれそうになってしまいます。
しかし、彼らの犠牲があってこそ、飲酒運転への警鐘を大きく鳴らすことが出来たのです。

同様に風見しんごさんのお嬢さんが、青信号横断中にトラックの下敷きになってなくなったというニュースは、あまりに痛ましく、風見さんの悲しさ悔しさが伝ってくるような喪主挨拶には思わず涙が出ました。

役割のない命なんてないのです。
亡くなったお嬢さんは、有名人のお子さんということでクローズアップされましたが、多すぎてニュースにもならず同じように亡くなった大勢の子どもたちを思い出させてくれました。
そういった意味で、昨年亡くなった3人の幼い兄弟も風見さんのお嬢さんも、交通事故っていつでも起こる可能性があるのだよと、私たちに警鐘を鳴らしてくれた、そんな役割であったのかもしれません。

飲酒運転だけじゃない。運転者がどんなに普段いい人でも、曲がったことが大嫌いな正直者でも、些細なミスで大事故につながってしまう車という乗り物。
また、24時間個室状態で移動できるわけですから、赤ん坊のときから車移動させられた子達が公共の場での暗黙のルールやマナーも知らずに育ってしまって、電車の中で化粧したりするのではないのかと思ったりもします。(しつけの問題もありますが・・・)
私は、排ガスによる空気汚染や温暖化への大きな影響力も考えると、車依存社会になってしまった日本にある種恐ろしさも感じます。
総量規制をするとか、公共交通をもっと充実させるとか、車社会自体を見直す時期に来てるのじゃないかと、ずっと前から思っていたのです。

狭い日本の狭い道、もう少し、車には配慮と遠慮と恐縮を持って走ってもらいたいと、歩行者の立場から切に思います。
東京大学名誉教授で経済学者の宇沢弘文さんは「地球温暖化を考える」という本の中で、歩行者に優しい道作りという観点から素敵な提言をされています。

「歩道橋という施設がいかに非人間的なものであるか改めて強調するものでもないと思います。安全な歩行という市民の基本的な人権を侵害しないような形で、道を横断することが出来るような配慮がなされなければならないことはいうまでもありません。したがって車道を歩道より低くして、階段を使わないで横断することが出来るように設計を変更する必要があります。
また、車道と歩道は物理的に分離するだけでなく、その間に緩衝地帯を設け並木を植えたりして、歩行者が直接自動車の排ガスをうけるようなことがないようにしなければなりません。住宅も直接車道に面している場合が多いのですが、必ずある程度の距離をとって、樹木なども植えて、人々の生活が排ガス、騒音、振動から守られるようにしなければなりません。」


誰でも被害者で加害者の車社会。
仕事は別にしても、体が元気で公共交通も充実した場所であるなら、「乗らない」「持たない」という選択だってかっこいいと思いますよ。 



温暖化は待ったなし  

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17 コメント

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金木犀さんにも宇沢さんにも大賛成 (非戦)
2007-01-25 12:59:22
金木犀さん、

金木犀さんの今日の記事にも同感です。

飲酒運転で、わが子を殺されるなど、殺人で殺されたのと同じだと思います。親の悲しみ、後悔、怒りはどれほどのものか計り知れません。
交通事故の被害者は、「青信号」で渡っていたとか、歩道を歩いていたとか、安全運転をしていたなど、きちんと規則を守っていたり、注意していたにもかかわらずとなると、相手にどんなに怒りをぶつけても、失われた命はかえりません。

宇沢さんが書かれているように、本当に弱者を含めた歩行者のことを考えれば、歩道橋というのはおかしいですね。あの急で長い階段は、車椅子の人、足腰の不自由な人、身体の弱った人などには無理です。
排気ガスのことも考えるというのにも賛成です。車の人よりも歩行者のほうが被害が大きいですから。

今の歩道は安全とはいえませんね。自転車が無灯火でモースピードで走っているくることもあるし。

歩いていて、安全な街つくりが大切ですね。それが最優先されるべきです。

車社会では、なくなればいいのに。

都会はまだ都市交通が発達しているから、ましかもしれませんが、田舎は一人一台の車が当然。
それを前提をしているから、鉄道がどんどん廃線になってしまって、車をやめようとしてもやめられない。どう考えても、車一台で一人の人間がCO2を出しながら、車道を占領すること自体、不合理で、環境、燃料、健康などにいいことはないですね。

個人個人の心がけ+国や地方自治体の努力+企業努力で
車を減らして、交通事故の悲劇が亡くなるようにしないと、風見さんの悲しみがこれからもどんどん増えます。
とても辛く胸が痛みます。

誰が交通事故にあっても不思議ではない車社会。
毎日、無事を祈るとともに、やっぱり考えてなくてはね。
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ありがとうございます (金木犀)
2007-01-25 16:30:00
日本の基幹産業としても利便性でも、みな多かれ少なかれ車の恩恵は受けていますから、車の悪口が言いづらいことも、問題が表に出てこない原因だと思います。
非戦さんに同感していただき、とてもうれしいです。

アメリカは超車社会ですが、確か鉄道業界と石油業界が献金合戦をして、鉄道が負けて、石油業界が勝ったので、アメリカの道路網が発達したのだと聞いたことがあります。今なお、アメリカの政治に大きく影響してる石油業界。
そして、レーガンと仲良しだった中曽根さんの国鉄民営化によって、赤字路線が廃止され、田舎ほど車なしでは移動できない日本になってしまいました。
で、バスなどもますます赤字になり、1日数本しか走らなくなるようになる。

運転者の高齢化に伴い、事故を起こす確率も高くなっています。父も病気のため、長年使っていた車を手放してもらいまいた。
自家用車だけが頼りでは、年配者だけの世帯は、これから本当に困ると思います。
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これもアメリカの影響 (非戦)
2007-01-25 17:22:57
金木犀さん、

金木犀さんの上のコメントがとても勉強になりました。

アメリカの石油業界と鉄道業界が献金合戦をして、石油業界が勝ったのが、日本まで影響を与えたのですね。

国鉄民営化は、中曽根さんのときでしたか。
ロン、ヤスとか言いながら、日本国民には、迷惑なことを
話し合っていたんですね。

車に乗っていらっしゃったお父様が、御病気で車を手放されたいうのは、やもうえないことだったと思います。
でも、その代わりになるたとえば格安のタクシーチケットとか小回りのきく福祉バス、電車などを走らせてくれないと、とくに田舎住まいで一人だと、もうピンチですよね。

こちらの田舎では、よくスーパーの前にタクシーが止まって待っています。多分一人暮らしのお年寄りが使っているのです。スーパーで安い買い物をしても、タクシー代がかかるので経済的には大変だろうと思います。
また、高校生が、高校まで送ってもらう風景も当たり前になっているし。

通学電車くらい残して欲しいのに、赤字だとすぐ廃線という発想になるのが、おかしいです。でも、今こちらでは、残そう住民などががんばっているところです。

これはみんなの問題ですね。いつまでも、車が運転できるわけではないし、一人住まいになる可能性もあるし、人事ではありません。自動車を減らすにも、やっぱりきめ細かい公共の交通機関が大切ですね。
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おっしゃるとおりです (金木犀)
2007-01-25 23:04:10
>格安のタクシーチケットとか小回りのきく福祉バス、電車などを走らせてくれないと、とくに田舎住まいで一人だと、もうピンチですよね。

まさにその非戦さんのアイデアは、今すぐ具体的な方向に持っていって欲しいと思いました。
病気の妻を病院まで送るのに、足がないので、認知症の夫が運転する・・・現実に起こっていることです。いつ事故が起こってもおかしくない現状が日本中にあります。

認知症は、初期の段階では、本人はおろか回りも気がつきません…。と、経験者は語る。

>高校生が、高校まで送ってもらう風景も当たり前になっているし

そうですか・・・車を減らそうなんて、そんな状況では、絶対出来ない日本になってしまいましたね。中曽根さん、今でもなんだか偉そうにしてるけど、責任とってほしいですね。
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通勤ラッシュはストレスのもと (ヘルメス)
2007-01-26 00:36:49
私の知り合いもロスで自転車を乗っていて車にはねられて大怪我をしました。自転車は小さいので確認しづらいようです。

ちょっと愚痴っぽくなりますが、ロスは最近地下鉄ができましたが、私の住んでいる場所から会社まではないですね。路上に線路はありますが、貨物用ですからね。逆にバスは発達していますが、通勤ラッシュの時間は渋滞に巻き込まれます。でもロスとニューヨークではバスを使う人は「かっこわるい」という言説があります。残念なことです。車がなかったら女の子を誘うこともできません。「バス男」というのはまずないですね。また車は経済状態のバロメーターです。女の子は車で男の経済状況を判断するようですから。そんな言説、吹き飛ばしてほしいものです。

ドイツを鉄道社会にしたのはビルマルクで、車社会にしたのがヒトラーと言われています。ヒトラーはフォードとつながっていましたし。つまり車をもつことが大衆の夢となり、それを実現した社会が偉大な社会として評価されました。買い物でもスクーターや自転車籠では間に合いませんし、車でなかったら荷物を運ぶのは到底無理です。車も消費社会の記号ですね。

日本の道は狭いですから車社会に向いていないのかもしれません。車が通れない道があるとは驚きました。日本はアメリカと違って自転車社会なので、自転車がやたらと多くて事故多発の原因になりますね。アメリカはそもそも大都市にしか歩行者はいません。だからちょっと田舎へ行くと歩行者が横断歩道を歩いていると平気でクラクションを鳴らされます。歩行者の人権は完全に無視です。

日本で驚くことは車がすべてピカピカな新品のモデルということです。アメリカでは平気で10年前の中古車が走っているというのに。だから、景色はまるで途上国です。ドイツに行った時も中古車がまったく見当たらない。日本とドイツはアメリカに比べて本当に先進国だと感じてしまいました。

アメリカでは16歳で免許が取れますから、つまり高校一年で自動車に乗れますから、いかに車社会ということですね。日本の高校が生徒にバイクに乗ることを禁止しているという常識は全く通じません。またアメリカでは自動車に乗れて大人になったということになります。それに子供はスクールバスで通学しますから、子供は守られています。しかし、スクールバスの中の無法状態もまた問題です。

飛行機が一番安全な乗り物で自動車が一番危ないですね。ブッシュも若いときに飲酒運転で逮捕された経歴があるほどです。ローラ夫人も自動車事故で加害者としての過去があります。アメリカはつねに車の危険性と隣り合わせですね。またロスの通勤ラッシュはストレスのもとです。なんとか通勤を地下鉄で行えるようになってほしいものです。ニューヨークのように。というわきで、アメリカの車社会に対する怒りを書きました。失礼しました。
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郊外で買い物が車社会を助長 (非戦)
2007-01-26 10:37:25
ヘルメスさん、アメリカの事情を詳しく教えてくださってありがとうございます。
男の子には、車が必需品という考え方、理解はできます。
でも、発想の転換で、やっぱりアメリカ人が16才からほぼ全員が車を持つというのもどうにかならないものかと思います。

日本はアメリカの真似をして、郊外に格安で物が買える大ショッピングセンターをつぎつぎに作っています。ここには、従来ある公共交通機関ではほとんど行けません。
自宅から遠いと、必ず車でないと行けません。
だからみんな車がほしいんですね。
そこで、すべての買い物、映画、スポーツ、風呂などがすんでしまうので、田舎の人は、自分の街の商店街にも、ちょっと電車で行ける中都市のデパートにも、なかなか行かないんです。だから電車で買い物なんていうのは、大都市のデパートに出かけるならともかく、減ってきていると思います。

車がないとどこにも行けない、という街つくりを止めない限り、個人の考えだけで車をやめるのは、困難かもしれません。街つくりは、市民の声を取り上げてやるべきですね。田んぼの中でも、排気ガスを吸わなければならないのは異常です。交通事故も増えるし。
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非戦さん、ヘルメスさん、またまたおっしゃるとおりです (金木犀)
2007-01-26 12:32:59
大型店舗や巨大ショッピングセンターの出現により、ヘルメスさんの言われるようなアメリカ型の買い物形式が、日本の商店街を閑散とさせてしまいました。
シャッター通りは、日本全国にあります。

もともと日本の道は、狭くて歩くように出来ているし、細かく入り組んでいるのに、カーナビのせいかどうか、抜け道なるものが出来て、住宅街の真ん中で、スピードを出した車に出くわし、ドキッとします。

江川紹子さんがアメリカのワーキングプアの人たちを取材していました。完全な車社会ですから、バスも通わぬ安い家賃の家に住んでるビンボー人で、車も持っていなければ、毎日歩いて職場まで通うのだそうです。また別の人は、ガソリン代を捻出するために、アパートの住人から古新聞を回収して売っていました。
アメリカの車社会はビンボー人には、きついですね。

アメリカのような国を目指した小泉改革ですが、弱肉強食で一部の金持ちはますます金持ちになり、ビンボー人はますますビンボーになるそんな国が、美しい国なんておかしいですよね。「にくいし、くつう」なだけです。

>車がないとどこにも行けない、という街つくりを止めない限り、個人の考えだけで車をやめるのは、困難かもしれません。

田舎は確かにそんなふうになってしまいましたね。
人にやさしい町は歩いて暮らせる町だと思います。
発想を根本から変えないとだめですね。

しかし、乗らなくてもすむ場所もありますよね。サザエさんのおうちのように、一時代前の暮らしでも困ってなかったんですから、出来る人は「乗らない」という選択も、大人の選択だと思います。
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車に乗らないことはできる (非戦)
2007-01-26 14:30:54
>サザエさんのおうちのように、一時代前の暮らしでも困ってなかったんですから、出来る人は「乗らない」という選択も、大人の選択だと思います。

その通りですね!

昔は、バス、電車、自転車、乳母車、リヤカーなどと徒歩を駆使して、なんでも運び、どこでも行きました。

祖母は、電車を乗り継いで、畑で取れた野菜やお米を、紐で結んだ前と後ろの風呂敷いっぱいにして、汗をかきながら、持って来てくれました。

現代人は、「車に乗らない」という強い決心が必要です。
通勤ばかりでなく、なるべく帰省、行楽にもローカル線が残っていればかなり可能になりますね。

「車に乗らない」生活を考えると、なんだか楽しくなりました。かならず、人とのコミュニケーションも増えますね。
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アメリカの家には必ずガラージがある? (ヘルメス)
2007-01-26 14:37:43
日本もやたらとアメリカの真似をして大変ですね。アメリカは日本の何十倍の面積があるので、車もより必要なのですが。アメリカ地図をみれば西に行けば行くほど高速道路や鉄道が少なくなります。つまり東の方が交通は発達しているのです。ニューヨークはその最先端ですね。

ほんと、ガソリン馬鹿高いですよ。早くガソリンに変わるエネルギーを見つけてほしいものです。石油高騰のせいで、タイア一つが80ドルとかなってましたから、タイア交換は仇となりました。せっかくの粉骨砕身の給料がいずこ!

米国では中産階級、いわゆる郊外に住んでいる人びとの家には必ずと言っていいほど車をとめるガラージがついています。よって一家に車四台が当たり前ですね。乗用車二台は両親の通勤用、SUVとミニヴァンはは家族用、そして子供は余った車で運転する。またガラージで車を自分で部品を取り替えたり、改造したりします。

また、そこで子供たち近所の子供とバンドを組んでパンクロックを演奏します。いわゆるガラージバンドです。ビートルズは労働者階級のリバプールの貧困街から出ましたが、新しいロックバンドはガラージバンド出身です。とくに女の子のガラージバンドはかわいくでたまりません。そんな女の子をもった父親を私はいつも皮肉を込めて「この幸せ野郎」とののしります。

私の知り合いに60年代にヒッピーをやっていた人がいましたが、いまでは可愛い娘がいて、ガラージのある品のある家に住んでいて、娘はアート系の道に進んで、グラフィックデザイナーとして活躍しています。ガラージに育たなかった私は結局彼の娘とは以心伝心できないで終わってしまいました・・・。

またコンピューターで有名なHP社もガラージを改造した研究所からスタートしました。キルドーザーもガラージで生まれました。ユナボマーも確か・・・。

つまりガラージという記号も重要です。アメリカの想像力の源は善きも悪きもガラージから始まるといっても過言ではありません。それは車社会あってこそ、そしてガラージのある家に住むこともアメリカン・ドリームの一つです。日本のオタクは毛嫌いされていますが、もし彼らにガラージがあったならば、といつも悔やみます。私が憧れたアメリカとはまさにそこです。

ああ、ガラージのある家に育ちたかった。日本ではいいところの家に生まれても、それは享受できません。子供の研究室という場所は見いだせないですね。自由研究のスペースをもっと子供に作ることが日本のゆとり教育の課題ですね。

そうですね。アルケードの商店街、とくにモールなどには巨大駐車場があります。またドジャーズの野球場などもそうですね。だから今度テロリストが無差別テロの対象にするところは高層ビルではなくて郊外の住宅街のガラージかもしれません。モールとガラージの行き交いが消費社会のもとですから。しかしテロリストが狙ったところは皮肉にも最も地下鉄交通網が発達しているニューヨークでした。彼らが破壊したかったのはアメリカの大衆社会よりも帝国資本主義社会だったのでしょう。人の余暇としての交通よりもビジネスとしての交通の終点ですね、彼らが狙ったのは。

ただ16歳からの運転はいいと思っています。早期乳離れを促すアメリカならではの教育法だと思います。もちろん通勤するときは車ではなく電車または地下鉄があれば便利だと思います。またバスを乗る人を見下すような真似はやめてほしいですね。私の同僚でバスで通勤している男がいましたが、彼が女の子たちに「バスで通勤してるよ」というと、一気にしらけてしまいましたから。恋愛の言説もまた車社会の固定具ですね。
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小さなことからこつこつと・・・ (金木犀)
2007-01-26 20:53:47
★非戦さん、
>現代人は、「車に乗らない」という強い決心が必要です。

持たない生活をすると決めたら、確かにそうかもしれません。でも大変そうですよね・・・
ゴアさんも「いきなり走り出すよりまず歩くことから」とニュース23でいってた事を思い出してください。環境に優しい生活は、無理する生活では長続きしませんもの。
ここ見てください。
「環境にやさしい生活スタイル=車に乗らない生活?」
http://www.kkr.mlit.go.jp/road/re_cycle/colu_200211ok.html
20回に1回、乗らない選択をするだけでもいいんですって。それがだんだん癖付けになって、歩行者の立場で車社会を見られるようになったら、より多くの人たちがそれを実行したら、社会が変わるかもしれませんね。
返信する

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