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関東大震災・火のないところに煙を立てたのは誰なのか

2024年08月01日 | 歴史・文化

7月30日の「寅に翼」今週は、差別について問題提起している。

自分の店が火事になり、在日朝鮮人の店主が放火の罪で起訴された。

在日朝鮮人への差別は今に始まったことではなく、昭和20年代なら、今よりなお一層の差別があったのだろう。
若い裁判官ですら偏見の目で見て、ことあるごとに彼らに批判的なことを言った。

岡田将生演じる年長の裁判官は、20代の若い裁判官が昭和生まれであることを理解し、大正12年に起こった関東大震災の時に、朝鮮人が襲ってくる、井戸に毒を入れた・・というデマに踊らされた人々が、朝鮮人を見かけるやいなや殺戮するという、恐ろしい出来事があったことを伝えた。

現代の私たちは、このことを幾度となく話に聞かされて知っているが、この検証がされたのは昭和30年代に入ってからだというから、昭和30年以前は、関東大震災時に起こった残虐行為は、おおやけには出てこなかったようだ。それで、寅子さんも知らなかった風情だ。

以下は、「寅に翼」の脚本を担当されている吉田恵里香氏のX
   ↓


(続き)
それが心のケアの為に必要な時ももちろんあります。私は、今を生きる自分にできることを考えていきたい。あらゆる国で起きている虐殺に反対していきたいです。




吉田恵里香氏への返信。フリーの映像ジャーナリストペテルギウスさんは、この件に関して、「外交的に批判される懸念から、直後から箝口令と証拠隠滅が図られた」と補強してくださってます。ドラマで歴史を学びますねえ。




ドラマの中で、この虐殺事件をおそらく初めて知っただろう若い裁判官は、「でも火のない所に煙は立たない」と反論する。
そこで年長者の星航一(岡田将生)が言って曰く

「その煙を立てたのは誰なのか」

ここでこの話は、一区切りついて次のシーンに移ったわけですが。

思えば、この件は、なんと30年以上、箝口令が敷かれて、公にならなかったのだから、ひどい話だ。
でも人の口に戸は立てられない。見た人たちは、その事実を子や孫に伝えてきた。



なお、「シュウゴエンゴジュッセン」とは朝鮮人を識別するための方法だったという。

朝鮮人であるかないかを調べるためには、必ず濁音のある言葉を言わせたそうだ。例えば座布団、ザブトンをサフトンと発音して、その場で自警団のために惨殺された鮮人もある。私が汽車の中で目撃した出来事。「ジュウゴエンゴジッセン」と云う濁音の多い言葉を、若(も)し満足に発音できなかったとしたら、恐らくあの労働者もどんな目に遭わされたかも知れない。
     ↑
 出典:<不逞鮮人>とは誰か~関東大震災下の朝鮮人虐殺を読む(6) 「十五円五十銭」の闇その4…「朝鮮人識別法」より



怒りと恐怖で頭に血が上った人たちの怖さは・・恐ろしい

ところで、煙を立てたのは誰なのか。
Xの返信の一つに「煙を立てたのは正力松太郎」というものがあったのだが、言われたら、いかにもありそうな話だとは思ったが。
正力松太郎と言えば、実業家として、読売新聞社社主、日本テレビ放送網代表取締役社長、讀賣テレビ放送会長、日本武道館会長などを歴任した(Wikipedia)。
そして、中曽根康弘と並んで「原発の父」と言われる人物。CIAの工作員だったとも言われている。
しかし、正力の実業家になる前については、私はよく知らなかったかったから、それは真実なのかと。

で、Xでは、事実の確認が取れずに、元の資料を探してみた。

ふらっと 人権情報ネットワーク

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部落問題、障害者問題、男女共生、高齢者問題、多民族共生など様々な人権問題に関する総合情報サイト、ふらっと 人権情報ネットワーク

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上記サイトの中にあったこちらの一文より抜粋
   ↓
関東大震災100年 朝鮮人虐殺を忘れない ノンフィクション作家加藤直樹さん 記念講演

 後に正力はこう述べています。

――朝鮮人来襲騒ぎについて申し上げます。朝鮮人来襲には警視庁も失敗しました。大地震の大災害で人心が非常に疑心暗鬼に陥りまして、1日の終わり頃から朝鮮人が不穏な計画をしていると風評が伝えられ、私はさては朝鮮人が来襲すると信じるに至りました。

 さらに、流言を真実だと信じた正力は軍でも取り締まりをしようと軍の司令官と打ち合わせをしています。居合わせた朝日新聞の記者が、正力が「こうなったらやりましょう」と腕まくりをして叫んでいたと回想しています。ところが時間が過ぎていく中で、「朝鮮人来襲」などというものはないと次第に正力にはわかってきます。

――しかるに鮮人がなかなか東京に来襲しないので不思議に思っているうちにようやく夜の10時頃になってその来襲が虚報であることが判明いたしました。誠に面目ない次第であります


 面目ないでは済まない話です。軍隊も警察と同様でした。戒厳令を受けて軍隊がどんどん被災地に入ってきますが、先述した通り、具体的な命令を受けていない。そこに「朝鮮人が集まっている、進撃してくる」という話が上がってくる。それで軍も虐殺を始めます。

 自警団による虐殺もありました。各地で自警団がどんどん作られ、後に政府が調べたところでは、東京で1593、神奈川603、千葉366、埼玉300、群馬469、栃木19、合計3689の自警団が作られたと言われています。自警団というと確定したメンバーシップを持った組織だと思われますが、さまざまな証言を見ていると、そういう団体が虐殺をしたというより、群衆が朝鮮人を見つけ次第殺したという状況が多いです。

ーーーーーーーーー


軍も民間人も、一緒になって、朝鮮人虐殺に加担した。全く許されない出来事でした。

警察トップの正力松太郎の発言が虐殺にお墨付きを与え、戒厳令を受けて被災地に入ってきた軍や警察まで同じことをしていたというのは、今回私自身も、初めて知って、大変驚きました。
単純に、デマに踊らされた民衆が起こした事件とばかり思っていたからです。

ここに至るまでに、混乱の中で冷静さを欠いた国民の怒りが、国家にたいしての暴動に変わるのではないかという政府の恐怖心もあったかもしれない。
事実、悪者を外にむけて作ったことにより、そちらに人々の怒りは燃え上がり、そういった意味での暴動と殺戮が起きたわけですが・・いろいろな事情(詳しくはリンク先の記事をよく読んでから判断してください)があったのかもしれません。

煙を上げたのは正力率いる警察、煙を煽ったのは当時の新聞、そしてその火を広げたのは、国民。

正力も後になって虚報だったことを反省する言葉を述べています。しかしいくら面目ないと言ったところで、奪われた命は取り返しが付きません。愚かしく悲しく恐ろしい歴史の側面です。


上の講演をした加藤直樹氏によれば、正力は、警察官僚として「特高の親玉」とも言われるほど、特高(特別高等警察)で剛腕を振るっていたそうです。反政府運動を非常に強力に弾圧していたのです。

彼には彼なりの信念や正義があったのかもしれませんが、人の命を奪っても仕方ない、間違えても面目ない、で、すましてしまうことは許されるのだろうか。
また、原発も彼の考えの甘さから地震国日本に導入してしまった。まさか日本で原発事故が起こって、家族がバラバラになり、仕事を失い、ふるさとを奪われる人々が生まれることなど、想定外だったのだろう。
前半における特高の親玉、後半におけるアメリカの工作員と言われても仕方ないような行動、彼の人生とは、何だったんだろう。
彼がいなかったら日本の歴史は、変わったのか変わらなかったのか・・、彼がいなくても時代の空気によって第二第三の正力松太郎が生まれたのか。


現代でも同様に、今のネタニヤフやプーチンの終わりのない狂気を見るのだけれど、彼らの心の中も疑心暗鬼でパニックになっているのかもしれない。
人の心って、正義の名の下に、たやすく悪魔に乗っ取られてしまうのだと、今回のことを少しだけど調べてみて、つくづく思いました。
これは、時代は変わっても、人の心が変わらない限り繰り返されることなのでしょうか。

あらゆる国で起きている虐殺に反対していきたいです。 by吉田恵里香

「寅に翼」脚本家の吉田恵里香さんが、言われるたように私も同じ気持ちです。
そう思う人が、世界のほとんどの人たちになること。虐殺を許容する為政者は、必ず弾劾されること。
未来が、そんな世界であることを祈ってやみません。

コメント
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