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認知症と車の運転

2007年11月28日 | 車社会を考える
山陽道を逆走、7人重軽傷=認知症74歳男性運転-衝突避けたワゴン車横転・岡山 (時事通信) - goo ニュース

大きな事件の影に隠れて、このようなニュースはすぐに消えてしまうけれど、高齢化社会を迎えた車社会の日本では、今後このような事故が続発してしまうことは容易に想像できる。
  
うちの父の場合は、3年前の予防手術後の検診で通院していることもあり、家族から確認のために申し出て、認知症のかなり早い段階で気づくことができた。おかげで、早めに免許証も返すことができたのだけれど、多くの場合、認知症と認めることは家族にとっても本人にとっても、楽しいことじゃないのでついつい発見が遅れがちになるという。(専門家に聞けば、気づくのが早いほど、初期段階で薬で進行を遅らせることができるので、おかしいと思ったら早めに専門医に見てもらったほうがいいとのことだ。)
  
しかし、認知症とわかったからといって、急に訳わからなくなるほどぼけてしまうわけじゃないし、日常会話なら普通に話したりするし、結晶記憶といって、昔に覚えたことは忘れないというか、体が覚えている運転技術はある程度あるし、免許証をすぐに返すことができない事情もある。
まず本人が断固として、運転したいという気持ちが強い場合と、もうひとつは運転しなければ買い物すら行けないという公共交通の利便性のまったくない地方に住んでいる場合。高齢者の場合、若者に比べて地方に住んでる割合がとても多いから、今の日本では、たとえ認知症であっても、車は必需品になってしまったのだ。

例えば、認知症と診断されたら、免許証は返還しなければならないという交通規約があれば、前者の場合は、しぶしぶでも返すことができる。
しかし、交通の便のないところに住む人々にとっては、車がなくなるということは、死活問題にもなってしまう。妻の通院に、認知症の夫が運転しなければ病院へも行けないという事例も知っている。こういう社会は、本当に生きにくい社会だと思う。

何度も書いているけど、戦後、アメリカにそそのかされて、国策として高速道路網を作り、自家用車を普及させ、ガソリンの消費を促した。国鉄を民営化して効率優先で赤字路線を廃止した結果のつけが、全部今自分たちに返って来ているのだ。
ここのところは、本当に考えて欲しい問題だと思う。誰だっていつまでも若いままではいられないのだから。

なお、免許証を返しても、認知症患者は、家族の車に勝手に乗って出かけてしまうということもあるので、車のキーは、くれぐれもそこらへんに出しておかないようにしなければなりませんね。 


 今日、参加してみました。30人集まるごとに、沖縄の海に1本のサンゴが植えられるというプロジェクトだそうです。
   ↓
 

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