続・こころレッスン

うつ病(双極性障害Ⅱ型)と診断されています。こころのことを中心に、いろんな思いを綴っていく予定です。

再婚に向けての心構え

2010-05-14 01:29:22 | こころのこと
ずっと隠していたというか、ウツでバツイチで・・・となると、なんとなく「気の毒に」という先入観が入ってしまうのがいやで、結婚歴があるということは、ずっと伏せてきました。

が、新しい一歩を踏み出すにあたり、あえて「以前のようにならないように」戒めとして、自分のために、書き残しておこうと思います。

初婚はちょうど10年前になります。
まだ二十代、さてこれから仕事を頑張ろうか、と意気込んでいたときのことでした。
花舞妓は京都市内で、相手は京都北部で仕事をしていたのですが、相手側の職場の異動希望が通らず、市内で二人、働きながら暮らす予定が、急遽、花舞妓が仕事を辞めて、北部へ行くことになってしまい、そこから二人で描いていた生活が崩れました。

もともと情緒不安定だったところへ、慣れない田舎暮らし、職を探しても全くなし。花舞妓のイライラが募り始め、まだ結婚して半年たつかどうかで、しょっちゅう言い合いになり、外へ飛び出し、それを止めたり探したりするでもなく、疲れて仕方なく帰ってくると、グーグーねていました。たまに京都に来ても、帰りの車の中で、涙があふれました。

あまりに仕事がないので、相手の職場の経営する施設のホームヘルパーに登録したら、来てほしいと当時尊敬していた所長に言われ、また引越しを重ね、本来したくなかった仕事に就くことに・・・。

街育ちの花舞妓には、田舎の暮らしが分からず、また、同僚が、自分の母親くらいのベテラン主婦ばかりで、ヘルパーとしての差は歴然としており、それでも自分なりに頑張っていたところ、上司に呼び出され、大ゲンカとなり、もうその時点で、自分には向いていない職業だとはっきりわかっていたので、その場で「辞めます!」と言いたかったのですが、なにしろ相手も同じ施設で働いている手前、その立場もあるだろうと、気を遣って、無理に仕事を続けたのが、結果的にウツを発症してしまった原因でした。

これは普通の夏バテと違う、と感じ、9月、初めて精神科へ行ってきたときのことです。
薬の袋と、明細書を置いておいたら、何か異様なものをみるかのような顔で、「行ってきたんか」とだけ、言われました。

もうダメだと思っていました。
そのうち自分は死ぬだろうと思い、腕をカッターで切って、その流れてくる血をみて、ほっとしていました。
来年の夏なんて、考えられなかったので、左腕をめった切りにしてしまいました。
でも、それは、相手にはだまっていました。

結局、花舞妓は自殺に失敗し、「看護師さんに、今夜は泊って行ってあげて」といわれたから、という理由で、病院に付き添いしてくれましたが、家に帰ってから、気まずかったといったら、、、。

花舞妓がどんなに具合がわるかろうと、自分は夜遅くまでH系サイトをみたり(その頃のPCは、履歴がでてしまっていましたから)、自分用にとノートPCを買ったら、早速無断で使用したらしく、「s」とたまたま打ったら、勝手に「sex」と出てくる始末、前夫は、人前では、とても優しく、とってもそんなような人には見えませんでしたが、家ではそういう人でした。

全否定はしませんが、花舞妓が、こんなに具合を悪くし、苦しんでいる最中、とくに言葉をかけるわけでもなく、自分の気持ちの赴くままに遊んでいる相手が憎らしくて、こいつのために、自分は職をなくし、こうして病気にまでなり、一体何のための結婚だったのだろう?とわからなくなっていきました。

そんな中で勃発したのが、「お義母さん問題」。結婚前、同居は絶対しない、との約束の上だったのですが、義理の妹が同じ年に急に結婚し、子供をもうけたまではよかったのですが、そのだんなが、お義母さんと相性が合わず、「一緒には住まない」と言い始め、そしてすり寄ってきたのが、私たちのところでした。

花舞妓も、このお義母さんは大嫌いで、結婚してまもなく衝突、「鬼の締め出しか!」とまで言われ、この時も、相手は、傍観者、何も間に入ってくれません。

こんな人と、こんなお義母さんと、病気の自分の3人暮らしなんてありえない、と離婚をしました。
また、笑っちゃいましたけど、離婚の話のさなか、夜、帰ってこなかったことがあったのですが、翌朝、台所に、お姉ちゃんのいるHなお店のメッセージ入りのカードが落ちていて・・・ほんと、くだらない人と一緒になってしまったばかりに、人生台無しになってしまいました。。。

確かに、10年前の花舞妓は、元気でしたし、ファイトもありました。
でも、相手に食べさせてもらう、ということが屈辱で、自分も同じように働いていたい、という思いでいっぱいでした。
苗字も変えたくなかったし、仕事も続けたかった。
同等でいたかったんです。

それが、相手には不服でした。
相手も、自己管理のできない人だったのに、妙に先頭に立ちたがり、かといって、いざというとき、頼りなく、理想の返事をしながら、ふてくされている人でした。

花舞妓も病気をし、本格的な自殺未遂は1度ですが、大量服薬で病院へ運ばれたり、死にたいと騒いで警察へ連れて行かれたり、いろいろしでかしました。

けれど、年々、ほんの少しずつですが、周囲のおかげで、だんだん快方へ向かっていて、できる限りノーストレスを保つことで、激しかった感情の波が、ゆるやかになってきました。

そして、自分のできる範囲というのが、少しずつわかってきました。

10年前を遡って思うのは、なぜあんなに自分はとげとげしかったんだろう?ということ。
もうすぐ苗字がまた変わりますが、それも全く苦にならず、別にいいか~、と思えてしまう。仕事がしたい気持ちに変わりはないけれど、この3月の一件で、もう自分は10年前の自分ではなく、病気とともにあるということがわかり、M君さえ元気で働いてくれていたら、それに甘えようかな、というゆるい気持ちが芽生えていること。

何より大切なのは、仕事や自立ではなく、二人の気持ちがいつも同じ温度で、お互いを思いやり、できる限りのことはすべきだけれど、自分を大事にしながら、できないことは、お願いする謙虚さ、相手を許し、理解しようとする優しさ、そして、自分も、ストレスをため込まず、素直に接すること・・・

この病気の人の結婚率は、とても低く、結婚できたとしても、長続きしない、というデータがあります。
でも、離婚後、一人になって、些細なことなのに、「ちょっと手伝って」と頼む人もおらず、疲れてへたり込んでいたことを、忘れないようにしたいです。
離婚がもたらす大ダメージを、忘れません。

どんなことがあっても、もうM君についていくしかないし、何か起こったら、そのとき解決していくことにします。
あれこれ心配しても、明日の役には何も立ちません。

優しいM君が、「もう寝ようよ、3時だよ」と寝るよう促しに来てくれたので、このあたりでおしまいにしたいと思います。

よい兆し

2010-05-12 12:44:48 | 今日の具合
夜中起きてしまい、朝から昼過ぎまで寝る、というサイクルではあるのですが、ちょっとよい兆しが見えてきました。

朝は、眠くて眠くて、出かけるのも至難の業なのですが、10日の午前中、通院に行ったときのことです。
この病院、予約診療をしていないので、診察券を出したもの順なのですが、待ち時間が3時間以上あります。
最近ずっと調子が悪かったので、そんな長時間、ソファに座っておれず、2席占領して、ころん、と横になって待ち時間を過ごしていたのですが(恥ずかしいとか、いっておれません)、先日は、久~~しぶりに、ちゃんと座って、しかも雑誌まで読むことができました。

字を読むことができるようになる、というのは、結構よい兆しの一つなんですよ。
例えばね、インフルエンザ並のひどい風邪のときに、いくら待たされているといっても、待合室の雑誌を手に取る余裕はないでしょう?
それと一緒で、待合室の雑誌は、その時のその人の具合の、バロメーターにもなったりするんです。

それと、やっと安定剤が効くようになってきたということ。
どん底のときには、安定剤も効きません。足して飲むと、寝てしまい、起きた後も、気分は改善されないまま・・・です。
とはいっても、まだまだ調子は不安定で、昨日は午前中、落ち着かず、そわそわ、そわそわ、部屋を行ったり来たり、動物園のおさるさん状態、そこで、安定剤を飲んでみたら、効きまして、パソコンに向かうことができた次第です。

ウツの底をついたかなぁ~?そうだったらいいなぁ~。

まぁ、結婚式もなんとかなりそうかな?
もう少し集中力と、体力が戻ってくれたらなぁと、望みはだんだん高くなるものですネ。