私は生来、かなりあわてん坊だ(テンパる、とでも言うんですかね?)。「急いては事をし損じる」の言葉そのままに、焦ったばっかりに失敗することが多かった。
しかも、改めて振り返れば、それほど慌てる、急ぐ必要のない場面で、不必要に焦って、失敗していることが多い。
駅から出て、青信号の横断歩道を渡る寸前に、折り畳みの日傘を開く。
スペースに余裕のない駐輪場から、自分の自転車を取り出す
(→うっかりすると将棋倒し
)。
長い行列でレジ待ちの間に、財布からお金を出して、支払いの準備をする。
カバンの中から、入場券を取り出す(しまう場所を決めているけれど、たまに…
)。
エトセトラ…
失敗の傾向を自覚してからは、気が急く時には、「何も慌てる必要はない。落ち着いて。落ち着いて行動しよう。」と心の中で唱えるようにしている。実際、慌てなくても、時間は十分にある。
すると、格段につまらない失敗は減ったように思う。完璧とは行かないまでも。
もちろん、自分を焦る状況に置かないことも大切だ。
例えば、(今や首都圏の人間なら誰でもやっていると思うが)外出の予定が朝からある日は、前日のうちにネットの「乗り換え案内」で電車の時間を調べ、そこから逆算して、何時から外出の準備を始めれば良いかスケジューリングする。昔はこのような便利なツールはなかったから本当に助かる。
自分の弱点は便利ツールで補う。同じ失敗を繰り返さないよう、何かしら工夫する。
しかし、最近は不可抗力で人身事故や信号機の故障、線路内への人の立入りなどを理由に、電車が止まることも多い。これまでにも、そのせいで待ち合わせに遅れたことは2度や3度ではない。不幸中の幸いというか、今は携帯電話で相手と容易に連絡がつくし、昨今の複数路線の相互乗り入れで、相手も遅れることが多いので、それほど困ったことはない。
私は、そもそも人は失敗するものだと思っている。
1度目は、まあ、仕方ない。2度目も、うっかりミスと言うことがあるだろう。でも、3度も同じ失敗をするのは、お馬鹿だ、と自説を開陳したら、友人に笑われた。
1度の失敗でクヨクヨしている友人を励ますつもりで話したのだが、「はなこさんて、面白いわね」と笑われた。
「仏の顔も三度まで」と言う諺があるくらいだから、別にオリジナルの画期的なアイディアと言うわけでもないが、私の"話し方"がウケたのか、さっきまで「私ってダメだわ」とクヨクヨしていた友人が笑ってくれたので、私の話も少しは役に立ったのかしらね
しかも、改めて振り返れば、それほど慌てる、急ぐ必要のない場面で、不必要に焦って、失敗していることが多い。
駅から出て、青信号の横断歩道を渡る寸前に、折り畳みの日傘を開く。
スペースに余裕のない駐輪場から、自分の自転車を取り出す
(→うっかりすると将棋倒し

長い行列でレジ待ちの間に、財布からお金を出して、支払いの準備をする。
カバンの中から、入場券を取り出す(しまう場所を決めているけれど、たまに…

エトセトラ…
失敗の傾向を自覚してからは、気が急く時には、「何も慌てる必要はない。落ち着いて。落ち着いて行動しよう。」と心の中で唱えるようにしている。実際、慌てなくても、時間は十分にある。
すると、格段につまらない失敗は減ったように思う。完璧とは行かないまでも。
もちろん、自分を焦る状況に置かないことも大切だ。
例えば、(今や首都圏の人間なら誰でもやっていると思うが)外出の予定が朝からある日は、前日のうちにネットの「乗り換え案内」で電車の時間を調べ、そこから逆算して、何時から外出の準備を始めれば良いかスケジューリングする。昔はこのような便利なツールはなかったから本当に助かる。
自分の弱点は便利ツールで補う。同じ失敗を繰り返さないよう、何かしら工夫する。
しかし、最近は不可抗力で人身事故や信号機の故障、線路内への人の立入りなどを理由に、電車が止まることも多い。これまでにも、そのせいで待ち合わせに遅れたことは2度や3度ではない。不幸中の幸いというか、今は携帯電話で相手と容易に連絡がつくし、昨今の複数路線の相互乗り入れで、相手も遅れることが多いので、それほど困ったことはない。
私は、そもそも人は失敗するものだと思っている。
1度目は、まあ、仕方ない。2度目も、うっかりミスと言うことがあるだろう。でも、3度も同じ失敗をするのは、お馬鹿だ、と自説を開陳したら、友人に笑われた。
1度の失敗でクヨクヨしている友人を励ますつもりで話したのだが、「はなこさんて、面白いわね」と笑われた。
「仏の顔も三度まで」と言う諺があるくらいだから、別にオリジナルの画期的なアイディアと言うわけでもないが、私の"話し方"がウケたのか、さっきまで「私ってダメだわ」とクヨクヨしていた友人が笑ってくれたので、私の話も少しは役に立ったのかしらね
