
土曜日は終映間近の仏映画『幸せはシャンソニア劇場から(原題:FAUBOURG 36)』を家族で見たのですが、翌日曜日に軽い腰痛が出た為、これは身体を動かした方が良いのかなと思い、趣味の街散歩に出かけることにしました。
行く先はここのコメント欄でも先日話題に上ったばかりの小石川後楽園界隈です。小石川後楽園は、元々水戸徳川家初代藩主徳川頼房公が、その中屋敷として造ったもので(後に上屋敷へ)、テレビ時代劇『水戸黄門』で有名な水戸光圀公(2代目藩主)ゆかりの庭園でもあります。

園内を散策すると驚かされるのですが、どの角度から見ても見事なまでに美しく、私も思わず写真を撮りまくってしまいました







意外に目についたのが、震災や戦災の爪跡。かつてそこにあったであろう石像の台座やお堂の土台、狛犬、石灯籠等の遺物がもの哀しさを誘います。
しかし、そうした遺物も長い年月を経て深山幽谷の中に溶け込み、往時の面影を幾ばくか残しつつ、静かに佇んでいるのです。その姿は厳かな雰囲気さえ湛えています。

日本は戦後、「復興」のスローガンのもと、なりふり構わず経済成長を優先させて来ました。その過程において物心両面で失われたものは少なくないでしょう。しかしひたすら右肩上がりを求め続けて来た上昇志向は今、確実に曲がり角に来ています。これまではともかく、今後は価値観の転換が求められるのでしょう。一度失ったものを取り戻すのが容易でないことは、誰もが既に気づいていることです。
美しい庭園の景色の間からのぞく無粋な人工物に、いささか違和感を拭えないのは、果たして私だけでしょうか?東京ドームそのものが無粋ではけっしてないのです。そのデザインの現代性が、小石川後楽園の古風な美しさにそぐわないのです。逆に東京ドームから小石川後楽園を見ると、素敵な借景に何となく得した気分になります。

近隣の文京区シビックセンター25階にある展望室から小石川後楽園を望む。その後隣接するラクーア内にある博多ラーメンの店「一蘭」で久しぶりにラーメンを食べたのですが、麺とスープは確かに高水準の味であると認めつつも、具が小口切りの青ネギと薄い(本当に薄い!

多少健康志向のある?私としては殆ど変わらない価格でラーメンを食べるのなら、厚切りチャーシュー1枚、味付け海苔1枚、江戸菜数本、たっぷりシナチクと長ネギの具だくさんな「麺屋 空海」の空海そばの方が好きです…なんてことを長々と書くと、食いしん坊なのがバレバレですね


封建社会は天と地ほどの格差があった社会でしょうが、一部に強大な権力と富が集中したからこそ、こうした贅を尽くした庭園が造られ、造園家が腕を競い合って、後世に残るような高度な技術も生まれたと言えるでしょうか。どんなことにも正負の両面が存在するものなのだなと思います。
【追記 09.10.08】
先日、テレビ番組「なんでも鑑定団」で、狛犬について取り上げられていました。狛犬のルーツは古代中東の獅子像で(一説にはインドが起源とも…)、シルクロードを通じて中国・朝鮮を経て、日本に渡来したらしい。琉球にはそのまま獅子像(シーサー)として伝わったのに、日本には朝鮮経由でまず「高麗(コマ)犬」として伝わり、その後「狛犬」で定着したようです。正確には口を大きく開けた阿形は「獅子」で、頭部に角の生えた、口を閉じた吽形は「狛犬」を意味し、獅子狛犬と言うそうです。
確かに、ヨルダンに住んでいた時に、寂しい村外れに、忘れ去られたかのように古代遺跡が残っていて、そこで立派な獅子像を見かけました。正確な名前は忘れてしまいましたが、アル・イラク・アミールと言ったかな?遥か彼方の文化が極東の島国まで伝わっているなんて、ロマンを感じますね。