今、テレビ番組「博士ちゃん」でエジプト特集が放映中ですが、私も中東駐在時に1度だけエジプトに行ったことがあります。
夫のエジプト出張が決まった時、幼い息子と2人で留守番するのも心細かったので、思い切って夫について行きました。
2泊3日の短い日程でもいろいろな出来事がありました。
まず、私達のエジプト行きの2週間前に、考古学博物館駐車場でドイツ人観光客のバスがテロに遭ったとかで、エジプトには外国人観光客はほぼ皆無の状況でした。
エジプトのカイロは、私が住んでいた所からは空路で2時間弱の距離だったでしょうか。
空港を出た途端、数人の男達に取り囲まれ、「バクシーシ」と喜捨(お金)をせがまれました。それをどうにかすり抜けてタクシーへ。
宿泊したのはナイル川の中洲にあるホテル・ゲジラ・シェラトン。一応外資系の一流ホテルのはずが、最初の部屋は浴室のシャワーが故障していて、直ぐに別の部屋に替えて貰ったのですが、そこもシャワーの水量は十分ではありませんでした😩。
夜中にはベランダの窓を外から激しく叩く音が…しかし、かなり高層で外からの侵入はあり得ない。結局、人の姿もなく、未だに何の音だったのか謎。
日中、夫は仕事で不在だったので、幼い息子を抱っこしてホテル周辺を散歩したら、工事現場で働く地元民?に「コリアンか?」と聞かれました。
あの大韓航空機爆破事件でも、中東から帰国する数多くの韓国人が犠牲になったわけですが、30年以上前から韓国人がエジプトにも数多く進出していたということでしょうか?
夕食は駐エジプト日本大使館職員から紹介された韓国料理店へ。
夫と同行していた駐在事務所スタッフと私達家族で行ったのですが、元青年海外協力隊員だと言うスタッフは、赴任前に医師から現地での生食を厳禁されたのを頑なに守っていた私の心配をよそに😱、ユッケ(生肉)を「大丈夫、大丈夫」と言いながらパクパク頬張っていました。
私の不安は的中して、翌朝、スタッフは激しい下痢に見舞われました。
その日は出張最終日で、ギザのピラミッド見学ツアーを予約していたので、早々とホテルのチェックアウトを済ませ、冷たいようですが😅、腹痛に苦しむスタッフを一人ホテルのロビーに残し、私達家族はツアーバスに乗り込んだのでした。
前述の通り、テロ事件の直後で現地は外国人観光客はほぼ皆無で、ツアーバスも運転手と現地女性ガイドと私達家族のみ。些か寂しく心細かったです。
カイロからギザに向かう道中では、あろうことか😱、ツアーバスは道端で手を挙げる現地の人を無料で乗車させる始末。
おそらく交通の便が良くない現地ではよくあることだったのでしょうが、「もし、その人がテロリストの一味だったらどうすんのよ」😱と私は内心ドキドキ。
しかし、ツアーバスは何事もなかったかのように途中で地元の便乗客を下ろし、土産物店に立ち寄り、私はそこで自分や親族・友人の土産に、パピルスやヒエログリフが刻まれた18金のペンダントトップ等を購入しました。
ギザに到着すると、2番目に高い?メンカウラー王のピラミッド内部を見学することに。
私でさえ身を屈めないと歩けないほど天井の低い坑道のような急傾斜の通路を、一歩一歩上って行きました。
かつてヴァチカンのクーポラの頂上に上った時も、上りと下りの人々が行き交う狭い数百段の螺旋階段を、幼い息子を抱きかかえながら上りきった夫でしたが、ピラミッド内部の通路の狭さではそれは無理だとガイドに言われ、(今振り返っても無謀な行為ですが)息子を現地女性ガイドに預けて夫婦2人だけで王の棺の安置室へと向かいました。
王の部屋はそれまでの通路の息苦しい閉塞感から一気に解放されるような開けた空間で、天井も十分な高さ。壁には19世紀に訪れた人が記したのであろうスペイン語の落書きがありました(18××年と西暦が記されていた)。棺は既に博物館に移設されていましたが…
そもそも、「世界七不思議」のひとつであるピラミッドを訪れ、その内部を見学するのは子供の頃からの夢でした。その夢が叶った瞬間でした😭。
その後、急いで息子の元へ。息子は日頃からフィリピン人ベビーシッターと接していたせいか、特にぐずることもなくガイドさんの腕に抱かれていました。
そして、ホテルに戻って預けていた荷物を受け取り、ひとりロビーで待っていたスタッフ(顔面蒼白ながら、悪いモノを全て体外に出しきって?漸く落ち着いた様子?)と合流して帰路についたのでした。
私がまだ20代の頃の話です。あの若さだから、怖いもの知らずに外国人観光客も殆どいないテロ直後のエジプトに行けたのだと思います。
こんな私ですから、息子のチャレンジングな25年モノ中古軽自動車での全国一周ひとり旅も、強くは引き止められなかったのかもしれません😅。
しない後悔は尾を引きました。
した後悔は次へ進めるような気がします。
私もほぼ同意見です。
あの時やれば良かったと、やらなかったことを後で悔やむより、思い切ってやった方が、たとえうまく行かなかった場合でも後悔は少ないですね。やって良かったと言う満足感の方が大きい。
今の自分としての人生は一度きりですから、やりたいことは出来る限りチャレンジした方が、今際の際に思い残すこともなく、この世に別れを告げることが出来ると思っています。
正直言って、私は故郷を遠く離れて暮らして兄弟とも疎遠だし、友達も多くはないので、私の葬儀は傍目には寂しいものになりそうですが、自分のやりたいことはほぼ実現出来たので、幸せに旅立てると思っています。
まあ、自分が死んだ後のことは、誰にどう思われようと知ったこっちゃないですね(笑)。葬儀は残された者が気持ちに区切りを付ける為の儀式だろうし。
エジプトは 新婚旅行で行きました。
遠い~昔(笑)
今のエジプトのピラミッドの周辺の変わりよう。。。
時々 TVで見ると 近くに道路が出来てますね。
変わって欲しくは無い 風景でしたが びっくりしますね。
ピラミッドの内部 何もなかったですね。
大きな石棺のみ。。。
エジプト好きでした 良い思い出です。
新婚旅行でエジプトに行かれたんですか?それならルクソールまで行かれたんでしょうね。凄いなあ…
私がエジプトで訪ねたのはギザのピラミッドとカイロの考古学博物館のみ。仕方ないですけどね。
風景が変わって欲しくないのは山々ですが、その国の経済発展と共に変わって行くのは仕方ないのかも。
当時、私が住んでいたアパートも、Google Earthで見たら跡形もなぅ消えていて道路になっていました。よく買い物に行った商店街は近代的なショッピングモールになったみたいで…
最近、考古学博物館もリニューアルオープンしたみたいですが、いつか行ける日は来るのかなあ…
エジプト、
ピラミッドを生で
見てみたいな(*´∀`*)
どうやって昔の人が
積み重ねたのか、
食事も楽しみたい(*≧∀≦*)
ステキな家族の
思い出ですね☺️
テル
実際に現地に赴かないと分からないことってありますね。
当初、私はピラミッドは滑らかな斜面になっていると想像していたのですが、間近に見ると無数の直方体の巨大な石が正四角錐の頂点に向かって積み上げられていました。壮観でした。
ハル君達にもいつか見せてあげられたら良いですね。
ところで、中東に駐在中に驚いたことのひとつに、お米のことがあります。
当時、日本の米が入手出来なかったのでエジプト米を食していたのですが、それは海外でよく見かける長粒米ではなく、短粒米でした。
実はこのエジプト米は、日本の技術移転でエジプトに根付いたコシヒカリだったのです。
でも湿潤な日本の気候で育ったモチモチのコシヒカリと異なり、乾燥した気候で育ったパサパサなお米でした。
穀物の味も、育った土地でこうも変わるのかと驚かされました。日本のお米の美味しさは、日本の気候風土が育んだものだと改めて教えられました。
世の中にはいろいろな「学び」があって面白いですね。知らないことが無尽蔵にあって、飽きることがありません☺️。