はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

最近は以前ほど怒らない

2019年07月17日 | はなこのMEMO
ひとりの人間は本質的な部分は変わらないのだろうけれど、日々生きて行く中でさまざまな経験を積み重ね、学習して、世間との関わり方と言うか世間との距離の取り方は、処世術として適宜変えて行くものなのかなと思っている。

それが自身の対外的なイメージの変化に繋がって、「精神的に成長した」とか「雰囲気が変わった」と、周りからは言われるのだろう。


私は最近、以前ほどには怒らなくなった。以前なら例えば、禁煙場所のバス停でタバコを吸っている人に対して喫煙をやめるよう注意したりしたが、最近はそういう人を見かけたとしても表立って注意はしない。バス停で喫煙されると、場所によっては煙がかかるので不快だし腹は立つのだけれど、わざわざ喧嘩を売ったりはしない(笑)。

正直、そういう人と関わること自体が面倒臭くなった。たとえ注意しても素直に耳を貸す人は殆どいないし、本人に自分のマナー違反の行為を改める気持ちがないのだから、注意したとしても(←結構、最初の声かけは勇気が要る。心臓バクバク)結果は何も変わらない。残念ながら、ものの道理が通じない人は一定数いるものだ。

それに公共の場で明らかに挙動が不審な人は、最近の事件報道を見ていると、わざとその場にたまたま居合わせた赤の他人を挑発して、攻撃の機会を狙っているようなフシがある。懐に刃物を忍ばせている可能性もないとは言えない。

つい先日もタクシー乗り場で見知らぬ他人に傘の先で目を突かれ、被害者は失明するという事件があったばかりだ。その時たまたま居合わせた加害者との関わりで、目を突かれ失明するほどの落ち度が被害者にあったとは思えない。

こうした事件の加害者は、自分の日頃の鬱屈した思いを無差別攻撃という形で爆発させて、身勝手な鬱憤晴らしをしているように見える。自分以外の他人はすべて敵と言わんばかりの孤独感を纏って世間に敵対しているように見えて仕方がない。

そういう人間と徒に関わるのは危険だ。自暴自棄で自分の行動の抑制が効かない人間は、他人を傷つけることなど厭わない。明らかに挙動不審な人を見かけたら、静かにその場を離れた方が身の為だと思う。

何の関係もない赤の他人に、無闇に傷つけられることほど理不尽なことはない。

それに私は無謀な正義漢だったけれど、傍目には自らの正義を声高に主張するうるさいおばちゃんであったのかもしれない。そういう反省もあって、最近はおとなしくしている。
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