はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

頂門の一針~自分が常に正しいとは限らない、と言う自覚

2012年03月18日 | 日々のよしなしごと
今日の午後、夫と2人で映画を見に行った。そして上映直前に、思いがけず斜め後方の年配女性に怒鳴られた。

その映画館は常にひとつのスクリーンにつき、2~5席の空席が設けられている。以前、スタッフにその理由を尋ねたら、消防法の関係と答えたが、そのスタッフも詳しいことは知らないようだった。夫は、他のイスが壊れて使えなくなった場合の予備として確保している座席なのでは、と言う。何となく納得できる解釈である。

私は好んで、この空席の側の席(か通路側の席)を取るようにしている。理由は隣に人が座っていると緊張するからなのと(だったら映画館で映画なんか見るなよ、はナシね)、特に冬の時期はコートなど荷物が多いので、その空席に置きたいからだ。

もちろん、何がなんでもその空席を自分で独占したいと言う不遜な考えはなく、予約した座席が壊れた等の理由で使用する人がいるならば、快く自分の荷物をどける心積もりはできている。

ところで、私はネットで座席予約をすることが多いのだが、この空席の前の座席がいち早く予約で埋まることが多い。これは、おそらく後方の人が足を組んで腰かけ、足を組み替える時に前の座席の背もたれをついつい蹴ってしまうことが多いからだろう。背もたれに首を預けている前の座席の人間には、これは結構不快なことだ。だから、上映前のマナー啓発の呼びかけっでも、わざわざこの点について注意を促している。狭いスペースで、足を組むこと自体がいけないんだろうな。

それで最初の話に戻すと、私と夫はいつものように隣の2つの空席に荷物を置いていた。すると場内が暗くなった直後、斜め後方の年配女性が突然立ち上がって、彼女の前の座席(つまり空席)に置いてあった私の荷物をわしづかみにして、隣の座席に追いやり、自分のリュックをその座席の背もたれに掛けながら言い放った。

「座席を1人で3つも独占するんじゃないわよ。同じ料金しか払ってないんだから」

な、なんだ、このいきなりのケンカ腰?!それに有無を言わさず他人の荷物に手をかけた、その行為。無礼な人だなと思った(逆に丁寧な物言いなら、私もその場で彼女の言い分に耳を傾けたのかもしれない。今回のことは、自分の主張に耳を傾けて貰うにはどうしたら効果的なのか、改めて考えるきっかけにもなったかな)。

ここで、冷静に考えてみよう。

私が思うに、映画館において観客が注意すべきこと、必要最低限のマナーとして守るべきことは、「他の観客の鑑賞を妨げてはいけない」、この1点に尽きるのではないか?それが上映中の携帯電話の使用であり、声高なおしゃべりであり、不用意に音を立てることであり、前の座席を蹴ることなのだと思う。私が隣の空席に自分の荷物を置くことは、その何れにも当て嵌まらない。隣の空席に荷物を置くことは許容範囲なのではないか?

(他にマナーとしては、飲食後のゴミの後始末をきちんとすることだろうか?これは実際、映画館からも協力を呼びかけられていることだ。しかし現状は、自分が出したゴミを座席周辺に放置して帰ってしまう人が残念ながら少なからずいる。私は自分が床に落としたポップコーンは拾える限り拾うし、他の人が置き去りにしたカップなども、帰り際に自分のものと一緒に所定のゴミ箱に捨てたりしている。)

仮に他の誰かが空席の隣に腰かけていて、自分の荷物を空席に置いていたとしても、私は何ら不快には思わない。それは混雑していないバスの中で、自分が腰かけている2人席の誰も座っていないスペースに荷物を置くのと同じことなのではないか?結局、そうした行為を不快に思うか否かは、それを見た人の受け止め方の問題のように思う(この個々の好悪感覚の違いは、ネット上での発言においても、しばしば衝突を生む要因になっていると言えるだろう。そしてその多くが、不毛の言い争いになったりする)。

間もなく映画が始まろうとしているところで、突然の怒声に呆気にとられた私は、後方の女性を一瞥したもののどう対応して良いのかわからず、結局、何も答えずにスクリーンに目を戻した。すると、まだ何やらブツブツ言っている。聞こえよがしにガサガサと物音を立ててもいた。

そして、暫くしてまた「ひとりで3つも」と繰り返したので、振り返って「私は1人で来ているのではありません」と答えたのだが(←これはこれで、ちゃんとした答えにはなっていないかも(^_^;))、その年配女性の夫と思しき男性が女性の隣で、私に向かって手を左右に振って、その場をとりなしているように見えた。「相手にしないで」と言っている風に見えた。

映画が始まっても暫くは、この一連の出来事が気になって、私は映画に集中できなかった。せっかくの楽しい休日に、件の女性はどうしてこんな些細なことで目くじらを立て、自分自身や周りの人間を不快にさせるのだろう?そもそも、あまりにも寛容さを失うと、自分自身が息苦しくなりはしないのだろうか?

上映終了後にも何か言われるかと覚悟していたが、いつの間にか件の夫婦はいなくなっていた。私の夫も女性の怒声が耳に入ってはいたようだが、我関せずと言う感じで微動だにしなかった。「あなたは、この件についてどう思ったの?」と言う私の問いかけに、夫は「その人も自分の荷物を置きたかったから文句を言っただけなんじゃない?結局、自分のリュックを、前の背もたれに掛けたんだし。公正性云々の問題じゃないと思うよ」と答えた。

今回の一件で学んだこと。自分自身にも言えることだが(そう、自戒を込めて)、自分が声高に主張していることが、自分が信じて止まないことが、常に正しいとは限らないし、必ずしも万人に受け入れられるわけでもない。だからこそ、他者の言葉にはとりあえず耳を傾け、自分自身を省みる謙虚さは持ち合わせたい。傲慢に正義を振りかざす人間にならない為にも、自らの誤謬性の自覚は忘れずにいたいと思う。

帰宅後、その場にいなかった息子に一連の出来事について話すと、息子はにべもなくこう言って斬り捨てた。「そんな小さなことをいつまでも気にしているお母さんも十分粘着質だよ。そのおばさんと変わんない」bomb2
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