剛腕・江川卓
私が認める、昭和史上最高の投手である
ストレートで三振を取る姿は圧巻であった。
『 エース 』
・・・とは、一段 高い ステータス。
ヒーローなのである。
そして
『 エースで四番 』
・・・は、皆から羨望の的
それはもう、カッコウよかったのである。
どうしても野球をしたかった私
「 野球部に入る 」 は、少年の頃からの夢でもあった。
そして、中学の時、ヒーローに成った快感を、忘れられなかったのである。
・・・リンク→ヒーローに、成った
しかし小柄 ( 165cm ) なるが故に、体力に自信の無いが故に、
あの甲子園の高校野球・硬式では儘ならぬ。
これが私の身の程也と、軟式野球部を選んだのである。
想い叶えて、
昭和46年 ・二年生春 入部した。 ・・・リンク→鎖縁の物語 「 共に野球部に入ったけれど 」
軟式ならば、私の実力を持ってすれば、
直ちにレギュラーに成って活躍できる。・・・と、たかをくくっていた。
小柄なれど剛腕
小柄のスラッガー
を、皆に披露したかったのだ。
その年の秋、新チームが結成された。
私は
『 エースで四番 』
・・・小柄な私を見て
コントロール主体の変化球投手と決めつけた眼で敵の先頭打者が構える
それは明らかに見下した眼である
私は気にもせず
淡々とウォーミングアップをこなして
マウンド上で大きく振りかぶって投げた第一球は、ストレートの剛速球
ズドーン
ど真ん中の球を茫然と見送る打者
意に反しての剛球に驚いた顔をしている
してやったり!
ドヤ 度肝を抜かれたらう・・・と、得意顔の私
この どんでんがえし のストーリー
これぞ、男のロマン
そう想っていたのである
孤独のエース
偶々の ツーナッシング
「 よしッ!( 三振をとるぞ ) 」
次は、セオリーと、一球 はずしてみせる。
カウント 2 ― 1
三振を取る ・・は、男のロマン
渾身の力を込めて、ど真ん中へ
うなる 剛速球
ど真ん中 に行かば 打者のバットは必ず空を切る
・・・と
しかし、私の剛速球は、暴れた。
勝負球を外したのである。
「 またかァ ・・」
ナイン全員の心に 「 ホアボール 」 が過ぎる。 (ヨギル)
「 花田、いれんかい!」
ショートの長野が、叱咤する、もはや、激励などではない。
ストライクの入らない私に、業を煮やしてのことである。
「 わかっとるわい 」
敵のクリーンナップは、たいていは大柄な選手で打ち気満々で向ってくる。
だから私がきまって三振を取るのは、バットを振ってくれる彼等からであった。
ところが、7、8、9番の下位打線
・・・バットを振らないのだ。
なんと、打者が打席に立って、
こともあろうに
バットを振らないのだ。
それどころか、
ストライクゾーンを狭くする為に、
背中をかがめて小さく小さく構えるのである。
「 こいつら・・・なんや 」
ベンチから声がかかる。
「 打ってけえへんぞー」
「 花田、ゆるい球でいいから真ん中に投げろ 」
「 ゆわれんでも、わかっとるわい 」
剛腕を理想としたる私、そんな器用な真似などできようものか。
「キャッチー、一点に集中させる為 体を低くしてミットを体の真ん中に構えてやれ 」
・・・と、顧問先生が 尤もな指導 をする。
がしかし、
ノーコンの私がピンポイントを狙って、適う筈もなかろうが。
背伸びした一分
投げても、投げても はいらない
後から見ていると
その姿は滑稽だったと、長野が謂う
「 剛速球は男のロマン 」
・・・と、必死の投球も、ままならぬ
それでも尚、
大きく構え続けた私
剛速球スタイルは崩さなかった
頑な までに
それが 俺の一分
・・・と、そう想いたかったのである
而して
「 ヒーローに成る 」
・・・の、ロマンは ままならぬ
嗚呼 是、吾人生哉