昭和・私の記憶

途切れることのない吾想い 吾昭和の記憶を物語る
 

「結婚式に出席しない」 は、俺の主義

2021年06月14日 08時34分53秒 | 5 青春のひとこま 1973年~

永田さんは 今どうしてられるんですか?

今、仕事で名古屋に行ってるみたいやで

梅ちゃん、こんどの日曜日結婚式なんや、あの則ちゃんという女性(コ)とな きみも知ってるやろ あの女性(コ)

知ってますよ、性格の良い女性(コ)でしょ、梅本さんとお似合いですよ

永田さんと梅本さん、親しかったそうですね

うん、僕等が梅ちゃんと知り合ったのは、永田からの線なんや

そうですか、で、永田さん、出席されるんですか?

イヤ、あいつ出席せんらしい、梅ちゃんが是非とも、ということで頼んだらしいけど、

あいつ、 俺の主義 として、行かへん 」 言うて、断ったらしい

梅ちゃん、断る理由に「俺の主義」だから、と云われたと、怒っとったよ

人間、言うたらいかん事があって、そんな言い方して断ったら駄目なんや

そうですかね、そんな事はないと、僕は思いますがね

断るんだったら、仕事で忙しいとか、他に言い方があったと思うよ

それを主義だからといって断るのは、間違っていると思う

そうですかね、僕は正しいと思いますがね

行きたくないのに、無理に誘わなくても良いのではないですか

永田さんが、断る理由に 「 主義 」 だと云ったのなら、それで十分ではないですか

僕はそれで、事足りていると思いますがね

梅本さんは永田さんが来てくれないもんで怒っているんで、

「 主義だから 」 という言葉は怒る為の材料にしているだけだと思いますがね

いゃ、自分の晴れの舞台に親友である永田に出席してもらいたい、

そんな気持ちで居るのに「主義だから」とそれだけの理由で断られたからだと思うよ

友達だったら、出るべきだと思うがね

出たくないのに出ても楽しい気分にはなれないですよ

二人の結婚を祝福しているんでょ、その気持ちがあれば別に強要しなくても良いと思いますがね

親友の結婚を素直に喜び祝福する、至極あたりまえの事だ。
その気持ちの表現の方法は、人それぞれの個性があっても良いと、私は思う。
「 主義だから 」 そういう表現、あっても良いと私は思う。
友情ならば 「あいつらしい」、と、理解してやる。
・・・その方が私は好きである。

己のエゴが通らない時、誰しも腹が立つものである。
自分は正しいと思っているから、思い通りにならない相手を非難するのである。
「 友達ならば 」、俺のエゴを適える義務が有る。
・・と、言っている様な気がする。

結婚式の披露宴とは、己のこれからの人生の覚悟、
新参者として世間様に対してその一員に加わるとて 「 宜しくお願いします 」 と、謂う、お披露目であるはず。
其れゆえに、世間様の代表者たる出席者に対して、忝く思い、その労に感謝して御馳走するのである。
「 皆に祝って貰う 」 だけのものでは無いのである。
披露宴に出席する者は、まったく別の人間どうしが 縁あって結ばれ
これから苦楽を伴にする、
若い仲間が出来たことを祝う。
・・その縁を祝い、一人前に成ったことを慶ぶのである
「 幸せに成ってもらいたい 」
・・・と、いう気持ち
・・・誰もが願うものであるが、
結婚する二人だけに向けられている訳では無いのである。

俗に、己の感情で、
「 冠婚葬祭の義理を欠いてはならない 」
・・・と、謂われる。
それが世間に於いての 「 付き合い 」 だと。
果たして、
「 主義 」 として、断った永田さんと、
「 付合い 」 として、出席している者と
どう違うのであろうか。
「 結婚は祝ってもらうもの 」
・・・その通りだとは想う。  ・・・想うが。

延々と屁理屈 謂ってはみたが
要するに、唯 少しばかり
「 思い遣りに欠けた 」
それだけの事かも知れない。
 

 
東氏との
昭和57年 ( 1982年 )
4月23日の会話


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