「母の旅立ち」
11月26日、12時37分、母が旅立った。
101歳だった。
今月13日のDrPURの研修に向かうJRの電車内で
「母、危篤」の電話があり、
戻るか、戻るまいか考えた結果、
101歳の長生きDNAがそんな簡単に終わるわけがないと考え、
そのまま研修に参加。
母はその日の昼に他の人が食べている「海苔巻」を見て
自分も食べたいと主張し、
頂いた海苔巻で喉を詰まらせ呼吸困難に陥り、
心臓マッサージをされながら緊急入院した。
いわゆる「誤嚥性肺炎」だ。
その日から2週間、日々地獄のような毎日だった。
意識はあるものの、苦しいのか錯乱状態に陥り、
命綱の酸素マスクを外そうとするので
常に誰かが傍についていないとダメで、
私と娘が交代で病院に泊まり込んだ。
慣れない病院で寝られるわけがなく
一睡もせず翌日、仕事へ~という日が続き、
私も娘もフラフラになった。
緊急入院したその日に医者からは
「今日、明日が山です。治る見込みはありません」と断言された。
痛みに耐えながら、苦しんで死にゆく姿は私達も耐えられないので
モルヒネ投与に同意した。
微量のモルヒネなので意識が遠のくことはなく、
私が「お母さん、来たよ」と病室に入るなり声をかけると、
うんうんと顔だけで頷いていた。
亡くなる3日前くらいからだろうか、
意識が遠のき、呼びかけに反応しなくなり、
一昨日は病院に夜中に呼び出され、再び泊まり込み。
結局、昨日の最期には間に合わなかったけれど、
私は充分にお別れの感謝の気持を幾度となく伝えられたし、
覚悟も出来ていた。
大正、昭和、平成、令和を生き抜いてきた母。
最期まで呆けることなく、強い母だった。
主婦の鏡と言いたくなるほど、家族のためだけに生きて生き抜いた母。
何だか自分の根っこを取られたような気分。
これからは駆け引き無しで頼れる人は私にはもう居なくなった。
今日は通夜、明日は葬儀。
そして明後日は引っ越しだ。
泣いてる暇なんか無い。
頑張らなくっちゃ。
しっかりしろ~自分( ;∀;)
今日の写真は母が愛した菊の花
シミ、シワ、タルミ専門店
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