風さそう 花よりもなお
われはまた 春の名残を
いかにとかせん
田淵氏庭園から近くにある
赤穂城跡に向かいます。
赤穂城は、
平成28年(1916)3月に訪れているのですが、
まだ非公開であった二の丸庭園が
その年の12月13日に一般公開されたと聞き、
今回の赤穂城再観覧となりました。
清水門の近くの駐車場に車を止めて
今回の目的、二ノ丸庭園を目指します。
赤穂城跡 武家屋敷公園
大石頼母助屋敷門
大石頼母助良重(よししげ)は、
大石内蔵助良雄(よしたか)の大叔父にあたる人物で
二の丸に唯一屋敷を構えていた家老。
この門は、2009年(平成21年)3月に復元され
現在、二の丸庭園の入り口になっています。
赤穂藩 大石頼母助庭園
二の丸庭園は、池を巡る回遊式で
御殿から眺める本丸庭園とは違う様式となっています。
門を潜った時には、ただ広場があるだけかと
ちょっと期待外れな印象を持ったのですが。。。
浮玉堂と錦帯池
奥へと歩を進めていくと、
素晴らしい景観を目にすることに。
浮玉堂と錦帯池と私
国指定名勝 赤穂城 二之丸庭園
浮玉堂と錦帯池と太鼓橋
太鼓橋と中島
平城京跡の東院庭園と無鄰菴の雰囲気を
併せ持った庭園といった感じでしょうか。
とにかく立派で美しくて、
気持ち良くさせてくれる庭園で、
しばらく腰を下ろして眺めていたくなります。
まだ復元の途中経過らしいので
この荘厳さがどれだけ増すのか非常に楽しみです。
二の丸庭園の観覧を終えて
前回の時にも観覧した本丸庭園に向かいます。
(せっかく来たので)
国指定名勝 赤穂城跡 本丸庭園
本丸御殿跡の紅葉
本丸御殿跡と本丸櫓門
本丸御殿跡
本丸櫓門内部
この日は、本丸櫓門が無料公開されていたので
内部を観覧することに。
忠臣蔵の有名シーン
松の廊下事件
「殿中でござる!殿中でござる!」
浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)切腹
大石内蔵助の遊郭での放蕩
吉良邸討ち入り
忠臣蔵では、吉良上野介が悪で、
赤穂浪士が正義として描かれていますが、
あのストーリーは、事件の50年後の人形浄瑠璃で
披露されたものがベースになっているようです。
ここで気になる点が、
忠臣蔵は、果たしてドキュメンタリーなのか、
セミ・ドキュメンタリーなのか、
それとも多くの部分が創作された物語なのかです。
と言うのも、
派手な討ち入りは江戸庶民も知るところとなるのは
すんなりと納得できるのですが、
おそらく極秘情報であったと思われる
松の廊下事件から赤穂浪士切腹までの経緯、
そして、
登場人物の一人一人の行動や気持ちを
あの時代の脚本家がどのようにして
知り得たのか不思議でならないんですよね。
とにかく
忠臣蔵のストーリーが
多くの人に長きに渡り愛されてきたのは
間違いないところだと思います。
忠臣蔵がどうこうでは無くて、
考察してみたいことは、
人はそれが真実かどうかよりも
真実であって欲しい、間違いであって欲しいと
思ったり願ったりしていることを
信じようとするところがあるという点です。
自分が被害者になるケースとして、
怪しい宗教、とんでもない異性(依存)
おいしすぎる話(詐欺被害)等々、
自分が加害者となるケースとして、
自分の理想像や理想の結果を
投影したり、押し付けようとしたり。
そして、それと違ったり、
自分の思うようにならなかったら
その対象者を攻撃。等々。
ちなみにですが、忠臣蔵。
私も大好きであることは、
こうして赤穂城に来ていることで
十分お分かり頂けるかと思います。
本丸櫓門から観る御殿跡と天守台
赤穂城 大手門(追手門)と三の丸櫓
大手門(追手門)
三の丸大手門(追手門)と三の丸隅櫓
写真の大手門と三の丸隅櫓は、
昭和30年に再建されたそうです。
かつては日本全国にお城は
2万5千以上築城されていたようですが、
家康の一国一城令、明治維新、第二次世界大戦などによって
江戸時代、江戸時代以前に築城された天守で
現存する天守は12だけ。
赤穂城は、復元?復興?のお城で、
敷地内が公園風になっていたりして
最初の訪問時には、忠臣蔵関連は別にして
お城そのものについては、
姫路城を訪問した時の様なわくわく感は
全くと言って良いほどありませんでした。
それが、
今回、赤穂城跡と、当時日本一の塩田を有して
赤穂藩の財政を支えた田淵氏の庭園をセットで
観覧したことによるものなのか、
美しい二ノ丸庭園を観覧したことによるものなのか、
はたまた、
二度目の観覧で愛着が生まれたことによるものなのか、
分かりませんが、
作り物のお城でしかない印象から
昔の城そのものと感じるようになったきたのが
面白いところです。
回数を重ねると輝きが薄れていく感じがすることもあるし、
回数を重ねることで輝きが増した感じがすることもあり、
その違いは何なんだろうか。