ある人とメールのやり取りの中で、
自分は腰が重くて行動を中々起こせない。
それをを何とかしたい何て言う話が出ました。
思えば、私も中々の腰の重さの持ち主で、
頭でこうした方が良いと考えることは沢山あっても、身体を動かすには
頭に身体がスッと付いて動いたことを殆ど無いと言っても良い位です。
そんな私でも本当にそれは必要だと思った時は、
身体が動くように出来ているようなので、
何とかかんとか今まで生きて来れているのでしょう。
必要だの時には、必死さとやる気が噴出します。
そうだったら良いかもの時には、出力が上がりません。
私も、腰の重いのは良いことではないなあと、
何とかしなければなあ、なんて思いながらウン十年、
合いも変わらずそのままです。
この仕事に携わり、そのようなことを改善するには。。。
を知っているつもりですが、その知っていることをやり、
自己改造するやる気が起きないんですよね。これがまた。
ただ、自分なりに考えてみたところ、
手段と言うか手法というか、自分が欲するものを手に入れるために
行うべきことなのですが、これがあまり好きではないようです。
健康のために、カッコ良くなるためにダイエットをする。
健康のために、節制をする。運動をする。
良い会社に就職するために、勉強をする。
愛されるために、優しくする。
自分の~のために(目的)~をする(手段、手法)。
このようなことが面白くないようなのですね。
ダイエットをしたいからダイエットをする。
走りたいから走る。
それを勉強したいから勉強する。
この人に優しくしたいから優しくする。
手段の部分が殆ど無いような、直接的な行動が好きなようです。
目的は楽しめますし、やっていて面白い、
私は面白くないものをしたいとは思わないのでしょう。
こんなことから、私はアリタイプではなくキリギリスタイプだと思います。
あの話では、アリさんを奨励するような内容だったと記憶していますし、
世の成功者と言われる人は、アリタイプの人の方が多いのかもしれません。
ですが、ですがです。
目的という手を伸ばせば届くところにある面白さを、
順番にツイバミながら辿っていったら、
何かとんでもない所まで来ちゃった戦法も有りかと思っているんですよね。
ただ、スズメのように米粒をツイバンでいったら罠に引っ掛かった。
何てならないように、一つツイバンでは周りを確認。
一つツイバンでは自分の位置を確認。
これだけは怠らないようにと気をつけて、
「気が付いたら何かとんでもない所まで来ちゃった戦法。」を、
もうしばらくやって行こうかなと懲りない私の胸の内でした。
催眠療法&心理療法 神戸ストレスカウンセリング・ルーム花時計