今回の名所巡りは、生田神社、湊川神社と共に
神戸の三大神社の一つとされる長田神社を訪れました。
長田神社は、私のカウンセリング・ルームの
最寄の駅の大開駅から西方向に一つ隣の
高速長田駅が最寄り駅なので近いんですよね。
東方向に一つ隣の駅のJR神戸駅には
湊川神社があるので
神戸三大神社の二つに護られている感じですね。
神戸 長田神社 大鳥居
この大鳥居を右折して近くの回転寿司に
同乗した友人の車で良く行っていたんですが
肝心要の長田神社の参拝は、今日が初めてとなります。
何度も仰ぎ見てきた大鳥居と
参拝に向かう今日仰ぎ見る大鳥居とは
一味違った風に感じるのは何故なのか?
長田神社に初参拝する前にちょこっと寄り道をします。
源平合戦勇士の碑
大鳥居を背にして少し歩いた場所にある「源平合戦勇士の碑」。
平家方の平知章(たいらのともあきら)、
平通盛(たいらのみちもり)、
源氏方の木村源吾重章、猪俣小平六則綱の碑があります。
源平合戦の一人一人に興味を持っている訳ではないのですが、
このような碑を見ると教科書の中の
単なる昔話でしかなかったものが
リアル化する感じを楽しめるので立ち寄ってみました。
監物太郎頼賢の碑
こちらは、大鳥居の近くにある「監物太郎頼賢の碑」。
長田区は、源平合戦の激戦地となり監物太郎頼賢氏は、
主君の平知盛(清盛の四男)を救おうとして
平知盛と共に討ち死にした人物のようです。
神社の近くに、このような碑があることは
記憶に残るとは思いますが、
誰々の碑だったかのかは、
直ぐに忘れてしまうと思います。はい。
長田本通り
大鳥居を通り抜けて長田神社へと向かいます。
長田神社まで長田本通り(神社前商店街)をそこそこ歩きます。
長田神社の一の鳥居があるのは参道筋で、
この長田本通りとは別の通りのようです。
かつては参拝者は参道筋を通って参拝に訪れたようですが、
今は、神戸高速線の高速長田駅から遠回りになるので
この長田本通りを通って参拝する人の方が
多くなっていると思われます。
萬福笑来
長田本通りの左側を歩いて行くと三差路の角に
「満福笑来」の扁額が掛けられた小屋が現れます。
この小屋の左側に延びる道の先には長田神社の鳥居が見えます。
皆さんに福と共に笑いが訪れますように
小屋の中を覗くと
船に乗ったアニメチックな木彫りのフクロウがいました。
このフクロウは、長田神社前地域のシンボル・キャラクターで
長田神社に初夏に渡ってくるアオバズクがモチーフで、
フクロウは、神社の宮司さんの烏帽子をかぶっています。
神戸 長田神社 朱鳥居
長田神社 境内
以前の長田神社の境内には、
神の使いとして数百羽の鶏が飼われていて
その様子を見た海外からの観光客は、長田神社のことを
チキン・テンプルと呼んでいたそうです。
長田神社の楠木
朱鳥居を潜り抜けて直ぐの所にある大きな楠木は、
神戸市の天然記念物に指定されているそうです。
この大きな二つの楠木の根は、融合していたり、
大楠木から他の種の木が生えていたりと、
なかなかの古木のようですが、
しめ縄がないので神木扱いではないようです。
そう言えば、何を持って神木に選ばれるのでしょうかね。
この樹が選ばれてないとなると
古木だけが理由ではなさそうです。
長田神社 絵馬殿と朱鳥居
生田神社、湊川神社には絵馬殿が見当たらなかったんですが、
長田神社には、絵馬殿がありました。
私の場合、絵馬殿がある神社から歴史を感じます。
長田神社 絵馬殿
絵馬殿を外から観るとそうでもないのですが、
このように建物の内側を観ると天井の感じとか古い絵馬とか
良い味を感じるんですよね。
長田神社 手水舎
マットの上辺りに立つと人をセンサーで感知して水が流れ出ます。
と言うことは地下水ではなく水道水かな?
手水舎にあるはずの柄杓が見当たらなかったんですよね。
新型コロナの影響なのでしょうか。
長田神社 二の鳥居
朱色の鳥居の西側にある二の鳥居。
二の鳥居の正面奥には神門が見えます。
この鳥居から境内の外に延びる道が参道筋で、
テクテクと歩いた先には一の鳥居があるようです。
長田神社 眼鏡の碑
眼鏡と言うよりETのような………。
長田神社 神門
長田神社 参集殿
二の鳥居の西側にある参集殿。
阪神淡路大震災の時には被災者の避難所として提供されて
1ヵ月の間、150名の方が居住していたようです。
長田神社 参集殿
長田神社 神門
いよいよ神門を潜り抜けて長田神社拝殿へと向かいます。
今回も神様にお祈りすることは、いつもと同じ。