死刑制度を廃止している。
または、
10年以上死刑の執行を停止している国は、
世界の多数派となっているようです。
そのようなこともあって
多数派の国から日本の死刑制度を
改めるように求められているようですが、
いつの頃からか、日本の死刑判決は、
相当な犯罪でなければ下されないばかりか、
下されたとしても
文字通りの死刑執行を意味しておらず、
終身刑的な意味合いも兼ねているように思えるので
十分に犯罪者にも配慮ある司法と思えるのです。
これは死刑判決に限ったものでは無く、
性善説に立った日本の裁判で下される量刑において
世間の感覚とズレていると言われる判決に対して
批判が大きくなったことが
現在の裁判員制度へと繋がることになりました。
何でもかんでも厳罰に処することにも、
時折耳にする甘すぎると感じる判決にも
賛成する気になりませんが、
何が正しい判決なのかとなると
非常に難しいなと思います。
2008年のアメリカのフロリダ州では、
授業中にオナラをするなどして学級崩壊を引き起こした
12歳の少年が逮捕されたそうです。
逮捕された少年は、
同級生のパソコン複数台を意図的に
停止させたことでも告発されていて
オナラにパソコンと
迷惑行為を頻繁に引き起こしていたそうです。
詳細が分からないのであれなんですが、
少年はオナラを頻繁にしてしまうことで
クラスの皆からバカにされたり、
疎まれたりしたことへの怒りから
自分の尊厳を傷つけるクラスメイトに対して
パソコンを停止させると言う
孤独な闘いを決起したのかもしれません。
パソコンの件は、しちゃいけないことですが、
オナラとパソコン停止で12歳の少年を逮捕!
その後、逮捕された少年は、
母親に引き渡されたそうですが、
逮捕とは手厳しいですねえ。
日本の場合なら、本人と親御さんを呼んで
担任との話し合いで解決を図るケースかと思いますが、
このケースについては、
私は日本のやり方に賛成かな。
子供の人格形成において
踏み越えてはいけないラインをどこに設定するか、
そして、そのラインを越えた場合には
子供と言えどもはっきりとした罰(叱り)を
与えることには賛成ですが、
そのラインをどこにするのかが
非常に難しい問題です。
家庭、社会の厳しすぎたことでの弊害。
甘やかしたことでの弊害。
そして、
精神的に健康な人間に育ってもらいたいと願い、
その責任を両親が背負いすぎて、
焦り、混乱し、怯えたりするのも
良い影響を与えるとは思えません。
過去から学ぶと、子供たちが根底で
「守られ」「必要とされ」「愛されている。」
と感じながら成長をしてくれれば、
この日本の社会の立派な担い手に
なってくれると思ったりするのです。