入社して何度か言葉を交わしたことからなのか
少し酔ったことで気が大きくなったからなのか
役員が参加する飲み会で役員に近づき
お酌しながら役員の肩をバンバン叩いていた社員は、
数か月後に姿が見えなくなっていました。
車の運転にしても、スキーにしても、仕事でも、
人間関係にしても、
大失敗をやらかす危険性が一番高まるのは
慣れてきた時が一番危ないと言われています。
どうやら怖くなくなるのと
危険ではなくなるのは
同じとは限らないようです。
そして、逆も真なりで
怖いからと言って
それが真に怖いものだとも限らないこともあります。
自分の感情は真実を示しているのではなく
その出来事や状況を
自分がどのように捉えているのかを
示しているだけなのです。
すごーく大事ですよね。
なんだか
ジェットコースターとお化け屋敷を激しく行き来しているような今日この頃です。
藤野先生を記事を読んでいたら、
あ、今は静かな夜なんだなーって
思いました。
いつだって、静けさは傍にあるのに
周りからの刺激に
びっくりしてばかりだなぁ。
私達の世界、特に個人が経験している世界は、最近、絶賛売り出し中のVR(仮想現実)のようなものかもしれません。
ジョットコースターもお化け屋敷も、物の捉え方が違えば全く違ったものになると思うのです。
なんかね、周りからの刺激に体調を一々左右されて、ほんっと
バカバカしいなって思い始めてます。
だけどね、そう思いながら今朝も
咳が止まらなかったり、
息苦しくなったりしてね
なんだかなぁ・・・って
思ってます。
頭で理解したことが、なかなか身体がわかってくれない。
藤野先生や小林先生のカウンセリングのおかげで、私はこの一年で、びっくりするくらい自分の中が変わったけれど、
もうひとつ変わらないといけない所が、あるなぁって
気付いたところです。
だから今のこの現実があるのかなぁって思います。
発作が勝手に起きると嫌だし辛いなぁって思いますが、
捉え方次第ですね、これも。
淡々と仕事してきます。
藤野先生、お仕事頑張ってください。
良い一日を!
今の過緊張の反応について、反応自体に気持ちをつい向けてしまうのは重々理解していますが、あえて言わせて下さいね。
その反応が起きている時には、必ず無意識で何らかの気持ち(ものの見方)が働いています。
望む結果を渇望していたり、と思われたいとか。
反応ではなく、そこをクリアしたり、手放したら治まります。つまり、自分の外のものを動かそうとするのではなく、自分が動かないようにすることがポイントです。
自分が出来るものは出来るからやる。やっても良いと思うものはやる。自分が出来ないものは出来て儲けもの、出来なくてもOK。恥じる所何も無し。
人の手のひらの上から降りてしまいましょう。
これからも宜しくお願い致します。
過緊張という言葉を目にして
思い出しました。
数ヶ月前に小林先生の診察を受けたときに、教えて頂いていました。
しかも、参考になる本も紹介してくださって、私はそれを読んでいたんですよね。今、その本を再び開いています。
それからね、藤野先生、
このページを直ぐに読めるように
ホーム画面に追加しました笑。
深く身に付いて欲しいです。
わたし、あたま、わるい 泣。
自分が直ぐに過緊張になるのに
辛い辛いと思いながら
自分が思っているよりずっと
意識自覚出来ていないこと、気付きました。自分で自分の首を締めてばかりいるんですよね。とほほ です
笑えない のに 笑ってしまいます。
感情って不思議なもので
自分のものなのに、なかなか掴みきれません。ある時期を境に、悲しい時も辛いときも困った時も、
笑うようになりました。
なんなんでしょうね。へんてこりんです。
淡々とやります。
ひとつひとつ淡々と。
しかし、感情ってやつは
希代の意地悪ですね。
逆に感情があるからこそ
人は輝けるのでしょうが。
苦しいなぁ辛いなぁ不安だなぁ怖いなぁ
だけどそれが自分にとっての当たり前
自分にとっての標準
これが何なのか実体が見えず30年ですよ、やっと先生方にご縁出来たことで、やっと実体が見えてきて、
もーしつこい私。
やだーもーやだーしつこいのやだー
あたまわるいの、やだーやだよー
藤野先生、
一年後の自分の良い姿を楽しみにすることにします!
これからもよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
ただ感情は、それ単独で発動することはないので必ず感情とセットになっている捉え方があります。
感情は捉え方にとても忠実に反応するので、捉え方を無視して感情だけを何とか変えようとすることはとても難しくなります。
感情を変えようとする時、その感情を直接変えようとするよりも、その感情にセットになっている捉え方を変えることの方が遥かに簡単になります。
そして、本能的な反応よりも学習したものの方が、よりハードルが低くなります。
大切なことは、どのような感情であっても捉え方に忠実に反応して、その個人を守り抜き喜びを得てもらおうと頑張っているということです。
言い方が変かも知れませんが、盲導犬のような感じでしょうか。捉え方というプログラムにそってご主人を忠実に守り、誘導する感じ。(盲導犬+番犬かな。)
ですから盲導犬を責めてはいけませんし、責めることは無意味かな。責められると忠犬は混乱します。(何で怒るの?困るの?もっと頑張れば良いの?)って。
責めるより新たな捉え方を教え込めば、忠犬なので反応の仕方を変えてくれる感じでしょうか。
ちょっと長々となりましたが、
これからもよろしく願います。