私達の心の中には、
天使の自分と悪魔の自分が同居しています。
大きく心が動く
何かの出来事が起きた時、
私達はその出来事を自分の主観で解釈したものを
記憶に残します。
そして、
それが喜びの体験であったなら
その喜びを再び得るために、
それが悲しみの体験であったなら
二度と体験しないために、
その一連の諸条件を方法として
脳裏に焼き付けます。
しかし、
それが裏切りや虐待や失望等で
あまりにも大きく心が動いた時、
その大きな悲しみが恨みとして
残された時に、
ねじれた行動を取ってしまう時があります。
例えば、男性の場合は、
母親から無償の愛を与えてもらえるのではなく、
罵倒されたり、虐待されたりしたことで
父親や母親への怨みが
優しそうな女性や優しく接してくれる女性に
向けられることがあります。
男性や女性を攻撃し、又は信頼させ裏切り、
あるいは、とことん駄目な自分を演じて
その女性の悪の部分をさらけ出させようとします。
その男性の悪の部分をさらけ出させようとします。
そして、それに成功すると
「ほら、いくら良い人ぶっても所詮そんなものだ。」
と満足するのです。
これがその人にとっての復讐となります。
「私なんか愛される人間ではない。」と
自分が信じていることを
証明するかのように、
異性に無理難題をふっかけたり、悪ぶったりして
愛されないように努めます。
また、愛されたとしても、
それを喪失する恐れから
その現実をそのまま受け入れずに
何度も無茶苦茶な自分を演じ続けて
その愛を確かめ続けようとしますが、
最後には、破局を迎えます。
その人にとっては、
愛されるはずの無い自分が
愛されているという現実が怖いのです。
それを受け入れた時に
それを喪失した時のショックに耐えきれるとは
思えないのです。
孤独も強く感じるのですが、
その孤独感を埋めようとして、
自分を本当の意味で愛してはいないと感じる人、
自分が本当の意味で愛せない人を
パートナーとして選び孤独感を紛らわせようとします。
このような恨みや恐れや
正しくない自己評価を心に抱えたまま、
幸せになれるはずがないのです。
その出来事がどのようなものであれ、
自分が望み求めていたものを与えられなかったからと言って、
自分の何かが問題ではなく、
その誰かの問題であったかもしれません。
よしんば、
自分にもその原因の一端があったのだとしても
その全ての責任を自分一人が負う必要など無いのです。
自分一人で責任を負う必要が無いのですから、
その出来事と信じ込んでいるものとは
別のものであることを確認し切り離し、
そして、
自分が信じているものを
止める決意。
その人からは手に入らないものを
その人から手に入れようとするのを
止める決意をすれば
その魔法は解けて無くなります。
催眠療法&心理療法 神戸ストレスカウンセリング・ルーム花時計