KUMIの句日記

写真と一日一句で綴るブログ。句の転載を禁じます。

願わくは・・

2022年04月04日 | 料理
天気 雨

写真は、高幡不動尊境内の慈母観音と桜。8年くらい前の写真。
今日も昨日の続きで冷たい雨。昼間も10℃に届かず、札幌よりも低い気温、というからぞっとする。窓から見える桜は、近くへ行けば傷んでいるだろうが、遠目にはまだ満開状態を保って見える。

今日は55歳で突然逝った義母の命日だ。
詳細までは書かないが、一応、大きな病院へ入院していた。命に関わる病気ではなく、若いし、前日も見舞っていて普通の内科患者として元気だった。病院は私の職場からバスで10分ほどの所。出勤してすぐくらいに夫から電話で「今、病院からの連絡で、お母さんの容態が急変したから来てくれ、と言われた」と。夫の職場は都心だったので、私の方がはるかに近い。何があったのだろう?と、最悪の事態とは考えず、すぐに職場へ帰るつもりで、上司に断りデスクの上は仕事やりかけのまま片付けもせず・・。
でも、タクシーで病院へ向かった。病院までの道は桜並木が続いている。それが、みごとな満開で通りは桜のトンネルになっていた。そこをタクシーがくぐっていく。運転手と今年は見事ですね、なんて呑気な話をしていたのを覚えている。
全くの突然で、それでも最期には間に合わなかった。桜の記憶はあるのに、病院へ到着してからの記憶はあまりない。動顛していたのだろう。
それから、余命1ヶ月と言われていた父親を抱え、まだ20代の我々夫婦の苦労は始まった・・私は不幸の始まりだった桜が大嫌いになった。数年間かそれ以上の期間、花見の季節は喪主の妻にとって憂鬱でしかなかった。
桜が咲く=法事をする=親戚縁者との面倒な付き合いの時期。

願わくは花の下にて春死なんその如月の望月のころ

言わずと知れた西行の歌。私は俳句を始める前に短歌を少し齧っていたので、西行のこの歌が大好きだった。これもまた、一時期は嫌いになった。でも、日本人だから桜を嫌いにはならないものだ。義父母の七回忌を過ぎた頃から、やはり桜の時期はいいねえ・・になっていった。(義父は、義母の死後1ヶ月余で亡くなったから、忌を修すのもいつも同じ日にしていた)
                                                                                              
随分前の私の句。花万朶母の忌日をあそびけり  KUMI

(義母、と表記してはは、と読むことはわが結社ではあまりしません)
七回忌を過ぎると、生きている人間の暮らしの方が大事になっていく。当然、忌日だからと家に籠っていることもなくなったのだ。花見を楽しまなきゃ損。

で、長兄の忌日は同じ4月でも、ソメイヨシノの終わった頃だった。葬儀場の八重桜が見事で、それを忘れられない。兄が羨ましかった。私は・・その兄の年を越えてしまったが、今年の桜の時期にはまだ命を守っている。

静かなり母の忌日を花の雨  KUMI
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする