1870年5月、大北電報公司は英国大東電報公司と契約し「上海以北は大北、香港-上海間は共同経営」と取り決めました。
当事は大北電報公司と大東電報公司と米国の太平洋電報公司の三社が上海の電話事業を競っていました。
面白いですね。「三国志」と同じ様相だったのかもしれませんね。

1870年にはその大東電報公司と共同で、上海-香港間に海底ケーブルを敷設し、ここに中国最初の電話交換所を開設しました。
日本でも1871年(明治4年)に上海-長崎-ウラジオストック間の海底ケーブルが完成し、大北電報のケーブルで香港経由でロンドンまで電信が開通したとか。
1871年4月からは香港・日本・アフリカ・欧州・米国間の「中文」の電報サービスを始めました。
3桁の数字で漢字1文字を表したそうです。
1883年には英・米・独・日の各国が次々に上海に電話局を開設し、最盛期には5カ国で9本の海底ケーブルが使用されていたそうです。
現存の建物は1906年に着工し、1907年に完成しました。4階建て。現在はバンコク銀行とタイ国領事館が使用となっています。
1994年に上海優秀歴史建築に指定されています。

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当事は大北電報公司と大東電報公司と米国の太平洋電報公司の三社が上海の電話事業を競っていました。
面白いですね。「三国志」と同じ様相だったのかもしれませんね。

1870年にはその大東電報公司と共同で、上海-香港間に海底ケーブルを敷設し、ここに中国最初の電話交換所を開設しました。

1871年4月からは香港・日本・アフリカ・欧州・米国間の「中文」の電報サービスを始めました。
3桁の数字で漢字1文字を表したそうです。

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1882年上海開始使用電話<黄浦江人文熱線>
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