羽黒蛇、大相撲について語るブログ

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2015年02月07日 | 歴史
大達が検査役に物言いをつけたという一番(羽黒蛇)










相馬基著「相撲五十年」の21頁より引用。



大達羽左衛門が小結に栄進した明治17年の五月場所七日目、無敵を誇る初代梅ケ谷をやぶって意気軒昂、



翌日の相撲は、物言いのついたむつかしい相撲であったが、結局負けになった。



検査役の判定に大達は不服だった。



こんどは大達が検査役に物言いをつけ、拳骨をふりあげる騒ぎである。



それまで師の高砂は検査役として四本柱前で静観していたが、これには驚いてかけより、大達の肩に手をかけて、「よせ、よせ」と引きとめた。



興奮した大達は「やかましいやいッ」と、体を張ったところ、高砂は思わず横にのめって土俵下へ落ちてしまった。



こんなことで、せっかく金星を射止めた新小結の大達も、次場所には幕尻の張出しに落とされてしまった。(引用終わり)










星取表を見ると、この一番は大達が勝っている。



明治17年5月場所の大達は、七日目大関(横綱)梅ケ谷に勝った翌日の八日目は小結剣山に勝ち、九日目は大鳴門に勝ち、小結で8勝0敗1分で優勝。



関脇西ノ海は5勝2敗1分1預と成績では不利なのに翌場所大関に昇進。大達は張出。関脇は高見山。



大達が張出なのは、西ノ海を大関に昇進させた高砂親方と決裂したから。自分が大関に昇進すべきだったと主張。翌場所張出になったが、上位陣と対戦しているので幕尻ではない。










大達は土俵下で審判に文句をつけた。



白鵬は場所が終わってから審判に文句をつけた。



大達の気性は、「物言いつけないのか」と審判をにらんだ朝青龍にイメージが近い。



白鵬がファンの反感をかったのは、大達の後、朝青龍・白鵬まで審判批判を公言した力士がいないから。審判を批判しないことが力士の所作として確立している。これに逸脱したから。










羽黒蛇



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